エンターテイメントだけでなく、チャリティ活動にも力を入れているジャニーズ事務所。
新型コロナウイルス感染症が最初に流行した2020年には、Smile up Project!や期間限定ユニットTwenty★Twentyを結成。
寄付を募り医療従事者に支援を行う他、YoutubeをはじめSNSを通じた様々なコンテンツ配信を行ない、ファンや市民への情報提供を行いました。
こうしたチャリティ活動が迅速に行えたのは、以前からジャニーズがチャリティ活動を行っていたから。
その代表格が、ジャニーズ初のチャリティユニットJ-FRIENDSです。
1995年1月に発生した阪神淡路大震災の被災者支援として結成され、活動を終えて20年近く経つ今も、ファンやメンバー本人達から再結成を望む声があります。
今回は、伝説のチャリティユニットJ-FRIENDSについて徹底解説します。
目次
J-FRIENDSとは?
1995年1月に発生した阪神淡路大震災のチャリティー活動の一環として、1997年12月に結成されました。
メンバーは、関西出身者を含むTOKIO、V6、KinKi Kidsの3ユニット。
活動期間は6年間。
被災時に小学校1年生だった子が義務教育を終了する2003年まででした。
主な活動は、年1回、12月に行われるCDリリースとジャニーズカウントダウンコンサート。
CDおよびカウントダウンコンサートの売上の一部は、義援金として寄付されました。
また結成当初は、メンバー自ら募金箱を持って街中で呼びかけました。
J-FRIENDSによる寄付金額は、ほぼ毎年1億円を超え、活動期間全体(約5年3ヶ月)で8億円を超えます。
結成以前の金額も合わせると、総額9億円以上の寄付をしており、2004年3月には、神戸市役所内に「ありがとうJ-FRIENDS」と題された記念碑が建立されました。
そばにはJ-FRIENDSが行なった記念植樹もあります。
J-FRIENDSの活動について
音楽活動
J-FRIENDSは短い活動期間の中で、5枚のシングルとミニアルバム1枚、映像作品を2作、発売しています。
発売元は、各グループが所属するレコード会社(ソニーレコード、後にユニバーサルJ、ジャニーズエンターテイメント、avex)が務めました。
いずれも発売初週はオリコンチャート1位を記録し、デビューシングルとなる「明日が聴こえる/Children’s Holiday」はミリオンヒットとなりました。
<CD>
1st Single: 明日が聴こえる/Children’s Holiday (1998年1月21日発売)
Mini Album: People Of The World (1999年1月13日発売)
2nd Single: Next 100 Years (1999年12月22日発売)
3rd Single: I WILL GET THERE (2000年11月29日発売)
4th Single:ALWAYS (A SONG FOR LOVE) (2001年12月19日)
5th Single:Love Me All Over (2002年12月18日発売)
<DVD>
People Of The World (10万本限定生産) (1998年1月21日発売)
J-FRIENDS Never Ending Spirit 1997-2003 (2003年4月9日発売)
ミニアルバム「People Of The World」では、「一秒のOthello~君に選ばれたい」という楽曲を、TOKIO、V6、KinKi Kidsの各グループ用にアレンジしたものを収録。
各グループの個性を楽しみながら、表題曲でJ-FRIENDSとしてのカラーを堪能できる1枚になりました。
コンサート
J-FRIENDSといえば、東京ドームでのカウントダウンコンサートでした。
今でこそ「カウコン」と呼ばれオールジャニーズが出演するコンサートになりましたが、2002-2003年まではJ-FRIENDSの単独コンサートを開催。
当時、「カウコン」は「Jフレコン」とも言われていました。
J-FRIENDSの活動の締めとして発売された映像作品「J-FRIENDS Never Ending Spirit 1997-2003」では、2002-2003年のカウントダウンコンサートを中心に、過去のコンサート映像やメンバーのインタビューなどが収録されています。
コンサートでは、J-FRIENDSの曲は勿論、TOKIO、V6、KinKi Kidsの楽曲や、年明けには初代デビューグループの「ジャニーズ」から最新のグループまでのヒットソングをメドレーにした「ジャニーズスーパーヒットメドレー」が通例でした。
また、近藤真彦さんの「アンダルシアに憧れて」を選抜メンバーで歌う企画が始まったのも、Jフレコンでした。
Jフレコンといえば、年明けのジャニーズスーパーヒットメドレー、後半でTOKIOのJUMBO、ラストにJフレの明日が聴こえるを全員で合唱、というイメージがあります。
J-FRIENDSの魅力
メンバーの豪華さ
