THE ALFEE(ジ・アルフィー)その半生は音楽と共に!バンド名の由来やメンバーは…?

THE ALFEE(ジ・アルフィー)その半生は音楽と共に!バンド名の由来やメンバーは…?

長寿バンドとしても有名なTHE ALFEE(ジ・アルフィー)桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦の3人で形成されたバンドは、結成当時から鮮烈なデビューを飾っていたわけではありませんでした。

数々の苦難に見舞われ、ライブハウスでの下積み時代を経て現在に至ります。

今回、そんなアルフィーの出来事についてまとめながら、バンド名の由来やメンバーのプロフィールを紹介します。

アルフィーのおすすめ曲も紹介しているので、ぜひご覧ください。

THE ALFEE(ジ・アルフィー)


THE ALFEE(ジ・アルフィー:以下アルフィー)の原型は、1973年に桜井賢、坂崎幸二(坂崎幸之助)、高橋志郎、三宅康太の4人によって結成されました。

しかしその後、高橋さんが脱退してしまいます。その後は3人で活動を続け、メンバー全員が明治学院大学へと進学したところ、同じく明治学院大学へ進学していた高見沢さんを坂崎さんが口説き落とし、メンバーの一員として加わりました。

1975年に三宅さんが脱退してしまい、その後は3人での活動を続けて現在に至ります。

アイドルフォークバンドとしてデビューして以降はロックの要素を取り入れ、その後はヘヴィメタルやプログレッシヴ・ロック、パンク・ロック、ダンスミュージックなどにも挑戦し、活動の幅を広げてきました。

2019年には結成から45周年を達成。昭和を代表するバンドとして活躍し、メンバー全員が還暦を過ぎた今でも、音楽業界の先陣を切る勢いでファンを盛り上げています。

バンド名の由来

現在でこそアルフィーというバンド名で通っていますが、結成当初のバンド名は別にありました。その名前というのが『コンフィデンス』です。

Simon&Garfunkel(サイモン&ガーファンクル)『ブックエンド』の歌詞にある「confidence」から抜き取ったものを使用していました。

しかし、コンフィデンスという名前は、株式会社オリジナルコンフィデンス(現:オリコン株式会社)や、音楽業界誌と混同する恐れがあるということで、バンド名を変更せざるを得ませんでした。

その後、バンド名を『シド』として活動していましたが、フランス映画に由来して事務所が『Alfie(アルフィー)』と表記したそうです。ちなみにシドというバンド名は『ドレミファソラシド』と赤坂TBS会館にあったお店の名前『シド』から命名したとのこと。

この当時のことをメンバーの坂崎さんは「着せかえ人形のようなものだった」と、上の言いなりでしかない現状に不満を抱いていたと語っています。

バンド名も曖昧なまま活動を続けてきましたが、結成メンバーでもある三宅さんが1975年に脱退し、3rdシングル『府中捕物控』がリリースされる直前に会社の意向で発売中止となる事態に見舞われます。

このことを機に所属レーベルとの契約を解除し、一時はレコード会社に所属しない日々が続きます。その間の活動は事務所の先輩である研ナオコ、由紀さおり、かまやつひろしなどのバックバンドを努め、ライブハウスに通い地道な活動を繰り返しました。

そんな地道な活動を続けてきたバンドですが、1979年に『Alfee(アルフィー)』と改称して再デビューを果たします。

さらに1982年に発売されたシングル『別れの衝動』以降は大文字で『ALFEE』と表記するようになり、後に『THE ALFEE』と表記するようになりました。

このような複雑な経緯があってのバンド名であるため、説明するのが面倒くさい時には『ある日』が訛って『アルフィー』となったと説明をしているようです。

THE ALFEEのメンバー

桜井賢(Vo./Ba.)

