フラワーカンパニーズ 結成30年を数える日本屈指のライヴバンドの経歴やオススメ曲は…?

フラワーカンパニーズ  結成30年を数える日本屈指のライヴバンドの経歴やオススメ曲は…?

2020年のエンタメ業界に大打撃を与えた新型コロナウイルス。

多くのアーティストが予定していた公演の延期・中止を余儀なくされました。

そんな状況の中、従来の公演の代替的手法として脚光を浴びたのが無観客ライヴの配信です。

本物のライヴと比べると臨場感不足という難点はあるものの、アーティストとファンを繋ぐ手段として注目を集めています。

すでに数多くのライヴが生配信されており、決して目新しい手法ではなくなりましたが、なんとキャリア最大キャパのライヴを無観客生配信で敢行しようというバンドが登場しました。

8月27日に横浜アリーナから無観客ライヴを生配信したのは、キャリア30年を誇るベテランバンド、フラワーカンパニーズ(以下、フラカン)です。

無観客の横浜アリーナにツアー用に使用しているハイエースで登場するという彼ららしいオープニングにニヤリとさせられたファンも多いでしょう。

今回はフラカンを知らない人でも絶対に配信ライヴを観たくなってしまう「フラカンの名曲10選」をテーマに、彼らの経歴や魅力をご紹介していきます。

フラワーカンパニーズ


バンドメンバー

  • 鈴木 圭介(すずき けいすけ) / ヴォーカル、ギター、ブルースハープ
  • グレートマエカワ / ベース
  • 竹安 堅一(たけやす けんいち) / ギター
  • ミスター小西(ミスターこにし) / ドラム

フラカンは1989年の結成以来、不動のメンバーで活動を続けています。

愛知県名古屋市で結成されたフラカンは、ベースのグレートマエカワが自身の中学時代・高校時代の同級生に声を掛けたことがきっかけで誕生しました。
関係性を簡単に整理しておくと下記の通りです。


・鈴木、マエカワ、小西の3人が中学校の同級生
・マエカワ、竹安の2人が高校の同級生

大学に進学してからも高校時代に組んだバンドを続けたかったマエカワでしたが、他のメンバーの都合で計画は頓挫。ギタリストの竹安のみが残る形になりました。

そこで、別のバンドで活動していた中学時代の友人、鈴木と小西を誘ってセッションをしてみたところ、思いのほか良い手ごたえがあり、いつしかオリジナル曲のレパートリーを数多く持つまでに。

初めてフラカンとしてステージに立ったのが1989年8月のこと。
以後30年以上に渡り、彼ら4人は人生の半分以上を共に音楽に捧げ続けています。

「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!」

自分たちをそんな三段オチで自虐的に(そして少し誇らしげに)評する彼らですが、凡百のバンドならとっくに解散していても不思議ではない山あり谷ありのバンド人生を4人5脚でドタバタと乗り越えて来ました。

自分の情けなさもかっこ悪さもすべて認めて、それでも明日に向かって次の一歩を踏み出そうとする4人組。

それがフラカンという愛すべきロックンロールバンドなのです。

フラワーカンパニーズ・メンバー

鈴木 圭介(すずき けいすけ) / ヴォーカル、ギター、ブルースハープ

フラカンのフロントマンでもあり、ほとんどの楽曲の作詞・作曲を手掛けるメインソングライターでもある鈴木 圭介

マエカワにMCで身長をいじられることもありますが、小さな身体に秘めたエネルギーは尋常ではありません。
ステージ上をところ狭しと駆け回り、血管が切れんばかりの勢いで絶唱するその姿はフラカンの代名詞のひとつでもあります。

