北海道のスポーツ選手って、ウィンタースポーツをやる人が多いのかな?
北海道には海外でも活躍している選手がたくさんいるよ!
今回はウインタースポーツを中心に、相撲、野球、ボクシングから有名選手を紹介するね!
目次
北海道出身スポーツ選手
千代の富士
相撲が盛んな北海道からは最多の8人の横綱が誕生しています。
そのなかでも昭和の大横綱と称されているのが、ウルフの愛称で親しまれていた千代の富士さんです。
人口約4,000人の福島町出身です。
優勝31回、通算1045勝、53連勝など数々の輝かしい成績を残し、国民栄誉賞も受賞。
漁師の家に生まれた千代の富士さんは、幼い頃から漁を手伝っていたことから足腰が強く、運動神経が抜群。
走り高跳びと三段跳びは、オリンピックも目指せるほどでした。
ただスリムな体型だったため、筋力トレーニングによって体脂肪約10%のアスリート同様の筋肉をつけて、得意の速攻と上手投げで大横綱になりました。
笠谷幸生
北海道といえばウインタースポーツのメッカですよね。
1972年の札幌オリンピックで、冬のオリンピック日本初の金メダルを獲得したのが、ジャンプの笠谷幸生さんです。
このとき金・銀・銅を日本選手が独占したことから「日の丸飛行隊」と名付けられ、日本のジャンプの黄金期が始まりました。
大江村(現仁木町)に生まれた笠谷幸生さんは、4歳からジャンプで遊び始め、スキーの名門校の余市高校(現余市紅志高校)に入学。
後輩には宇宙飛行士の毛利衛さんもいらっしゃいます。
葛西紀明
世界中のジャンパーの憧れ、レジェンドの葛西紀明さんです。
札幌オリンピック開催の1972年に生まれ、日本のジャンプが世界のトップだった頃全てを経験し、日本人初のワールドカップ総合優勝を果たした小林陵侑さんを育てた、まさしくレジェンドです。
人口約3200人の下川町で生まれた葛西紀明さんは、10歳でジャンプを始めると、中学生で3年連続で北海道を制します。
東海大四高校(現東海大学付属札幌高校)1年生から日本代表でしたが、それを自慢することは無かったそうです。
明るくて落ち着きがなくいたずら好きで、いつも飄々としているタイプだったとか。
その後は、1994年リレハンメルと2014年ソチで銀メダルを獲得、ワールドカップ日本人最多の17勝など、数々の輝かしい成績を残しています。
さらに凄いのは、 冬のオリンピックに史上最多の8大会に出場しながらも、2020年も現役選手を続けていることです。
42歳での最年長ワールドカップ優勝者と最年長メダリストなど、最高齢に関するあらゆる世界記録を更新中です。
舟木和喜
葛西紀明さんと並んで、日本のジャンプ黄金期を支えた舟木和喜さんは余市町出身です。
世界一美しいと称されたジャンプで、飛形点が審判全員が20点満点をつけることが度々ありました。
オリンピックや世界選手権など国際的な主要大会で、日本人で最多の金メダル5個を獲得しています。
ワールドカップでは総合2位を記録しました。
1994/1995シーズンのワールドカッププラニツァ大会ノーマルヒルに、19歳で初出場すると、バッケンレコードで初優勝という鮮烈なデビューを飾っています。
2008年から、余市町の名産のりんごを使ったアップルパイ「王様の工房」を、デパートなどで販売しています。
ジャンプ選手の引退後の就職先として始めて、売上の一部もジャンプ選手の育成などに寄付しているそうです。
高梨沙羅
女子ジャンプで圧倒的な強さを見せてくれているのは、上川町出身の高梨沙羅さんです。
1996年生まれですが、すでに男女通じてワ-ルドカップ歴代最多の56勝、女子最多の総合優勝4回を記録。
2歳からピアノ、3歳頃にバレエを始めると、その日できなかったことでも、次のレッスンまでには自分のものにしていたそうです。
お父さんとお兄さんもジャンプ選手だった影響もあり、8歳からジャンプも始めました。
2009年から国際大会に参戦し、国際スキー連盟公認大会での女子史上最年少優勝(13歳)、ワールドカップで日本人女子として初優勝、世界選手権で女子ジャンプ初のメダル獲得など、数々の記録を作っています。
岡部哲也
アルペンスキーのスラロームで、日本人で初めてワールドカップの表彰台に上ったのは、小樽市出身のオカテツこと岡部哲也さんです。
1988/1989シーズンのオップダール大会で、1秒以上の大差をつけて圧勝することが多かったアルベルト・トンバを抑えて、2本目に最速のタイムを記録して2位に入りました。
このシーズンに、アルペン選手の目標である上位15人の第1シードを獲得します。
1989/1990シーズンは、9レース中6レースで6位以内と抜群の安定感を見せて、総合7位に入りました。
北山中学ではサッカー部とスキー部の両方に所属しながら、全国中学生スキー大会でスラロームとジャイアント・スラロームの2冠を達成し、すぐにワールドカップの代表に選出。北照高校に入学するとまもなく、ヨーロッパを転戦するようになりました。
1995年に引退し、現在はサッカースクールで後進の育成に力を注いでいます。
川端絵美
大柄な体格ほどスピードが出るアルペンのダウンヒルで、唯一世界トップの成績を残したのが、愛称が「弾丸娘」の川端絵美さんです。