当時デビュー3年以内の、最も旬なグループで結成されたJ-FRIENDS。
今でいえば、Snow Man、SixTONES、なにわ男子で作られたようなイメージです。
特に1997年当時のデビュー組は、近藤真彦さん、少年隊、SMAP、TOKIO、V6、KinKi Kidsのみ。
すでに少年隊はテレビよりも舞台を中心に活動しており、光GENJIが解散してソロメンバーがいるのみ。
そして既にSMAPは国民的アイドルとしてジャニーズの中でも別格になっていました。
つまり、いわゆる「王道のジャニーズ」としての主力グループを集めたのが、J-FRIENDSでした。
そのため、全国のジャニーズファンの半分ぐらいがJ-FRIENDSのファンだったと推定されます。
今で考えると、舞台を中心に活躍するABC-Zとドラマやバラエティに活躍するHey!Say!JUMP、スノスト、なにわ男子だけがいる中で、スノストとなにわ男子でグループを結成したようなイメージでしょうか
J-FRIENDSは年齢層も幅が広く、最年長の城島茂さん(結成当時27歳)から最年少の岡田准一さん(結成当時17歳)まで、10歳差。
1歳違いのメンバー同士が多くグループ内に年齢の偏りもなかったため、10代から30代を中心に幅広い年代に支持されました。
城島茂さんの誕生日は11月17日。岡田准一さんの誕生日は翌日の11月18日。
そのため、11月17日だけはJ-FRIENDS内の年の差が11歳まで広がっていました。
今のSnow Manの深澤辰哉さんとラウールぐらいの差がありますね。
1970年生(結成当時27歳) 城島茂(TOKIO)
1971年生(結成当時26歳) 坂本昌行(V6)
1972年生(結成当時25歳) 山口達也(TOKIO)、長野博(V6)
1974年生(結成当時23歳) 国分太一(TOKIO)
1976年生(結成当時21歳) 井ノ原快彦(V6)
1977年生(結成当時20歳) 松岡昌宏(TOKIO)
1978年生(結成当時19歳) 長瀬智也(TOKIO)
1979年生(結成当時18歳) 堂本光一(KinKi Kids)、森田剛(V6)、堂本剛(KinKi Kids)、三宅健(V6)
1980年生(結成当時17歳) 岡田准一(V6)
楽曲提供者の豪華さ
グループメンバーも豪華ながら、楽曲提供者も非常に豪華でした。
特に海外のアーティストとのコラボが多く、世界的な注目も集めていました。
デビュー曲の「明日が聴こえる」のカップリング曲「Children’s Holiday」と2作品目の「People Of The World」はマイケル・ジャクソンが作詞作曲・アレンジを担当。
People Of The Worldのレコーディング時には、J-FRIENDSのメンバーに直接歌唱指導もしていました。
また同曲の日本語訳は、秋元康氏が担当し、国内のメンバーも“大物”を起用していました。
レコード会社UniversalのMichel JacksonのYoutubeチャンネルでは当時のデモテープとRemaster版が公開されています。
「People Of The World」の歌詞はまさにチャリティの精神を体現したもの。
サビの「People Of The World, どこかで誰かが 何か始めて愛になる」という歌詞に象徴されています。
MVには”子供達”の映像が差し込まれ、当時小学生だった元KAT-TUNの田中聖さん、ABC-Zの五関晃一さん、ふぉ〜ゆ〜の辰巳雄大さんらが出演しています。
ギターのサウンドがかっこいい「Next 100 Years」は、ボン・ジョヴィのジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラによる提供曲。
J-FRIENDSは、日本人として初めて、彼らから未発表曲の提供を受けました。
さらに同曲の日本訳はB’zの稲葉浩志氏が担当し、デモテープはボン・ジョヴィによる英語版と稲葉氏による日本語版の2種類が作られました。
4作目の「I WILL GET THERE」は、Boyz II Menのシングル曲のカバー。
原曲は今でも時々街中で流れているため、聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
また日本人アーティストでも、織田哲郎氏や筒美京平氏など、往年の作曲家が提供しており、名曲を生み出しています。
メンバーの仲の良さとエモさ
J-FRIENDSの人気は、豪華さだけではありません。
一番の理由は、本人たちも「またやりたい」という程の仲の良さではないでしょうか。
ここからは、グループの垣根をこえた “エモい”関係性を解説します。
TOKIO&KinKi Kids
TOKIOとKinKi Kidsといえば、長瀬智也さんと堂本光一さんの親友コンビ。
同い年の2人はBL疑惑が出るほど仲が良く、自然体で付き合えることから、お互いに「相手のような存在の女性が彼女(または結婚相手)だったら最高」と話しています。
特に光一さんは「長瀬がいなければジャニーズ続けていなかった」とまで発言するほど、絶対的な信頼関係があります。