桜井賢(さくらいまさる)は埼玉県秩父市(旧:秩父郡荒川村)の出身。1955年1月20日生まれ、別名:祥寺張扇(ジョージハリセン)。アルフィーのボーカルとベースを主に担当しています。ライブでは基本的に左側に立っており、グラサンが印象的な人物です。

その見た目から近寄りがたく感じるかもしれませんが、ライブでのMCやコントでは積極的にボケを担当し、メンバーのフォローをするなど、何かと世話焼きで親しみやすい一面があります。
ちなみにチャームポイントのグラサンは、本人曰く「グラサンを外すのは人前でパンツを脱ぐより恥ずかしい」とのこと。

高校生時代にアルフィーの原型となるコンフィデンスを立ち上げた最古参の人物でもあり、メンバーからは「アルフィーの創設者」「創設者なのにいまだヒラ」「桜井あってのTHE ALFEE」と称されています。

坂崎幸之助(Vo./Gt./Per.)

坂崎幸之助(さかざきこうのすけ)は東京都墨田区の出身。1954年4月15日生まれ、別名:じょんれのん。また、本名は坂崎幸二(さかざきこうじ)。主にボーカルとアコギを担当しており、ライブでは真ん中に立って司会者的な役割を務めています。

フォークソングに関して非常に深い知識を持っており、フォークソングの特集番組の司会などを任されることもあります。また、当時のフォークミュージシャンと共演し、次世代にフォークソングを広める人物としても有名です。

音楽以外では趣味に爬虫類の採集やカメラ撮影、和ガラス、骨董品にも造詣が深く、アルフィーの音楽は知らなくても趣味関連で知っているという人もいるようです。

高見沢俊彦(Vo./Gt.)

高見沢俊彦(たかみざわとしひこ)は埼玉県蕨市の出身。1954年4月17日生まれで、本名は高見澤俊彦(たかみざわとしひこ)。別名:Takamiy、王子、ポール・マッカーサーなど。バンドでは主にボーカルとエレキギターを担当しています。ライブでは右側に立ってパフォーマンスを行います。

ひと目見れば高見沢さんと気付く派手さが特徴的で、まるでベルサイユのばら(ベルばら)の登場人物を彷彿とさせます。自身の服装だけでなく、愛用するギターにも天使の羽(通称:エンジェルギター)というこだわりを見せています。

明治学院大学に通っていた頃、音楽の道を諦めて教職の道を選ぼうとしていた高見沢さんを坂崎さんが誘ったのをきっかけにアルフィーとしての活動を始めました。

高見沢さんは当時の出来事を「悪いやつに引っかかっちゃってね」と語っています。

THE ALFEEの活躍とその魅力

鮮烈デビューとはならなかった10年間

1973年に結成され、その翌年の74年にデビューを飾ったアルフィー。

ビクター音楽産業から『浪漫派アルフィー』のキャッチフレーズを掲げ、アイドルフォークバンドとして活躍が期待されていたバンドでした。

デビューシングル『夏しぐれ』は、業界では注目のある作詞:松本隆、作曲:筒美京平を起用するほどで、アルフィーにかける期待値の高さが見て取れます。

しかし、実際のところはそれほど話題を集めることはなく、3rdシングル『府中捕物控』をリリースする直前で突如の発売中止。所属レーベルとの契約もなくなる始末。

その後は同じ事務所の研ナオコ、由紀さおり、かまやつひろしのバックバンドを担い、その傍らでライブハウスで腕を磨く日々を送り、そして5年後の79年に再デビューが決まります。

再デビューを果たすもそれほど目立った脚光を浴びることはなく、ヒット曲『メリーアン』をリリースしたのは、結成から10年が経過した83年の出来事でした。

2019年に結成45周年を記念したアルフィーですが、最近の活動だけを知っている世代からすると、そのような時代があったことには驚きでしょう。

ヒット曲無しで日本武道館公演

再デビューを果たし、ヒット曲『メリーアン』をリリースしたアルフィーは、1983年8月24日に初の日本武道館公演を行います。

今でこそ多くのアーティストが武道館でのライブを行っていますが、その当時の武道館といものはやはりことさらに特別な場所であり、日本人アーティストの中でもビッグネームに限られた聖地でもありました。

そのような場所にまだヒット曲を持たないアルフィーが立つというのは異例中の異例であり、ライブが成功するかどうかも怪しい状況でした。

しかし、10年という長い年月を経て、バンドを成長させてきた彼らにその心配は無用でした。ライブハウスの下積み時代で培ってきた動員力でファンを集め、武道館でのライブを成功させたのです。

