1982年に流行ヒット曲まとめ【待つわ・セーラー服と機関銃…etc】

1982年に流行ヒット曲まとめ【待つわ・セーラー服と機関銃…etc】

1982年と言えば、日本で始めて大阪女子マラソンが開催され、三語族と呼ばれる「ウッソー」「ホントー」「カワイイー」だけで感情を表す若い女性などが流行語にも選ばれました。

そしてこの年はソニーが発売した世界初のCDプレーヤーが発売されたことにより、音楽の普及が一気に広まりました。

この当時はどんな曲が人気だったんだろう?


毎年毎年名曲は生まれてくるからな〜!


1982年に流行った曲をチェックしてみよう!

読んだ後カラオケ不可避当時を思い出してしまうこと必至な、懐かしの1982年に流行ったあの名曲達をまとめてみました!

1982年の流行ヒット曲まとめ

あみん「待つわ」


あみんは岡村孝子と加藤晴子の2人組ですが、デビュー当初は現役の女子大学生でした。


あみんの「待つわ」は現代でも聞いている方の多い大ヒット曲です。

「待つわ」はあみんのデビューシングルであり、いきなり大ヒット曲となったということでそのすごさが分かります。

この楽曲の魅力はなんといっても清潔感のあるメロディーと歌詞。

特にサビでは2人がユニゾンで歌うパートがあり、歌声に引き込まれます。

「待つわ」は1982年のオリコンで年間売上1位を記録し、週間チャートでは8月30日から10月4日までの6週にわたり、1位でした。

1982年を代表する1曲となっており、思い出のある方も多いのではないでしょうか。

薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」


薬師丸ひろ子は元々女優として活動していましたが、この曲で歌手としてもデビューしました。


「セーラー服と機関銃」は大ヒットし、シングルの売上は120万枚となっています。

「セーラー服と機関銃」は薬師丸ひろ子のデビュー曲となっており、オリコン年間1位を獲得したあみんと並び、この年はデビューしたアーティストの当たり年であるということが分かります。

また、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」は赤川次郎の小説を映画化した作品の主題歌です。

映画の興行収入は47億円となり、邦画では1982年で最も人気の作品でした。

映画の人気もあって大人気となった曲であるということが分かりますよね。

岩崎宏美「聖母たちのララバイ」


ドラマ「火曜サスペンス劇場」のエンディングテーマとして有名になった1曲となっています。


日本を代表するシンガーである岩崎宏美の28枚目のシングル。

元々は「火曜サスペンス劇場」のエンドロール様に1コーラス分のみの制作でしたが、視聴者から作品化の要望が殺到。

MEMO

正式なレコードとなり、発売2週目にはオリコンチャート1位を獲得し、年間オリコンチャートでも3位を記録しました。

中村雅俊「心の色」


「心の色」が大ヒットしたため、中村雅俊は年末の紅白歌合戦に出場も果たしました。


現在でも俳優やタレント活動など、幅広く活躍している中村雅俊の歌手として、最大のヒット曲となったのが「心の色」です。

「心の色」は中村雅俊の主演ドラマである「われら動物家族」の挿入歌として使われてた曲でしたが、この曲の反響が大きく、途中からは主題歌として用いられるようになりました。

サビの歌詞が印象的です。

細川たかし「北酒場」


最近ではバラエティー番組でも活躍している細川たかしの大人気曲となっています。


細川たかしというと演歌のイメージが強いかもしれませんが、この曲はJ-POP風の楽曲であり、1982年を代表する音楽となっています。

「北酒場」は長年好まれている楽曲となっており、2005年の紅白歌合戦ではこの曲で先行トップバッターを務めています。

MEMO

田代まさしが出演しているサッポロ一番のCMで替え歌としても使用されており、多くの人に愛される曲となっています。

中島みゆき「悪女」


「悪女」は80万枚を超えるセールスを記録し、1982年度のオリコン年間順位で6位となっています。


1970年代から現在に至るまで、長期間にわたって活躍している中島みゆきの中でも最大のヒットが「悪女」です。

歌詞の内容は交際中だが、浮気へ向かう男性とそれを知り自ら嫌われるように仕向ける女性の様子を表現しています。

MEMO

「悪女」が収録されているアルバムである「寒水魚」も大ヒットを記録しており、1980年代を代表する曲です。

近藤真彦「ハイティーン・ブギ」

楽曲の制作については作曲が山下達郎が行っています。


ジャニーズ人気を生み出したとも言える近藤真彦の人気曲である「ハイティーン・ブギ」。

1982年の年間7位を記録した「ハイティーン・ブギ」は同タイトルの映画の主題歌になっています。

MEMO

映画には当時イケメンとして大人気の近藤真彦、野村義男、田原俊彦が出演し、大きな話題を呼びました。

サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」


この年は紅白歌合戦にも出演したサザンオールスターズはステージを大いに盛り上げました。


1979年に発表された「いとしのエリー」で大人気となったサザンオールスターズの14枚目のシングルです。

大人気となった「チャコの海岸物語」でしたが、ボーカルの桑田自身がイロモノの位置づけで制作した楽曲であり、本人はそこまで思い入れのある曲では無いようです。

MEMO

以前のインタビューでは愛嬌を込めて、「サザンの冷気市場、最低のヒット曲です」と発言もしています。

松田聖子「渚のバルコニー」


当時大人気のアイドルである松田聖子のシングルです。


「渚のバルコニー」が発表されたのは松田聖子が20歳の時であり、すでに赤いスイートピーなどの大ヒット曲を連発させていました。

「渚のバルコニー」は様々なシチュエーションで使用されており、CMでは松田聖子と中島みゆきが共演した富士フィルム化粧品「ASTALIFT(アスタリフト)」が印象的です。

MEMO

2010年代になっても「渚のバルコニー」は多くのアーティストにカバーされており、長年愛される曲の1つとなっています。

郷ひろみ「哀愁のカサブランカ」


「哀愁のカサブランカ」は1982年のオリコンランキングで年間14位を記録しています。


この曲はバーティ・ビギンズの洋楽「Casabanca(カサブランカ)」を日本語版として発表した曲となっています。

洋楽である「Casabanca(カサブランカ)」イメージから郷ひろみが歌手として抜擢されました。

MEMO

この曲で郷ひろみは西城秀樹に続きオリコン史上2人目となる、シングル30曲ベストテン入りを果たす快挙を成し遂げました。

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