かつてイギリスのパンクバンドThe Jamが「この街で輝いているのは25歳以下のやつらばかりだ」と歌ったように、若者の音楽というイメージが強いロック。
多くのロックミュージシャンが初期衝動に突き動かされるかのように10代のうちに楽器を手にし、仲間たちとバンドを結成しています。
10代でプロデビューを果たす才能溢れるミュージシャンも決して少なくありません。
そんな中、28歳にして初めて組んだバンドで、FUJI ROCK FESTIVALやアメリカの音楽フェスティバルSXSWに出演するなど「遅れてきた青春」を謳歌しているバンドが音楽ファンの注目を集めているのをご存知でしょうか。
そのバンドの名はTENDOUJI(テンドウジ)。千葉県出身の4人組ロックバンドです。
海外のグランジ/オルタナティヴバンドからの影響を公言している彼らですが、パワーポップやハードポップと呼ばれても不思議ではないほど魅力的なメロディを武器に、遅いデビューというハンデを物ともせずシーンで頭角を現しました。
シーン屈指の愛されバンドと評されることの多いTENDOUJIの底知れぬ魅力をご紹介します。
目次
TENDOUJI(テンドウジ)
- アサノケンジ / ギター、ヴォーカル
- モリタナオヒコ / ギター、ヴォーカル
- ヨシダタカマサ / ベース
- オオイナオユキ / ドラム
TENDOUJIは上記4人から成るオルタナティヴ・ロックバンドです。
2014年3月に中学校の同級生であるアサノ、モリタ、ヨシダの3人で結成され、ごく初期はモリタがドラムを叩いていましたが、中学の1年後輩でドラム未経験のオオイを加入させ、現在のラインナップになりました。
冒頭でも触れたように28歳でバンド初体験となった彼らですが、23歳の時に「バンドをやろう!」と思い立ち、地元のライヴハウスに出演してアメリカの伝説的グランジバンドNirvanaのコピーを演奏したことがあると語っています。
そのまま本格的なバンドへ発展させるべく、アサノ、モリタ、ヨシダはそれぞれオリジナル曲を作ることを約束し合いました。
深夜のガストに集まり、お互いが録音したテープを聞かせ合った彼らでしたが、真面目に曲を作ってきたアサノとモリタに対し、なんとヨシダは映画館のテーマ曲をふざけて歌っている様子を吹き込んできただけ。
バンド活動に対して前向きだったアサノとモリタは、このヨシダの不真面目な行動にひどく落胆し、この計画は立ち消えとなってしまいました。
しかし、5年後にあらためてバンドをやろうという話になった時、「やっぱり声をかけるのはヨシダしかいなかった」というのですから、3人の絆は本当に強いものがあるのでしょう。
ちなみにこの時にアサノが作った“LIFE-SIZE”、モリタが作った“HAPPY MAN”はTENDOUJIの楽曲として後に日の目を見ています。
歌詞を英語で書く理由として、「長年の友達同士だから(素直な気持ちを)日本語で書くのが恥ずかしい」というなんとも可愛らしい理由を挙げており、この回答からも普段の彼らの空気感が伝わってくるようです。
ライヴを観た人から「本当に楽しそうに演奏している」と評されることも多いTENDOUJI。
大好きな友人たちと憧れだったバンドをやれている喜びが彼らの最大のモチベーションなのではないでしょうか。
TENDOUJI(テンドウジ)・メンバー
TENDOUJIのメンバーの詳細なプロフィールは公開されていませんが、本名をカタカナ表記にしたと思しき名前、千葉県松戸市が出身地であること、アサノケンジの生年月日などは公開されているので、それほど高い匿名性を希望しているわけではない。
Wikipedia上のアサノケンジの欄だけ異常に詳細な記述がなされており、その内容の細かさから本人もしくは本人に極めて近い人が書いている可能性も…。
ヴォーカルはアサノとモリタが担当しており、基本的に自分が書いた曲は自分で歌うというスタイルになっています。
ステージ上ではアサノが下手、モリタが上手、ヨシダが中央というフォーメーションです。
アサノケンジ / ギター、ヴォーカル
髭がトレードマークのアサノケンジは、モリタと共に作詞・作曲を担当しています。
バンド活動はTENDOUJIが初めてですが、子供の頃にクラシックギターを習っていたり、高校生の時には友達とMONGOL800のコピーをしたりと楽器を演奏する機会はそれなりにあったようです。
TENDOUJIを結成するまでは地元でバイトをしながら生活していたアサノは、実家がお金持ちであることを公言しています。
(メンバーはアサノの懐具合まで把握しているとか…)
豪快そうに見えるアサノですが、バンドを始めた当初に出演したライヴのリハーサルが上手くいかず、ライヴハウスの駐車場で号泣したことがあるなど繊細な一面を持っています。
遅れて会場に到着したモリタは、なぜか駐車場で泣きじゃくっているアサノの姿を見て「このバンドは売れない」と確信したそうです。
