数々の大会で日本人初の記録を成し遂げ、日本男子フィギュアスケート界にスポットライトが当てられるきっかけを作り出した高橋大輔選手。
彼のスケーティングに惹き付けられるファンは世界中に存在しますが、その魅力とはいったい何なのでしょうか。
本記事では高橋選手の経歴を遡ることによって、彼だけが持つ魅力に迫っていきたいと思います。
目次
高橋大輔・プロフィール
名前:高橋 大輔(たかはし だいすけ)
生年月日:1986年3月16日
出身地:岡山県倉敷市
身長:165cm
血液型:A型
出身校:倉敷翠松高校、関西大学
所属先:関西大学KFSC
高橋大輔・経歴
スケートとの出会いからシニアデビューまで
高橋選手がスケートに出会ったのは、8歳の誕生日を目前に控えた1994年2月。
母親の勤務先である理容店オーナーの娘と共に地元倉敷のスケートリンクに遊びに行った際、滑る楽しさを知って続けたいと思ったそうです。
経済的に余裕のない家庭環境の中、お金のかかるスケートは親への負担を重くしました。
それでも自分のことをサポートしてくれる家族に感謝しながら、親元を離れての厳しい練習にも耐えてきた高橋選手。
積み重ねた努力はしっかりと結果に結びつき、1999年に初出場した国際大会では見事優勝。
2001年には全日本ジュニア選手権を制し、その翌年の世界ジュニア選手権においても日本男子フィギュアスケート界において初の優勝を飾ります。
しかし、シニアデビューとなった2002-2003シーズンは思うように得点が伸びず苦悩する日々。
約1年間の海外遠征を行うも、目に見えるような成果に繋がらず翌シーズンにかけて目立った活躍を残せませんでした。
2004-2005シーズン
2004年の春、倉敷翠松高校を卒業した高橋選手は大阪の関西大学に入学します。
地元を離れ、自身が師事する長光コーチの自宅に住みながら学業とスケートを両立する多忙な生活を送る日々。
環境の変化や怪我による焦りによって一時はスケートをやめることも考えたそうですが、全日本選手権で6位に終わった際に自分の中で気持ちの切り替えをしたことが功を成したのかその後のユニバーシアード冬季競技大会で久しぶりの優勝。
翌月に行われた四大陸選手権でも3位表彰台に上りました。
2005-2006シーズン
GPシリーズ初戦のアメリカ大会で優勝。
2戦目のNHK杯でも3位とシーズン開幕直後から絶好調。
自身初のファイナル進出も決まります。
本番では見事な演技で銅メダルを獲得し、日本男子フィギュアスケート界において初のGPファイナルメダリストとなりました。
さらに、ショート2位からスタートとした全日本選手権ではフリーで巻き返して逆転優勝。
トリノオリンピックへの男子シングル日本代表1枠の座を獲得します。
トリノオリンピック本番の舞台では、ショートで5位発進するもフリー冒頭の4回転の失敗や同じジャンプの飛びすぎにより8位に終わりました。
2006-2007シーズン
この年のGPシリーズで出場したNHK杯のフリーでは、苦戦していた4回転を見事成功して優勝。
昨シーズンに引き続きファイナルへの出場権を獲得し、試合直前の体調不良の影響を受けながらも全力で滑りきって銀メダルに輝きます。
その後も、全日本選手権とユニバーシアード冬季競技大会の両大会で2連覇を成し遂げ、圧倒的な強さを見せつけた高橋選手。
この年、東京開催された世界選手権でも日本男子フィギュアスケート界において最高の2位に輝きました。
2007-2008シーズン
10月25日に開幕したGPシリーズでは、初戦のアメリカ大会と2戦目のNHK杯の両大会で優勝。
3年連続でファイナルへの出場を決めます。
ファイナルはショートで首位発進するも、スイス代表のステファン・ランビエール選手にフリーで上を行かれ0.26点差で2位。
しかし、その後の全日本選手権ではショートとフリー共に首位に立ち、他選手に圧倒的な点差をつけて優勝を決めました。
四大陸選手権のフリーでも素晴らしい4回転を着氷し、フリーと総合得点どちらもISU歴代最高得点を更新。
有力な優勝候補として臨んだ世界選手権でしたが、得意なフリー演技でジャンプをミス。
結果は4位と表彰台に上ることは叶いませんでした。
2008-2009シーズン
シーズン開幕直前の10月、ジャンプ練習中の転倒で右膝を負傷したことによりグランプリシリーズへの出場を辞退します。
