はあ…なんか最近パッとしないんだよなあ…
そういう時は環境を変えてみるのも効果的だぞ。
えっ。いきなりそんなこと言われてもなあ。
環境を変えて成功した人を知ってるの?
よし。今日は大田 泰示選手の話をしてあげよう。
大田 泰示(おおた たいし)選手は2009年にドラフト1位で巨人に入団したものの、その後の8年間では、一軍通算100安打、9本塁打に終わっています。
しかし、2016年に北海道日本ハムファイターズに移籍した翌年は開幕から118試合出場し、110安打・打率.258、15本塁打という活躍を見せました。
目次
大田泰示選手・プロフィール
名前:大田 泰示(おおた たいし)
生年月日:1990年6月9日
出身地:広島県福山市
所属チーム:北海道日本ハムファイターズ
大田泰示選手の父親は広島県三次高等学校で投手をしていましたが、その影響もあって、大田泰示選手は福山市立川口小学校1年生の時にソフトボールを始めました。
5年生になると軟式野球を始めるようになり、福山市立城南中学校2年生の時に秋の大会で優勝しています。
また、同時期に元プロ野球選手が指導する野球教室に参加していますが、その時に原辰徳からスイングを褒められたことで、原辰徳の母校である東海大相模高等学校に進学することを決めました。
東海大相模高等学校では1年から三塁手としてベンチ入りし、1年の秋には4番打者となり、2年の秋から主将を務めています。
その後3年になると遊撃手に転向し、3年夏の全国高等学校野球選手権北神奈川大会の決勝で、5本目のホームランを打ち、大会記録となりました。
高校時代は、甲子園には出場できなかったものの、高校通算本塁打65本、その距離は推定140メートルで、投手としても147km/hの肩の強さを備え、身長188cmの大型遊撃手としてドラフト上位候補として注目されるようになりました。
当時、東海大学への進学も考えていたようですが、提出期限日にプロ志望届けを提出し、2008年度のドラフト会議で読売ジャイアンツと福岡ソフトバンクホークスの2球団から1位指名を受け、抽選により巨人が交渉権を獲得しました。
プロ野球選手としての大田泰示
巨人の契約金は1億円、年棒推定1200万円で仮契約し、松井秀喜以来準永久欠番となっていた「55」に決まりました。
しかし、その後は巨人の選手層の厚さなどもあって未完の大砲のまま巨人を去ることになりました。
2016年11月2日に吉川光夫・石川慎吾との交換トレードで公文克彦と北海道日本ハムファイターズに移籍、背番号は33番に決まりました。
翌年の2017年は怪我もあって開幕に出遅れていますが、4月23日に一軍に昇格、4月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で移籍後初の本塁打を放ちました。
また、5月3日の千葉ロッテマリーンズ戦では、プロ初のサヨナラタイムリーを放ち、5月12日のロッテ戦では移籍後初の2本塁打を記録しました。
大田泰示選手のエピソード
大田泰示選手は普段温厚な性格ですが、ある記者の質問に対して1度だけ怒鳴ったことがあります。
それは2015年3月8日の阪神タイガースとのオープン戦で、記者から「最近はなかなか結果が出ず、打率は2割を切りそうな状況だったが?」と質問されました。
それに対し、「そんなんじゃない!そんなことに怯えていたら野球にならないから!」と言葉を遮りました。
その後、その時の記者が大田泰示選手の元に謝罪に行くと、「あれは違う聞き方があるだろう」と笑って許したといいます。
その時の記者は2015年シーズンからプロ野球を担当する巨人の記者で、大田泰示選手とは同じ年でした。
2019年シーズンを終えたあとの大田泰示選手へのインタビュー
大田泰示選手は、巨人から日本ハムに移籍してかなり活躍していますが、インタビューの中で、巨人と日本ハムの選手の起用法の違いを指摘しています。
巨人は、阿部慎之介選手のように長く結果を出している選手たちがスタメンに名前を連ねています。
一方日本ハムも中田翔選手や近藤健介選手といったベースがある選手を、期待している選手より積極的に起用していく印象があると語っています。
巨人は選手層が厚く、誰かが怪我をしても代役がいますが、日本ハムでは少数精鋭で、育成の選手もあまり獲らないので、若い選手をどんどん使って鍛え上げながら勝利していくというのが特色だと語りました。
なるほどねー。
移籍した途端に過去8年分を超えるホームランを打つってすごいなー。
環境を変えるのって大事だね!
だろ? 大田選手は移籍して大正解だったんだ。
キミも環境を変えてみたらどうかな?
えっと……
わたくしはどこに行けばいいんでしょうか?
知らんがな!