モリタナオヒコ / ギター、ヴォーカル
カンフー×リッケンバッカー
11月1日 0:00 pic.twitter.com/ZvpX9y2SPc— TENDOUJI モリタナオヒコ (@tendoujinao) October 30, 2019
アサノと同じく作詞作曲を担当するモリタナオヒコは、TENDOUJI結成当初はドラム/ヴォーカルを担当していましたが、オオイ加入後にギターへ転向しています。
バンドを結成するまで楽器経験はほとんどなかったものの、TENDOUJIのギターリフすべてを考えるなど卓越したセンスの持ち主です。
7歳までシアトルに住んでいた帰国子女で、大学を6年かけて卒業した後は「音楽に関わる仕事がしたい」という思いからレコード会社へ就職しています。
安定した仕事でしたが、TENDOUJI結成後はバンド活動の方が楽しくなってしまい、1年間音楽だけに没頭しても大丈夫な額の貯金ができたタイミングで退職。
以後はフルタイムのミュージシャンとしての活動を続けています。
本格的にバンドをやろうと思ったきっかけとしてYogee New WavesとHAPPYの名前を挙げており、この音が売れているなら自分の音楽もイケるかもしれない、と自信を抱き、バンド結成へ舵を切っていきました。
ちなみにこの2組を教えてくれたのはモリタの当時の彼女で、「俺もバンドをやらないと彼女をバンドマンに取られてしまう!」と焦ったとか。
また、2014年のFUJI ROCK FESTIVALでYogee New Wavesを観たこともバンド結成のモチベーションになったことを明らかにしています。
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ヨシダタカマサ / ベース
ライヴではステージ中央に陣取るロン毛のベーシスト、ヨシダタカマサ。
23歳の頃に持ち上がったバンド結成話を不真面目な態度で台無しにしてしまったヨシダですが、その5年後にあらためてバンド結成を持ち掛けられた際には、その翌日に仕事を辞めるという驚異的な決断力の持ち主でもあります。
素肌にオーバーオールというスタイルで演奏することもあり、フラワーカンパニーズのグレートマエカワだけだった「裸オーバーオールのベーシスト」人口を増やすことに貢献しています。
メンバーからの信頼も厚く、バンドの金銭面の管理も任されているようです。
オオイナオユキ / ドラム
#新しいプロフィール画像 pic.twitter.com/D7o1QFup20
— オオイ ナオユキ (@TendoujiN) September 17, 2019
ドラムを担当するオオイナオユキは他の3人の1年後輩で、一番最後にTENDOUJIに加入したメンバーです。
オオイはドラム未経験でしたが、「顔が良くて運動神経がいいやつを入れたい」というメンバーの意向により、「それなら後輩のナオユキがいるじゃん!」とスカウトされました。
先輩たちに強引に引っ張られた形になったオオイでしたが、TENDOUJIの音源をすでにチェックして気に入っていたため、「やりたいです!」と即答だったとか。
オオイの他にもう一人ドラマー候補の後輩がいましたが、ルックスが良くないという理由で誘わなかったそうです…。
TENDOUJI(テンドウジ)・バンド名の由来
中学時代はメンバー全員がサッカー部に所属していたTENDOUJI。
大人になってからも地元の友達と「FC柑橘類」というチーム名でフットサルをやって遊んでいたそうです。
アサノはバンドも「FC柑橘類」名義で始めるつもりだったようですが、それにモリタは大反対。
モリタいわく当時の「FC柑橘類」は他人をディスって笑っているだけの怠惰なグループで、せっかく新しく組むバンドにそのネガティヴさを持ち込みたくなかったそうです。
とはいえ、当のモリタも「FC柑橘類じゃなければなんでもいい」といった感じで、みずからバンド名を提示しないあたりがTENDOUJIのゆるいノリをよく表しています。
結局、アサノが当時読んでいた本に出てきた天童寺という登場人物を非常に気に入っており、それをローマ字表記にしたTENDOUJIがバンド名となりました。
名付け親のアサノは「特に意味もないし、思い入れもない」と語っています。
アサノが読んでいた本は、故・中島らもの『今夜すべてのバーで』だと思われます。
主人公の壮絶なアル中ぶりを描いた同作には、主人公の亡くなった友人として天童寺不二雄という人物が登場し、その太く短い生きざまで読者に強烈なインパクトを残します。
TENDOUJI(テンドウジ)・経歴
結成初期
2014年3月、アサノ、モリタ、ヨシダの3人によって結成。
初期はアサノが漢字表記だったり、モリタがNAO名義だったりとメンバー表記が安定していなかった模様です。
2015年頃、ドラムにオオイを迎え現在のラインナップへ。