その後の精密検査の結果から怪我の深刻さが分かり、シーズンを通して治療に専念することに。
スケートの練習を再開したのは2009年4月からで、6月からは本格的なジャンプ練習も開始。
元フィギュアスケート選手で現在はプロフィギュアスケーターとして活動している本田武史さんにジャンプ専門のコーチを務めてもらい、翌シーズンからの復帰を目指します。
2009-2010シーズン
10月のフィンランディア杯では優勝。
見事に国際大会への復帰を果たします。
続くGPシリーズでもNHK杯で4位、カナダ大会で2位と大健闘し、ファイナルへの切符を獲得。
2シーズンぶりのファイナルで5位入賞という結果を残します。
全日本選手権で4度目の優勝を達成し、バンクーバーオリンピックの男子シングル日本代表に選出。
バンクーバーオリンピック本番はショートで90点台という高得点をマークして3位に。
フリーで巻き返しを狙いますが、4回転を失敗したことで総合結果も同じく3位。
銅メダルを獲得し、日本男子フィギュアスケート界において初の冬季オリンピックメダリストに輝きました。
1か月後の世界選手権ではショートとフリー共に首位に立ち、完全優勝。
自身初、さらには日本男子フィギュアスケート界において初の世界チャンピオンとなりシーズンを締めくくります。
2010-2011シーズン
GPシリーズ初戦のNHK杯のフリーでは3シーズンぶりに4トウループを決め、圧巻の優勝。
続くアメリカ大会もショート2位発進からフリーで挽回し、見事優勝してファイナルへの進出を決めた高橋選手。
しかし、ファイナルの舞台には練習中に起きた小塚崇彦選手との衝突事故によって首を痛めた状態で立つことに。
本領が発揮できない状態で、4位に終わります。
首の怪我が完治していない状態で臨んだ全日本選手権では意地の演技で3位表彰台。
世界選手権ではフリーの演技中にスケート靴のビスが外れるアクシデントに見舞われ、総合結果5位という結果に。
前年のバンクーバーオリンピックでメダリストになったことでモチベーション維持が難しくなり現役を続けるか否かも悩んでいたそうですが、自身の低迷する順位を見たことで気持ちが吹っ切れて現役続行を決意した高橋選手。
翌シーズンに向けてスケートの基礎を学び直し、柔軟性を上げるためにバレエを習い始めます。
2011-2012シーズン
GPシリーズ初戦のカナダ大会ではショートで2位につくも、フリーでカナダ代表のパトリック・チャン選手に逆転優勝されて3位に。
NHK杯ではショートで90点以上をマークし、総合得点では2位の小塚選手を24点以上引き離して4度目の優勝に輝きます。
全日本選手権ではフリーでジャンプを3本転倒しますが、90点台後半を獲得したショートの演技で逃げ切り2年ぶりの優勝を飾りました。
GPファイナルと四大陸選手権、加えて世界選手権の3大会はすべてチャン選手に一歩及ばない2位でしたが、国別対抗戦ではショートで歴代最高得点を記録。
フリーでも首位に立ち、チャン選手を抑えて優勝します。
2012-2013シーズン
GPシリーズは2戦とも総合2位。
7度目の出場となるファイナルでは、日本男子フィギュアスケート界において初の金メダルに輝きます。
全日本選手権では、ショートで後輩の羽生結弦選手に差をつけられて総合2位。
急遽ショートプログラムを変更して挑んだ四大陸選手権では7位に沈んでしまいます。
続く世界選手権も6位と伸び悩みますが、日本チームの主将として出場した4月の国別対抗戦では仲間のための演技を披露し優勝へ大きく貢献しました。
2013-2014シーズン
GPシリーズ初戦のアメリカ大会は4位と表彰台に届かず。
しかし、続くNHK杯のショートでは自己ベストを獲得し、フリーでも首位に立って優勝します。
進出を果たしたファイナルは、試合前の練習中に負傷したことにより欠場を発表。
怪我が完治しないまま迎えた全日本選手権では、ショートとフリー共にジャンプの転倒を重ねて5位という結果に終わりました。
ソチオリンピック代表入りは絶望的かと思われましたが、過去の実績が考慮されてギリギリ最後の3枠目に選出されます。
ソチオリンピックで使用予定の曲、『ヴァイオリンのためのソナチネ』の作曲家のゴーストライター問題により、一時はプログラム変更をささやかれた高橋選手。