この頃からロック調の演奏を行うようになり、演奏される楽曲では『ラジカル・ティーンエイジャー』『夢よ急げ』など、現在ではライブの定番曲となっているものが多数演奏されました。

目新しさのない楽曲でも色あせることなく、現在もファンを魅了できるのは、アルフィーの最大の魅力でしょう。

10年という重みを感じさせる武道館でのライブは、アルフィーのこれからの音楽性を決定づけるものとなり、彼らにとって本当のスタート地点であると同時に、本当のデビューだったのかもしれません。

ちなみにヒット曲『メリーアン』のリリースと武道館でのライブをきっかけに、アルフィーはその年の紅白歌合戦に出場することになります。

結成45周年!公演数2800以上!ギネス記録!

そんな紆余曲折の音楽人生を歩んできたアルフィーは、2019年には結成から45周年を迎えます。

紅白歌合戦に出場するきっかけにもなったヒット曲『メリーアン』に続いて、その翌年の1984年には『星空のディスタンス』『STARSHIP -光を求めて-』などのヒット曲を量産。

その勢いは止まることを知らず、TBSの『ザ・ベストテン』を筆頭に音楽番組の常連として名を馳せるようになります。また、バラエティ番組への出演も増加するようになり、音楽以外の方面でも知られるようになりました。

デビュー当時とは比べものにならないほど多忙な毎日を送るようになった彼らは、それだけでは満足せず、自分たちで積極的に動くことを忘れません。

1982年の夏頃から、全国を回るコンサートツアーを毎年行っています。基本的には春と秋のツアーが行われますが、細かいものを合わせるとその公演数は合計2800以上も開催しています。

辛い下積み時代を過ごしてきた彼らは、ファンの存在がどれだけ自分たちの励みであることかを知っています。45年間も走り続け、そしていまだ積極的に活動を続けているのは、そういったファンを想う気持ちからでしょう。

そんな長年ファンとともに走り続けてきたアルフィーには、もう1つ共に歩んできたものがあります。それが、『大阪国際女子マラソン』のテーマソングです。

大会は毎年1月下旬頃に開催され、1987年の第6回大会から2018年の第37回大会まで起用されました。30年以上にわたりランナーたちの熱い戦いを音楽で彩り続け、まさにアルフィーと共にあると言っても過言ではありません。

その功績は人々の記憶に残るだけに留まらず、記録としても残っています。「同一国際スポーツ大会のテレビ放送における同一アーティストによる最多テーマソング数」がギネス・ワールド・レコーズにより認められ、認定証を授与されました。

また、2018年のテーマソング『勇気凜々』をもって勇退することになった際は、その長年の歴史を振り返る特別番組『THE ALFEEが奏でた42.195kmの旋律』が放送されました。

「大阪国際女子マラソンといえばTHE ALFEE」と言われるほどで、高見沢さんはこれまで自分たちを起用してくれたことに「長い道のりを僕らも走ってきたし、マラソンの選手たちも42.195キロの長い道のりを走っていく。僕らの音楽人生とマラソンランナーっていうのがすごくリンクするんですよね。毎年毎年、『今年はこうやってみよう』という自分たちの気持ちを、マラソンに託すことができる」と語っていました。

THE ALFEEは様々な色を演出できる

アイドルフォークバンドとしてデビューしたアルフィーですが、当初はそれほど話題を呼ぶバンドではありませんでした。

その中で彼らはジャンルにこだわらないスタイルを確執しました。メインボーカルがいないバンドという特徴は、とくに印象的かと思います。

また、時代の流れとともにバンドの雰囲気とは真逆にも思えるアニメなどのタイアップを手掛け、代表的なのは国民的アニメでもある『ドラえもん』の主題歌『タンポポの詩』です。

ライブでは高見沢さんがドラえもん仕様のギターを使っていたことでも話題を呼びました。

それ以外にも千葉県船橋市の非公認マスコットキャラクター『ふなっしー』との共演を果たします。

高見沢さんは『ふな ふな ふなっしー♪』の編曲・プロデュースを手掛け、ふなっしーらしさを見事に演出し、アルフィーファンだけでなく、ふなっしーファンにも多くの反響を呼びました。