MEMO

ステージ上で顔面を負傷するというアクシデントに見舞われたことがありましたが、それを物ともせず熱唱し続けたライヴは伝説となっています。

グレートマエカワ / ベース

フラカンの頼れるリーダー、グレートマエカワ

トレードマークのオーバーオールに身を包み、軽やかなステップを踏みながら図太いベースラインを紡ぎ出すリーダーの姿に父性を感じるファンも多いでしょう。

話術には定評があり、MCコーナーにおける鈴木との掛け合いの妙はすでに漫才の域に達しています。

MEMO

オーダーメイドで作ったオーバーオールも多数所有しており、その中には“馬革オーバーオール”というとんでもない逸品も。

竹安 堅一(たけやす けんいち) / ギター

明るく陽気なフラカンメンバーの中で、ただひとり大人しげな雰囲気を漂わせているのがギタリストの竹安 堅一です。

しかし、いざ演奏が始まるとその印象は一変。
ダイナミックにビブラートをかけながらギターをかきむしるその姿に驚かされるでしょう。

MEMO

MCでは鈴木&マエカワにいじられることも多く、ある時にはステージ衣装として着ていたシャツを「トビウオみたいで変だ」といじられまくった結果、ライヴ中に楽屋に戻ってお色直しをして来たことも…。

ミスター小西(ミスターこにし) / ドラム

パワフルなドラミングでフラカンサウンドの土台を支えるミスター小西は、弾ける笑顔がチャーミングなスタードラマー。

整備士を思わせるツナギを着て演奏する姿も印象的です。

フラカンのドラマーとしてこれまで1本のライヴも欠席することなく…

と言いたいところですが、2010年9月に某フェスティバルの打ち上げの席で“ジャンピング乾杯”をした際に右足を骨折。

ピンチヒッターとしてThe Birthdayのクハラカズユキ、ウルフルズのサンコンJr.を迎えてツアーを乗り切ったというエピソードの持ち主でもあります。

MEMO

“ジャンピング乾杯”を考案したのは、大ベテランロックバンド・怒髪天の増子直純だとか…。

フラワーカンパニーズ・経歴

スペースの都合上、30年以上に渡るフラカンの歴史を事細かに振り返ることはできませんが、結成から現在に至るまでの流れを簡単にご紹介しましょう。

彼らがどのような道を経て横浜アリーナという大舞台へたどり着いたのか。

フラカンのこれまでの歴史を知ることによって、それがどれほど凄いことなのか理解できると思います。

花のメジャーデビュー

1989年4月23日、愛知県名古屋市でフラワーカンパニーズ結成。(以降30年以上に渡り、メンバーチェンジおよび活動休止は無し。)

デモテープ作りやライヴ活動に明け暮れる日々で腕を磨いたフラカンは、1990年に出場したバンドコンテストで見事に優勝を果たし、レコード会社の新人発掘担当者の眼に留まることに。

1992年にソニー系例のインディーズレーベルから初のアルバム『聞コエマスカ』をリリース。

MEMO

『聞コエマスカ』は現在では入手困難となっており、高額で取引されています。
また、公式サイトではアルバムとしてカウントされておらず、メジャーデビュー作を“1stアルバム”として紹介しています。

プロミュージシャンになる意思を固めたメンバーはアルバイトで生計を立てながらバンド活動を続け、1994年初頭にデビューを目指して上京を果たしました。

1995年5月21日、アンティノスレコードからアルバム『フラカンのフェイクでいこう』でメジャーデビューし、プロとしてのスタートを切ったフラカン。

しかし、ライヴバンドとしての評価とは裏腹に大きなヒットに恵まれない日々を過ごすことになります。

2000年発表のアルバム『怒りのBONGO』までアンティノスレコードから6枚のアルバムをリリースしましたが、レコード会社が期待したほどの結果を残せず、7枚目となるアルバムの制作中に契約解除を言い渡されてしまいました。

MEMO

後年のライヴで1stアルバムの1曲目に収録された“むきだしの赤い俺”を演奏する際、彼らは当時を振り返って「デビューアルバムの1曲目にこんな“ど下ネタ”の曲を入れるバンドが売れるわけない」と自虐的に語っていました。
(“むきだしの赤い俺”自体は非常にかっこいいヘヴィブルーズ風の楽曲です。)