しかし、曲目変更は行わずに試合に出ることを表明します。
自身3度目の出場となるオリンピック本番の舞台は、ショート4位で発進。
フリーではジャンプの失敗により、総合6位と表彰台入りを逃します。
帰国後、「右脛骨関節軟骨損傷及び慢性膝関節炎により、5~6週間の安静が必要」と医師から診断された高橋選手は、3月に開催予定の世界選手権への出場辞退と翌シーズン1年を通して休養に専念することを発表します。
休養中の現役引退発表
2014年10月14日、出身地である岡山県倉敷市で開催された「オリンピック入賞を祝う会」の中で高橋選手は突然の現役引退を表明。
その後、2015年4月から12月までニューヨークに留学して語学とダンスを学びます。
帰国後はアイスショーやダンスショーの他、テレビ番組の司会やフィギュアスケートの解説など幅広い分野で活躍。
現役復帰を決意した2018年
現役を引退してから約4年後の2018年7月1日、高橋選手は所属事務所を通して現役復帰を発表。
数か月後に開催される全日本選手権の最終グループ入りを目標に、予選の試合を順調に勝ち進んでいきました。
宣言通り、最終グループ入りを果たして見事2位に輝いた彼は6年ぶりの表彰台へ。
その後、世界選手権の出場候補として選出されますが若い選手たちのために辞退を申し出た高橋選手。
「今後については何も決めていない」けれど、「ファンの前で演技する意欲が一層高まった」と語る彼からは翌シーズンも現役続行へ前向きな様子が伺えました。
2019-2020シーズン
2019年6月15日、高橋選手は昨年のような制限を設けずに世界に再挑戦することを表明。
しかし、9月になると自身の公式サイトで12月の全日本選手権を最後に男子シングルからアイスダンスの選手へ転向することを追加発表します。
現役アイスダンス選手の村元哉中選手と共に、2020年からアメリカを拠点に活動することを明らかにしました。
12月、男子シングルフィギュアスケート選手として現役最後となる全日本選手権が開幕。
ショートの演技では複数のジャンプを失敗し、14位と出遅れます。
フリーでも3アクセルの乱れの他、ミスを連発して総合12位という結果に。
しかし、プライドを捨てて今できることを精一杯やり切ったラストダンスに多くのファンが感動を与えられました。
2020年1月に行われたアイスショーではアイスダンス選手に転向してから初披露となる村元選手とのペアダンスに挑戦。
今後については、今月から始めたアメリカでの練習を通して基礎からアイスダンスを学び、最終的には北京オリンピックへの出場を目指しているそうです。
高橋大輔・魅力
世界一と称されるステップ
フィギュアスケートの演技においてジャンプ以外に重要視される表現面。
高橋選手のステップと伸びやかなスケーティングは、海外のスケートファンからも絶賛されています。
2018年の現役復帰シーズンに出場した全日本選手権でも、年齢やブランクを感じさせない最高難度のレベル4に該当するステップで会場を魅了しました。
影の努力を惜しまない
現役男子シングルフィギュアスケート選手時代、度重なる怪我に悩まされてきた高橋選手。
それでも彼は諦めずジャンプの練習が出来ない時間をバレエやダンスに充てる等、地道な努力を続けてきました。
それが今、誰にも真似できないほどの高い表現力に繋がっているのだと思います。
音楽を魅せる演技
全身を使ってどこまでも豊かに表現される演技からは、まるで音楽が彼と一体化しているような印象を受けるほど。
プログラムに使用する曲の特性や背景を追求し続け、その魅せ方を理解しているからこそ成せる業でしょう。
まとめ
今回は、昨年末に男子シングルのフィギュアスケート選手からアイスダンス選手に転向した高橋大輔選手の経歴や魅力についてご紹介しました。
幾度も怪我を乗り越え、表現力に磨きをかけてきた彼だからこそ出来る世界トップレベルのステップは日本人の誇りです。
その強みはアイスダンスの演技においても必ず活きてくると思うので、2年後の北京オリンピックの舞台で彼がペアの村元選手と共にどのようなスケーティングを披露してくれるのか楽しみに待ちましょう。
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