雪深い青森県は、以前からウインタースポーツや屋内スポーツが強く、近年では設備の充実によって、サッカーや陸上など屋外スポーツでも好成績をあげています。
今回は、青森県出身のスポーツ選手特集です。
目次
青森県出身のスポーツ選手まとめ
三浦雄一郎
80歳でのエベレスト登頂世界最高齢の記録を持つ三浦雄一郎さん。
世界最高地点のエベレスト8000mからの滑降でギネス認定、世界スピードスキー選手権を世界記録で優勝など、これら全てが青森市出身のアドベンチャー・スキーヤーの三浦雄一郎さんの記録です。
ご本人だけでなく家族もすごいんです。
お父さんの敬三さんは99歳でモンブラン氷河から滑降を達成、次男の豪太さんはスキーのモーグルでオリンピックに出場しています。
幼い頃は病弱だった三浦雄一郎さんがスキーを始めたのは、小学2年生のときです。
弘前高校在学中には県大会で優勝するほどになりました。
北海道大学獣医学部に入学し、26歳までは獣医をし、その後スキー学校を開校。
自由に動けるようになったことから、1962年に世界プロスキー選手権に参加すると、世界ランキング8位を記録。
1970年にはエベレスト8000mから滑降に成功し、その映像を映画にした「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST]が、なんとアカデミー賞記録映画部門を獲得します。
多才な三浦雄一郎さんは、現在は通信制のクラーク記念国際高等学校の校長も務めています。
柴崎岳
サッカー日本代表のMF柴崎岳さんは、青森県内でも有数の豪雪地域の野辺地町出身です。
現在はスペイン2部リーグのデポルティーボに所属しています。
小学生の頃から、抜群のサッカーセンスとスキルで有名な存在でした。
サッカーの強豪として知られる中高一貫の青森山田に進学します。
サッカー部の監督は、将来世界レベルの選手になると見抜き、1年生からレギュラーに抜擢します。
高校でも1年生で背番号10をつけて、全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝しました。
そして、高校2年生でJリーグの鹿島アントラーズと契約し、最優秀選手賞やJリーグベストイレブンを受賞するなど、スター選手に成長しました。
2016年のクラブワールドカップの決勝で、チームはレアル・マドリードに敗れましたが、柴崎岳さんは2得点などの活躍をし、その後スペイン2部のテネリフェに移籍しました。
そしてヘタフェを経て、デポルティーボに移籍し、2018年からは、いよいよ日本代表の中心メンバーとなっています。
伊調千春
レスリングの最強姉妹の伊調姉妹は、レスリングが盛んな八戸市出身です。
姉の千春さんは、世界選手権で優勝3回、オリンピックはアテネと北京の2大会連続で銀メダルを獲得しています。
お兄さんの影響から、5歳で八戸クラブでレスリングを始めました。
妹思いな性格で、2人でオリンピックで金メダルを取ることを目標に掲げます。
レスリング強豪校の京都の網野高校に進学し、全国高校選手権で2連覇を達成。
ですが、この頃から同じ八戸市出身の坂本姉妹が台頭してきたことで、苦戦します。
階級が同じお姉さんの坂本日登美さんには、高校では一度も負けたことがなかったのですが、東洋大学に進学してからは勝てなくなっていました。
アテネオリンピック出場のために、レスリングの名門中京女子大学に移ります。
世界選手権では7階級ありますが、オリンピックでは4階級のため、本来の51kg級から48kg級に変更して選考会を戦いました。
プレーオフの末に、当時世界王者の妹の坂本真喜子さんを破って、アテネオリンピックに出場しました。
引退後は、地元八戸西高校で保健体育の先生をしています。
伊調馨
3歳年下の妹馨さんは、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロと、女子個人史上初のオリンピック4連覇を達成しています。
世界選手権優勝10回、189連勝も記録。
霊長類最強女子の吉田沙保里さんにも引けを取らない強さですよね。
レスリングスタイルは、千春さんは攻めで、馨さんは守りのスタイルが特徴と言われています。
3歳で八戸クラブでレスリングをスタート。