こうしたジャンルの垣根を超えて活躍ができるのも、アルフィーの魅力でもあります。デビューからの下積み時代は、本人たちが意図していないところで地力となり、現在までの活躍に結びついているのでしょう。

THE ALFEEのおすすめ曲

メリーアン


1983年にリリースされた、アルフィーのヒット曲の1つです。この曲が後に彼らを紅白歌合戦出場を決定づけました。

童話のようなファンタジーさが垣間見える楽曲は、幻想的な美しさすら感じさせます。

キャッチーなメロディーでありながら、その魅力に多くの人が虜となりました。様々な音楽性が取り入れられており、アコギとエレキのバランスの良さがこれでもかと濃縮されています。その時代の音楽としては珍しく、現在も含めて当時は異質な存在感を放っていました。

アルフィーにとってはまさに分岐点にもなりうる歌でもあり、未来を信じるというメッセージが強く反映されています。

希望の鐘が鳴る朝に


1999年にリリースされた『希望の鐘が鳴る朝に』は、まさに90年代の終わりを告げる楽曲とも言えます。

新しいことに挑戦するということは非常に難しいことです。しかし、アルフィーもまた同じであること、自分たちも挑戦をするから一緒に頑張ろうと言っているようにも感じます。

イントロからの弾き語りから、ロック調に切り替わる瞬間は曲に引き込まれるという表現がぴったりでしょう。勇気が欲しい時、少し迷って塞ぎ込んでしまった時などには非常に力を与えてくれる曲です。

サファイアの瞳


1987年にリリースされた『サファイアの瞳』は、アルフィーの中でもとくに疾走感と躍動感に溢れる楽曲です。

ライブによってアレンジが異なるのも印象的です。しかし、その中でもブラスバンドの存在感だけは常に保たれており、それがまた上手く曲に合わさり、より力強さを感じさせます。

アルフィーもこの曲にはブラスバンドを推したいのか、オリジナルの録音にはブラスが力強くアレンジされており、まさに弾むような曲に仕上がっています。

星空のディスタンス


『メリーアン』に続く1984年にリリースされた『星空のディスタンス』は、アルフィーを知らない世代でも多くの人が聴いたことがある曲ではないでしょうか。

この曲を聴くとつい星空を仰ぎたくなる気持ちになるでしょう。シンプルなエレキのサウンドですが、そのシンプルさがより心に浸透してきます。

この曲の面白いところは、ロックでありながら歌謡曲の一面も持っているところです。フォークソングからロック調までを手掛けてきたアルフィーだからこそ作り上げることができた楽曲でもあり、この曲を制作するためにどれほどの苦難を乗り越えてきたのかが、肌で感じれるかもしれません。

木枯しに抱かれて…


この曲はもともと小泉今日子さんの歌う楽曲で、作詞・作曲は高見沢さんが行いました。正式タイトルも『木枯しに抱かれて』ですが、アルフィーがカバーする際には末尾に三点リーダーを用いて『木枯しに抱かれて…』となっています。

小泉さんの大ヒット曲としても有名なこの楽曲は、民謡を思わせるようなテイストが随所に詰め込まれています。小泉さんの歌声も素晴らしいのですが、アルフィーのカバーした際の演奏で聴くと、全く別のものに感じます。

透明感のあるサウンドは様々な世代に歌い継がれており、古さと新しさが両立する楽曲です。年齢に関係なく、アルフィーを知りたい人にはぜひ聴いてほしい曲の1つでもあります。

衰えを知らないTHE ALFEE

メンバー全員が還暦を迎え、結成から50周年も目前となったアルフィーですが、その音楽はいまだ衰え知らずです。

また、メンバーの仲の良さもバラエティー番組を通じて知られており、これからも彼らの活躍には期待したいですね。

苦難を乗り越え、誰にも真似できない音楽を披露するアルフィーを皆さんもぜひ応援しましょう。

それでは、ここまでご覧いただきありがとうございます。


お詫びと訂正
初出時において、「高見沢さんは『ふな ふな ふなっしー♪』の作詞・作曲を手掛け」と記述しておりましたが、正しくは「高見沢さんは『ふな ふな ふなっしー♪』の編曲・プロデュースを手掛け」となります。
お詫びして訂正いたします。

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