メジャーからドロップ~インディーズへ

2001年3月、1995年から在籍したアンティノスレコードを契約解除となったフラカン。

21世紀最初の年を先行き不透明な形でのスタートを余儀なくされました。

そんな中、アンティノスレコード時代のディレクターが立ち上げた新規レーベルであるトラッシュ・レコーズと契約し、作品をリリースする環境を整えることに成功しました。

周辺スタッフを雇う予算はないため、マネージャー業はリーダーであるマエカワが兼務。

バンドの金銭管理やライヴのブッキングをマエカワが担い、メンバーで機材車を運転して全国各地のライヴハウスを回る日々が始まりました。

MEMO

メジャー時代と比較してライヴの動員数がかなり低下するなど苦労も多い時期でしたが、ツアーをDIY方式で回るというノウハウを確立したことが“日本最強のツアーバンド”のひとつであるフラカンの財産となっています。

年間100本以上のライヴをおこなうなどライヴバンドとしての強みを生かして精力的に活動を続けていた彼らにひとつの転機がやって来ます。

2004年にリリースしたシングル“深夜高速”が評判を呼び、バンドの人気が少しずつ上向きになってきたのです。

元々は会場限定で販売していた“深夜高速”でしたが、ライヴを観て感動したお客さんが終演後の物販に殺到。

そのあまりの人気ぶりに全国流通シングルとしてリリースされるまでになりました。

2004年11月には“深夜高速”を収録した名盤10thアルバム『世田谷夜明け前』、2006年7月にはエネルギッシュな11thアルバム『脳内百景』を発表。

両作とも大きなセールスには結び付かなかったものの、フラカンが大きな飛躍を遂げる準備ができていることを感じさせるに十分なクオリティを備えていました。

バンドの調子が上向きになるにつれ、インディーズレーベルの宣伝力などに限界を感じるようになっていたフラカンはトラッシュ・レコーズからの離脱を決意。

2008年、メジャーレーベルに勤務する旧知のプロデューサーからの誘いに乗り、約7年ぶりに奇跡のメジャー復帰を果たしました。

メジャー復帰~夢の武道館

2008年11月、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズから12thアルバム『たましいによろしく』を発表し、メジャー復帰を果たしたフラカン。

バンド結成20周年を目前にして見事に低迷期を脱出してみせました。

20周年を迎えた2009年には自身初となるトリビュートアルバム『深夜高速 -生きててよかったの集い-』を発売。

同作はなんと全13組のアーティストが“深夜高速”1曲をそれぞれの手法でカバーするという異色の内容のトリビュートアルバムとなりました。

MEMO

フラカン自身は、オリジナルバージョンと2009年再録音バージョンの2曲で参加しています。

2010年にはドラマーのミスター小西がジャンピング乾杯で右足を骨折するというアクシデントがあったものの、治療・リハビリを経て無事に復帰。

同年発表の13thアルバム『チェスト! チェスト! チェスト!』はオリコン最高39位、2012年発表の14thアルバム『ハッピーエンド』は最高23位とチャートアクションでも健闘を見せています。

2015年12月19日には結成26年にして初の日本武道館公演を開催。

ソールドアウトとなった日本武道館のステージに立った彼らは、日本全国から集まったファンやバンドマンが見守る中、肩肘張らない“いつものフラカン”を見せてくれました。

MEMO

“いつものフラカン”というのは、つまり最高のライヴだったということです。
筆者も日本武道館に駆け付けたひとりですが、後方を確認せずに勢いよく後ずさって来た鈴木を「お前の動きなんてお見通しだ!」と言わんばかりにサッと避けてみせたマエカワの姿に、彼らが過ごしてきた26年という月日が見えたような気がして涙が止まりませんでした。

再びインディーズへ~初の横浜アリーナ公演

日本武道館というアーティストであれば誰もが憧れる夢の舞台に立ったフラカン。

このままメジャー街道をひた走り…と思いきや、2016年に再びインディーズの世界へ身を投じる決断をします。

2017年には自主レーベルとなるチキン・スキン・レコードを設立し、以降『ROLL ON 48』(2017年作)と『50×4』(2019年作)の2枚のアルバムをリリースしています。