長瀬さんは剛さんとも仲が良く、井ノ原さんと3人で、プライベートで変装して路上ライブをしたこともあるそうです。
グループ同士の繋がりとしては、KinKiのデビュー前、1996年頃に「Toki-kin急行 好きさ好っきゃねん」というバラエティ番組で毎週共演していました。
長瀬さん以外のTOKIOメンバーにとってKinKi Kidsは後輩になり、ラジオやテレビ番組では、2人を見守るお兄さんのようなコメントがしばしば聞かれます。
TOKIO&V6
TOKIOの年長組はV6の年上組(トニセン)と同世代。
1986年〜1989年の「昭和入所組」として硬い結束力を持っています。
特に城島さん、山口さん、国分さん、坂本さん、長野さん、井ノ原さんは、伝説のJr.内ユニット「平家派」のメンバーとして、光GENJIのバックダンサーを務めていました。
また早くから少年隊のPLAYZONEに出演するなど、似たような境遇でJr.時代を過ごしたことから、より強い連帯感を持っています。
V6の井ノ原さんとTOKIOの松岡さんは同学年で事務所に入所した小学生の時からの親友。
プライベートは勿論、ドラマ「サイコメトラーEIJI」でも共演しています。
井ノ原さんは長瀬さんとも仲が良く、前述の通りKinKiの剛さんを交えて遊ぶこともしばしば。
また仕事面でもJr.時代は、KinKi Kidsの2人と井ノ原さん、長瀬さんの4人で一緒になることが多く、ファンの間で「ジパングというグループ名で4人がデビューする」という噂もありました。
ジパングは完全にファンの間だけで広がった噂です。
本人たちはデビューの雰囲気を感じておらず、「ジパング」の由来も分からないそうです。
V6&KinKi Kids
V6とKinKiといえば、「華の79年組」。
1979年生まれの最強シンメ、剛健(ごうけん)コンビとKinKi Kidsの組み合わせです。
KinKi Kidsは当時ジャニーズJr.の中でも別格で、デビュー前の1994年にKinKi KidsとしてJr.初の単独コンサートを武道館で開催していました。
そのKinKi Kidsのバックにつきながら、ジャニーズJr.のトップとして活躍していたのが、剛健コンビです。
特に、森田剛さんはJr.のセンターとして、KinKiの2人の間が立ち位置になることが多く、3ショットがよく見られました。
同年代だからこそライバル心もあり、光一さん曰くデビュー前に剛健コンビと殴り合いの喧嘩をしたこともあるそうです。
しかし、J-FRIENDSで一緒になった際にはお互い大人になり良好な関係で仕事ができていたそうです。
岡田准一さんも同じ関西出身としてKinKi Kidsと仲が良く、剛(つよし)さんとは10代の時に同居したり、同じヘアスタイルにするなど特に深い親交がありました。
KinKi Kidsから見るとお兄さんに当たる年上3人とも関係は良好。
井ノ原さんは、上述の通り剛さんと仲が良く、人見知りな光一さんも「イノッチがいると元気になる」と話しており、仲の良さが伺えます。
また坂本さん、長野さんに関しては、KinKi Kidsが畏敬の念を持つ存在。
一方坂本さんにとっては、KinKi Kidsはジャニーズ事務所に戻るきっかけを作ってくれた存在です。
坂本さんは、Jr.時代、一度ジャニーズ事務所をやめ、旅行会社に就職していました。
ある時、外回り中に電車でKinKiの2人に遭遇し、「今何してるの?」と聞かれた時に自分の現状に違和感を持ったそうです。
モヤモヤが晴れなかった坂本さんは、国分太一さんに連絡し、ジャニー元社長に取り次いでもらうことで、事務所に復帰をしました。
まさにJ-FRIENDSの深い縁を物語るエピソードですね。
このように、グループの垣根をこえて仲が良く、苦楽を共にしてきたメンバー達。
だからこそ、今ではジャニーズのお家芸にもなりつつある「団体芸」や、コンサートでのパフォーマンスでも息が合い、ファンも見ていて楽しいのです。
さらに、本人達からも「再結成」を望む声が上がり、まさにDVDのタイトル通り”Never Ending Spirit”となっています。
まとめ
ジャニーズのチャリティの原点ともなっている伝説のグループJ-FRIENDS。
東日本大震災の際、J-FRIENDS復活の期待が寄せられましたが、「Marching J」として事務所メンバー全員が参加する形になりました。
このように、2003年の活動終了後、一度も復活していないことが余計にプレミア感を出し、今でもファンからは根強い再結成の声が聞こえています。
ファンだけでなく、メンバーも再結成を望んでいます。
2017年から毎年12月30日に放送されているカウントダウンコンサートの事前番組では、井ノ原さんと国分太一さんが3年連続で司会を務め、またやりたいと声高に話しています。
解散や脱退を経て、もう全員が集まることは難しくなってしまいましたが、だからこそ改めてJ-FRIENDSの活動を振り返ることに大きな意味がありそうです。
当時を知らない方も、ぜひ音楽や彼らの活動をチェックしてみてください!