ライヴ会場で3曲入りのデモ音源を配布していたほか、同年9月には初のEP『Pretty! Pretty! Pretty!』を自主制作でリリース。
同作は現在までに在庫をすべて売り切り廃盤となっています。
自主レーベル設立~ファーストアルバム
2016年4月、自主レーベル・浅野企画を設立。以後、TENDOUJIのすべての作品は同レーベルからリリースされています。
28歳からのバンド活動という遅いスタートとなった彼らは、名のあるレーベルと契約することのメリットを認めつつも、“音楽で生活すること”を最優先に考えた結果、バンドの取り分が最大になる自主レーベルという道を選択したようです。
同年6月には2枚目となるEP『breakfast』をリリース。
リリースツアーやイベント出演などで知名度を広げていくことに成功しています。
2017年8月には待望のファーストアルバム『MAD CITY』をリリース。
メンバーの出身地である千葉県松戸市のネット上での愛称「MAD CITY」をそのままタイトルに冠した同作は評判を呼び、バンド初のワンマンライヴとなったツアーファイナルの新宿MARZ公演はソールドアウトの大盛況になっています。
夢の舞台へ
ファーストアルバム『MAD CITY』が高く評価され、大型フェスティバルへの出演本数が急増した2018年のTENDOUJI。
国内フェスはもちろんのこと、アメリカの大型フェスティバルSXSWに出演して海外ライヴデビューを果たすなど大きな飛躍を遂げました。
2018年11月リリースの4枚目のEP『FABBY CLUB』からはソニーミュージック内に設立された新マネージメント&レーベル「次世代ロック研究開発室」と手を組み、新たなフェーズへ突入。
同作は次世代ロック研究開発室の推薦でGREAT3の片寄明人をプロデューサーに迎えるなど新たな試みが功を奏し、格段にスケールアップしたサウンドが聴ける作品となっています。
2019年にはメンバーもファンだというスコットランドのベテランバンドTEENAGE FANCLUBのオープニングアクトを務めたほか、モリタがバンド結成を決意したきっかけのひとつとなったFUJI ROCK FESTIVALに初出演を果たすなど長年の夢を叶えた年となりました。
2020年6月に発売を控える両A面シングル『HEARTBEAT / SUPER SMASHING GREAT』は、梅雨時の憂鬱を吹き飛ばすカラフルな1枚になってくれることでしょう。
TENDOUJI(テンドウジ)・オススメ曲
グッド・メロディの宝庫TENDOUJIの名曲の中から選りすぐりのオススメ曲をご紹介します。
Killing Heads
2018年11月リリースのEP『FABBY CLUB』収録曲。
シンプルながらも中毒性の高いポップなメロディの魔法がかかったキラーチューンで、モリタのヴォーカルに合いの手を入れるような「Ah ah ah」という少し間抜けなコーラスがクセになります。
予備知識なしで聴いたら「有名な洋楽曲に違いない」と思い込んでしまうであろう普遍的なメロディを持った1曲です。
THE DAY
初の自主制作盤『Pretty!Pretty!!Pretty!!!』のオープニングトラックとなった楽曲で、2017年にリリースされた初のフルアルバム『MAD CITY』にも再録バージョンが収録されています。
センチメンタルなメロディや繊細なアルペジオなど80年代~90年代のUKロックからの影響を受けたであろうサウンドが琴線に触れまくる1曲となっています。
90年代のロックバンドのツアードキュメンタリーのようなMVが実に素晴らしく、彼らがバンドに対してどれだけロマンチックな憧れを抱いているのかが痛いほど伝わってきて涙が出そうになるほどです。
COCO
2019年11月にリリースされた初のシングル『COCO』の表題曲です。
銅鑼が鳴り響くオリエンタルなイントロにギョッとさせられますが、その後はしっかりとTENDOUJI印のメロディを堪能できるポップ・パンクに展開するのでご安心ください。
酷暑のタイで撮影したというMVも秀逸で、ドジなメンバーが繰り広げるドタバタ爆笑カンフー・アクション風に仕上がっています。
TENDOUJI(テンドウジ)・まとめ
遅咲きのロックバンドTENDOUJIをご紹介しました。
「売れたい」「金持ちになりたい」と商業的な成功を目標として挙げる彼らですが、その佇まいからは“大好きな仲間と大好きな音楽をやれている”ことに対するピュアな喜びが溢れ出ています。
彼らのその幸せが末永く続くよう、ひとりの音楽ファンとして願わずにはいられません。
聴く人すべてを笑顔にしてくれる愛されバンド、TENDOUJIのポップでカラフルな音世界に是非触れてみてください。
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