2001年にメジャーとの契約を失った時とは違い、今回は「自分たちの活動スタイルがより輝くのはインディーズだ」という判断があってのインディーズ移籍です。

メジャーとインディーズ、それぞれのメリット・デメリットを嫌というほど実感してきた彼らだからこそ出来た決断だと言えるでしょう。

2020年8月27日には、キャリア最大キャパとなる横浜アリーナからの無観客配信ライヴ「フラカンの横浜アリーナ -リモートライヴ編- 〜生き続けてる事は最大のメッセージ!〜」を開催。

新型コロナウイルスの感染拡大でライヴ活動がままならない状況の中、「明るい話題を作りたい!」という思いで開催を決断したことを明らかにしています。

「ライヴが出来ないなら曲を作ればいいじゃない」と言わんばかりに創作モードに突入した彼らは、12月23日にアルバム『36.2℃』をリリース。

20曲以上の中から選りすぐった10曲が収録された同作は、どっしりと地に足の着いた力作に仕上がっており、「やるべきことをやればいいんだよ」という彼らの声が聞こえてくるよう。

数々の逆境を生き抜いてきたフラカンの生命力は並ではありません。

フラワーカンパニーズ・おすすめ曲

30年のキャリアの中で17枚のアルバムをリリースしているフラカン。

各アルバムから1曲ずつ選んでいっても17曲になってしまう計算ですが、数々の名曲の中から無理やり「おすすめ曲10選」をセレクトしてみました。

気になる曲があったらその曲が収録されているアルバムも手に取ってみてください。

きっと新たなお気に入り曲が見付かるはずです。

深夜高速 (2009)

2004年発表の11thアルバム『世田谷夜明け前』収録の大名曲を挙げないわけにはいきません。

「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!」なフラカンですが、この“深夜高速”がいわゆるヒット曲に一番近い楽曲だと言えるでしょう。

鈴木が人生のどん底にいた時に書かれた楽曲で、彼の痛みと苦しみに満ちた絶唱が胸をえぐります。

今回ご紹介するのは2009年に再録されたバージョンのMVで、ライヴ中に負傷して血まみれになった鈴木の伝説的エピソードをオマージュした内容になっています。

MEMO

ライヴのハイライトのひとつになる楽曲ですが、意表をついて1曲目に演奏される日や逆に演奏されない日があるなど、演奏タイミングが読みづらい曲でもあります。

元少年の歌

2010年発表の13thアルバム『チェスト! チェスト! チェスト!』からのシングル曲です。

大人の顔をして社会で戦っているすべての人にそっと寄り添ってくれる優しいロックンロール曲についつい涙腺が緩んでしまうファンも多いはず。

<倒れたってかまわない / またやり直せばいい>というフレーズには、これまでのフラカンが歩んできた奮闘の歴史すべてが詰まっているようです。

この胸の中だけ

メジャー復帰作となった2008年発表の傑作12thアルバム『たましいによろしく』収録のシングル曲です。

レゲエ風のアレンジがなんとも朴訥な雰囲気を醸し出す“この胸の中”だけは、かつて通っていた小学校の校庭に忍び込んだ主人公が、どこからともなく現れた子供の頃の自分と会話をするという内容になっています。

夜の校庭を描写した歌詞は秀逸で、たまらなくノスタルジックな気分にさせられてしまいます。

MEMO

鈴木のひとり芝居で演じられる子供の頃の自分との対話シーンは、元々は警察官との職務質問になるはずだったそうです。
そのバージョンも聴いてみたいですが、コントのような雰囲気になってしまいそうです…。

靴下

1997年にリリースされたシングル曲で、オリジナルアルバムには未収録。

4thアルバムの再発盤『マンモスフラワー+6』やベストアルバムなどで聴くことができます。

ミッドテンポで哀愁漂うブルージーな“靴下”は、生きづらさや世間からの疎外感を取り込み忘れた靴下に例えるというなんともフラカンらしい“庶民的”な歌詞を持った名曲です。