練習をひたすらこなすのではなく、調子が良い日は追い込んで、やる気が出ない日はすぐに止めるという、オンとオフがはっきりしている練習で実力を付けていきました。
中学では、全国女子中学生選手権で2連覇。
馨さんは愛知県の中京女子大学付属高校(現至学館高校)に進み、全国高校選手権を2連覇します。
名門の中京女子大学でさらに実力をつけると、全日本選手権5連覇をはじめ、世界の主要大会でも優勝するようになりました。
八戸市民栄誉賞、青森県民栄誉賞、菊池寛賞、国民栄誉賞なども受賞しています。
斎藤仁
柔道男子95kg超級で、ロサンゼルスとソウルのオリンピック2大会連続金メダルを獲得した斉藤仁さんは、青森市出身です。
柔道を始めたきっかけは、テレビドラマの「柔道一直線」です。
筒井中学校で柔道部に所属し、3年生のときに県大会で優勝します。
東京の国士舘高校に進み、インターハイの団体で東京勢初の優勝を達成など、国士舘大学在学中には次々と結果を残します。
1年生で出場した全日本学生選手権で、当時最強の柔道家山下泰裕さんに僅差で敗れる準優勝となり、ポスト山下が現れたと注目を集めました。
そして、その後全日本新人体重別選手権を3連覇しました。
卒業後は、世界選手権優勝やオリンピック金メダルなど国際大会でも好成績をあげます。
引退後は、国士舘大学の柔道部監督や全日本代表監督を務めます。
後輩達を指導していましたが、2013年に肝内胆管がんが見つかり、闘病の末2015年に死去。
長年の柔道界への功績から、2018年には国際柔道連盟の殿堂入りしています。
船木誠勝
1990年から2000年頃の格闘技ブームの中心だった総合格闘技団体パンクラス。
この団体を旗揚げしたのが、弘前市出身の船木誠勝さんです。
弘前大学教育学部附属中学校を卒業後に、新日本プロレスに入団しました。
武藤敬司さん、蝶野正洋さん、橋本真也さんなどプロレスを代表する方々と同期です。
当初は、本名の船木優治として活動していました。
藤原喜明さんに師事しているうちに、見世物としてのプロレスに疑問を感じ始め、緊張感のある試合が特徴のUWFに移籍します。
1990年に新UWF藤原組の旗揚げメンバーとなり、さらに格闘技に接近していきました。
そして1993年に、鈴木みのるさんとパンクラスを旗揚げしました。
ハイブリッド・レスリングとも称される、真剣勝負のプロレスが人気を博します。
パンクラスでは、最強の称号キング・オブ・パンクラシストを2度獲得。
また、掌底やアンクルホールドを、プロレスで一般的な技として広めました。
一度は引退してタレント活動もしていましたが、現役に復帰しています。
2017年からは松竹芸能に所属し、ジム運営など、多方面で活躍中です。
福士加代子
陸上の女子3000mと5000m、ハーフマラソン男女混合の15キロと20キロの日本記録保持者が、福士加代子さんです。
津軽平野中央に位置する、人口約13,000人の板柳町出身です。
中学ではソフトボール部でしたが、足が速かった為に陸上部からも勧誘されていました。
五所川原工業高校に進み、陸上部に入りました。
高校から本格的に始めた為に、全国では特に目立った成績を残すことはありませんでした。
ただ、インターハイの東北予選の800mで優勝した走りが、会場に来ていたた陸上関係者から高い評価を得ます。
卒業後に強豪のワコールに入社すると、日本選手権の5000mと10000mの二冠に輝くなど、潜在能力が一気に開花しました。
そしてアテネオリンピック出場しましたが、怪我の影響もあり27人中26位と惨敗。
その後に長距離王国のエチオピアで合宿を行い、スーパースターのハイレ・ゲブレセラシェから直接アドバイスをもらっています。
オリンピックはこれまで、アテネ、北京、ロンドンの3大会は長距離、リオオデジャネイロはマラソンで、4大会に出場しています。
世界陸上では銅メダルを獲得していますが、オリンピックでは10位が最高成績です。
2020年の東京オリンピックに更新の期待がかかります。
最後に
海に囲まれて山もある青森県は、美味しいものがたくさんあります。
そして、じょっぱり(頑固、辛抱強い)精神でも有名です。
美味しい食べものと困難に立ち向かう精神力が、青森県から多くの有名スポーツ選手が誕生している理由です。
今回は以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。