ワールドカップ、世界選手権、オリンピックの全てで日本人女子最高位の記録を持っています。
札幌市に生まれた川端絵美さんは、周りの子供たちと同じように自然にスキーを始めます。
中学3年生でフランスに留学し、本場の選手達と遜色のない滑りができることに自信をつけて、好成績に繋げました。
1993/1994シーズンのダウンヒル3位の記録は、ダウンヒルでは今後破られることがないだろうと言われています。
清水宏保
スピードスケート500mの元世界記録保持者で、ワールドカップ34勝を誇る清水宏保さんは、帯広市出身です。
162cmとスピードが出にくい小柄な体ですが、オリンピックで金・銀・銅の全ての色のメダルを獲得しています。
建設会社を営む家に生まれた清水宏保さんは、幼い頃から体が弱く、喘息やアトピー性皮膚炎を患っていました。
そのため体を鍛えようと、お父さんがスケートを始めさせたそうです。
1998年には日本初のプロスケーターとなります。
引退後は、整骨院や高齢者向け介護施設、フィットネススタジオなど、医療とスポーツに関わる事業を行なっています。
橋本聖子
女子スピードスケートの先駆者が橋本聖子さんです。
東京オリンピックが開催された1964年に生まれたことから、聖子と名付けられました。
実家は、スーパーカーの愛称で知られていた8戦8勝の競走馬マルゼンスキーのオーナー、早来町(現安平町)にあるマルゼン橋本牧場です。
1988年のカルガリーオリンピックで全5種目に出場し、全てにおいて日本記録更新と入賞を果たす。
1992年のアルベールビルオリンピックの1500mで、念願の銅メダルを獲得します。
夏のオリンピックも自転車選手として出場し、夏と冬で計7大会出場は日本人女子の最多記録となっています。
引退後は国会議員として、自民党参議院会長や内閣府特命担当大臣を勤めています。
高木美帆
スピードスケートの1500mの世界記録と、1000mと3000mの日本記録を塗り替えたのは、幕別町出身の高木美帆さんです。
北海道のほとんどの子供達と同じように、幼い頃から夏はサッカーで冬はスケートをしていました。
サッカーでも北海道選抜に選ばれるほどで、帯広南商業高校ではHIP-HOPダンスに熱中していましたが、最も成績の良かったスピードスケートを選んだそうです。
2018年の平昌オリンピックでは、1500mで女子個人として初めての銀メダル、1000mで銅メダル、団体パシュートで金メダルを獲得。
日本人女子選手で、夏と冬を合わせて初めて1大会で金・銀・銅のメダリストになりました。
2018年のスピードスケート最古の世界大会である世界オールラウンドスピードスケート選手権大会でも、男女通じて初の総合優勝を飾ります。
2018/2019シーズンのワールドカップ最終戦では、1500mの世界記録を樹立しています。
若松勉
北海道には多くのプロ野球選手もいます。
プロ野球で5,000打席以上の生涯最高打率を記録しているのが、留萌市出身の元ヤクルトスワローズの若松勉さんです。
長年にわたってレギュラーを張った選手のなかでの最高打率です。
社会人野球の選手だったお父さんの影響で、小さい頃から野球をはじめました。またノルディックスキーもして、バッティングに必要な足腰の強さを自然と身につけていました。
生涯ヤクルト一筋で、現役選手と監督の両方で日本一になりました。
首位打者を2回獲得、MVP1回、ベストナイン9回など多くの表彰も受けています。
佐藤義則
シーズン21勝での最多勝と最優秀防御率、奪三振王、新人王など数々のタイトルを獲得し、44歳まで現役を続けたピッチャーの佐藤義則さんは、奥尻町出身です。
41歳のときには、プロ野球初の40歳以上でのノーヒットノーランも達成。
現役引退後は投手コーチになり、メジャーリーガーのダルビッシュ有さん、田中将大さんを育てた名コーチとしても知られています。
日本ハムファイターズで指導を受けたダルビッシュ有さんは、楽天イーグルスに入団する田中将大さんに、当時一軍投手コーチだった佐藤義則さんの言うことは間違いない、とアドバイスを送ったほどです。
輪島功一
世界スーパーウェルター級のチャンピオンを3度獲得し、炎の男と称されていたのが、樺太出身の輪島功一さんです。
樺太がソ連に占領されたことから、士別市に移住します。
士別高校を中退して上京し、働きながら25歳でプロボクサーになりました。
「カエル飛びパンチ」「よそ見パンチ」など、プロボクシングではありえない変則的なパンチが得意技です。
お笑い向きの明るいキャラクターで、関根勤さんからものまねされたり、とんねるずの「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」にも出演するなど、バラエティ番組の常連でした。
引退後は、だんごの輪島の経営や、輪島功一スポーツジムの会長を勤めています。
最後に
雄大で厳しい自然の北海道出身のスポーツ選手の強さの理由は、自然に負けないメンタルとハングリー精神かもしれませんね。
大らかで明るい方が多いことも、好成績に繋がっているようです。
今回は以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。