男闘呼組メンバーのプロフィールや現在を徹底解説!伝説のアイドルバンドグループ

男闘呼組メンバーのプロフィールや現在を徹底解説!伝説のアイドルバンドグループ

男闘呼組・メンバー

ここからは男闘呼組メンバー4人のプロフィールや経歴、現在の活動について詳しく紹介します。

成田昭次(なりた しょうじ)

生年月日:1968年8月1日
出身地:愛知県
血液型:A型
星座:しし座
身長:175㎝

男闘呼組のボーカル&リードギター担当の成田。

彼が事務所に入所したのは、先にジャニーズJr.として活動していた1つ年上の兄がきっかけでした。

中学3年生のときに名古屋で行われた近藤真彦のコンサートを見にいき、そこで事務所の社長に「僕もやりたい」と直談判し、入所します。

自ら社長に頼み込んで事務所に入所した成田でしたが、じつはダンスは苦手。次第に彼と同じようにダンスが苦手な高橋や岡本とともに、バンド活動へとシフトしていくようになりました。

そして1984年12月、男闘呼組の前身グループ・東京が結成。グループ名やメンバーの変更を経て、1988年8月24日に男闘呼組としてデビューしました。

1993年6月30日に男闘呼組が活動休止した後、成田は1995年に事務所を退所。

その後、彼は高橋の父親が経営するバー「マローネ」で弾き語りやバンド活動、ソロ活動を積極的に行います。

2009年9月27日、自宅で乾燥大麻を所持していたとして大麻取締法違反で現行犯逮捕された成田。その後は芸能界から離れ、一般人として名古屋で働いていました。

MEMO

同年12月10日、東京地裁にて懲役6カ月、執行猶予3年(求刑懲役6カ月)が言い渡されました。

2019年にジャニー喜多川が亡くなり、お別れ会で男闘呼組のメンバーと再会したことをきっかけに芸能界へと復帰した成田。

MEMO

成田は岡本から男闘呼組再結成の話が持ちかけられたとき、すぐに決断ができませんでした。それでも務めていた会社の人たちの応援や岡本の説得により、再結成を決意します。

その後、成田は男闘呼組の再結成以外にも、2022年に成田商事というバンドを結成。現在は、音楽活動をメインに活躍しています。

高橋和也(たかはし かずや)

生年月日:1969年5月20日
出身地:東京都
血液型:O型
星座:おうし座
身長:170㎝

男闘呼組のボーカル&ベース担当の高橋。

父親が経営するバー「マローネ」の影響で、小さいころから音楽に慣れ親しんでいた高橋はドラムを始め、ミュージシャンを目指し始めます。

たのきんトリオを見て、彼らに親近感を持った高橋。中学生のときに友人と履歴書を送りましたが、2次審査を通過したのは友人だけでした。

しかし、直前で友人は「オーディションに行かない」と言い出します。どうしてもジャニーズ事務所に入りたかった高橋は、友人の代わりにオーディションに参加。

オーディション会場で、社長から「君、呼んでないよ」と言われますが「どうしてもやりたいんです!」とアピールします。その後も強引に事務所に通い、そのまま事務所に入所しました。

ダンスが苦手だった高橋は入所後、成田や岡本とともに音楽活動をメインにしていきます。

そして、1984年12月に男闘呼組の前身グループ・東京を結成。グループ名やメンバーの変更を経て、1988年8月24日に男闘呼組としてデビューしました。

突然、1993年6月30日付けで事務所を解雇された高橋は、その直後、俳優修業のために渡米。

MEMO

解雇直前に出演していた舞台『スラブ・ボーイズ』の演出家であるロバート・アラン・アッカーマンに「この舞台を終えたら男闘呼組を辞めることが決まっている」と話した高橋。彼から「それならば、ハリウッドで演劇の勉強をしたほうがいい」と誘われ、渡米しました。

1995年に帰国した後は、バンドを結成し音楽活動を継続すると同時に、俳優としても活躍していきます。

2002年に出演した映画『ハッシュ!』でゲイの青年役を演じ、高い評価を得た高橋。さらに2014年には、映画『そこのみにて光輝く』で「高崎映画祭最優秀助演男優賞」を受賞しました。俳優として注目を集めていきます。

さらに声優としても活躍。高橋は韓国俳優のイ・ビョンホンの吹き替えやナレーションを務め、注目を集めています。

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