ボブ・ディランの“Blowin’ in the Wind”を彷彿とさせるフレーズも登場しますが、哲学的なようなで哲学的でない中途半端さもフラカンらしいところでしょう。

ハイエース

2017年リリースの16thアルバム『ROLL ON 48』で重要な位置を占めるフラカンの新たな代表曲。

ハイエースに乗って日本全国をツアーするフラカンの人生そのものが歌われています。

ツアー生活のことを歌った曲は数あれど、<できなくなるまで / できなくなるまで>と生涯ツアーバンド宣言をしてしまうのはフラカンだけでしょう。

メンバー自らハンドルを握り、機材の積み下ろしなどをおこなっている姿を収めたドキュメンタリータッチのMVも必見です。

はぐれ者讃歌

第1期インディーズ時代最後の作品となった2006年発表の11thアルバム『脳内百景』収録曲。

人生に対する投げやりな諦観と決して明るくはない曲調に気が滅入りそうになりますが、<歌うしかないんだよ / みんな / 自分の歌を>という結論にたどり着いた鈴木の「歌えー!」に応えてオーディエンスが声を張り上げる光景はフラカンライヴの真骨頂です。

アウトロ部分で聴ける竹安の歯を食いしばったような入魂のギターソロも絶品。

東京タワー

2003年発表の9thアルバム『東京タワー』のタイトルトラック。

入院中の気分転換で東京タワーに立ち寄った鈴木が、その圧倒的な存在感に感銘を受けたことで誕生した楽曲です。

誰からも忘れられたような存在としてインディーズでくすぶっていた当時の自分たちと観光名所としてはとっくに時代遅れとなった東京タワーの姿を重ね合わせたのでしょう。

それでも腐ることなく凛とした姿で堂々と立ち続ける東京タワーに対する憧れを飾り気のないまっすぐな言葉で歌っています。

語りのような鈴木のヴォーカルはキャッチーとは言えませんが、いつしかその熱量の高さに引き込まれ、「HEY HEY HO!」と拳を突き上げている自分がいるはずです。

サヨナラBABY

2008年発表の12thアルバム『たましいによろしく』の最後を飾るハートウォーミングな名曲が。

ライヴの締めくくりとして演奏されることも多く、オーディエンスの手拍子と合唱は欠かすことのできない要素です。

最後の「ラーラーララララーラ」のメロディは是非覚えておいてください。

脳内百景

2006年発表の11thアルバム『脳内百景』のタイトルトラック。

ライヴで絶大な盛り上がりを見せるフラカン屈指のロックソングです。

イントロが始まったが最後、鈴木と一緒に左右に揺れながら踊りまくるしかありません。

この“脳内百景”が気に入った方は、アルバム『チェスト! チェスト! チェスト!』のタイトルトラック“チェスト”あたりもお気に召すはずです。

真冬の盆踊り

2003年発表の8th『発熱の男』からのシングル曲。

“深夜高速”がフラカンのシリアス面を代表する楽曲だとしたら、この“真冬の盆踊り”はフラカンの陽気な面を象徴する楽曲だと言えるでしょう。

フラカンをまったく知らない人までもを「ヨサホイ ヨサホイ ヨサホイのホイ!」と問答無用で踊り狂わせてしまう最強のパーティーチューン。

周りの人の手の動きを真似しながらフラフラになるまで踊り狂ってください。

フラワーカンパニーズ・最後に

「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!」のキャッチフレーズを掲げ、30年以上に渡ってステージ上で等身大の自分たちをさらけ出し続けるロックバンド、フラワーカンパニーズをご紹介しました。

キャッチフレーズにもある通り、誰もが知っているようなヒット曲を持たない彼らですが、彼らのライヴでは演奏されるすべての楽曲がキラーチューン。

そのライヴバンドとしての腕前は折り紙付きです。

新型コロナウイルスが終息し、フラカンがあなたの街までやって来る日に備え、今から彼らの音楽を予習しておくというのはいかがでしょうか。

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