BoA 世界中で愛されるアジアの歌姫! 魅力や経歴を徹底解説

BoA  世界中で愛されるアジアの歌姫! 魅力や経歴を徹底解説

2002年〜2004年【韓国でも人気歌手に】

日本で楽曲が大ヒットしたとき、BoAは韓国で2ndアルバムの準備をしていたため、日本と韓国を行ったり来たりの生活を送っていました。2002年というと、FIFAワールドカップが日韓共同開催された年であり、日本と韓国が互いの文化を学んだ年でもあります。

BoAは、韓国ではまだ認知度が高くなくK-POPに興味がある層以外にはあまり知られていませんでした。しかし、FIFAワールドカップの開催を機に様々なイベントや日韓交流の場で一般の観客の前で歌を披露することが増えており、韓国でも日本語の楽曲を歌ったりと見事に日韓の架け橋という大役を担っています。

2002年3月に2ndアルバム「No.1」が発売されたときには、日本での活動をよく思わないネットユーザーたちがBoAに対して攻撃をしたりと様々な意見が見受けられましたが、日本でのヒットや、FIFAワールドカップで韓国が勝つと「No.1」が応援曲としてメディアで流れるなど韓国国内にBoAの歌が届けられました。

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「No.1」は韓国の音楽チャートで1位を記録し、年末に開催された「第13回ソウル歌謡大賞」では「大賞」を受賞するなど、日本だけではなく韓国でも大きな注目を浴びました。

日本でも韓国でも大きな注目を浴びたBoAの勢いは止まりません。2002年8月には現在でもBoAを代表する1曲として挙げられるほどの人気を誇る「VALENTI」を7枚目のシングルとして発売すると、週間オリコンシングルチャートで2位を記録しました。この楽曲はBoAが初出場した「第53回NHK紅白歌合戦」でも披露され、日本でもより多くの層にBoAの存在が広められることとなったのです。

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「VALENTI」は2ndアルバムのタイトルにもなっており、このアルバムはオリコンアルバムチャートで1位を獲得、124万枚を売り上げて初のミリオンセラーを達成しました。

2005年〜2007年【日本でヒット曲を量産】

2004年12月に発売した「メリクリ」が大ヒットしたBoAは、その後も日本で数多くの楽曲を発売しました。BoAの楽曲は若者に身近な存在である携帯電話や化粧品のCMタイアップが付けられており、音楽だけではなくBoAの髪型やファッション、メイクを真似する人も増えるほど大きな影響力を持つ歌手へと成長しています。

さらにオリコンチャートでは7作連続で1位を獲得しており、当時の歴代アーティスト史上2位という記録を樹立しました。また、レコード大賞ではデビュー翌年の2002年から2007年までの間に金賞を5回受賞、NHK紅白歌合戦には6年連続出場していて歌でも評価されていることが窺えます。もう「韓国から来た歌手」ではなく「J-POP歌手」としての印象が強くなっていたようにすら感じました。

2008年【新たな挑戦!全米デビュー】

2008年9月、BoAはソウルで記者会見を開き「Eat You Up」で10月に全米デビューすることを発表しました。「Eat You Up」はアメリカの現地時間10月21日にiTunesやAmazonといった音楽配信サイトを通じて配信をスタートし、後を追うように日本や韓国など30カ国でも配信されました。

BoAは「時間をかけて準備した曲で、新しいBoAを表現できた楽曲だと思う」と語り、楽曲のプロデュースにはマドンナやブリトニー・スピアーズを手がけたプロデューサーが関わるなどのこだわりが見られ、BoAのパフォーマンスが堪能できるMVは2種類制作されています。

2009年3月には全米デビューアルバム「BoA」を発売し、アメリカビルボード200で127位にランクインしました。韓国でビルボードのメインチャートにランクインした歌手はBoAが初めてということもあり、韓国のメディアも大きく取り上げています。さらに、新人歌手のアルバムセールスを集計した「Top Heatseekers」では3位に、音楽ジャンル別のチャート「Top Electronic Album」では5位、インターネットアルバムセールスを集計したチャート「Top Internet Album」では11位にランクインし、様々なチャートでBoAの名前が刻まれました。

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