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電気グルーヴとラジオ
1990年代に彼らが注目されたのはその音楽性だけではありません。
1991年~1994年の間「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務めていました。その内容の過激さ、クオリティの高い投稿をするハガキ職人とのやり取りが人気を博し一大ブームに。
伊集院光、ナインティナインの岡村隆史などお笑い芸人にも多大な影響を与えました。
特に大きな話題となった当時の出来事をいくつか取り上げます。
急に別番組が始まった!?
1992年2月15日放送の回は、『ポパイとマンガさんのザックザク情報局』という全く関係のない番組のエンディングパートから始まりました。
この回、彼らと親交が深い伊集院光・天久聖一をゲストとして呼んでおり、この別番組のパーソナリティはこの2人でした。
急に始まった新番組のエンディングパート放送後に口で時報を入れ、電気グルーヴの二人がいつも通り番組を進行。あまりの突拍子のなさ、リスナーの疑問をすべて無視した進行をする回が存在しています。
ちなみにこの番組内で読まれているお便りは捏造されており、スポンサーも「いたずら電話をかける事業を12年続けている会社」などめちゃくちゃです。
「ニセ」の総集編がOAされた
パーソナリティを担当していた4年間の中で、放送枠が移動しています。その枠移動のタイミングだった1992年10月17日の回は総集編。
リスナーから過去の放送で聞きたいリクエスト等を集めたのですが、全く関係ない音源を流していました。この音源はこの回のための録りおろしという気合の入れ様。
放送内で「ニッポン放送前に集合」とリスナーを煽るも、ニッポン放送の建物には「今日の放送は録音です」と張り紙をするなど現代ではできないような演出がなされていました。
ちなみに、この時にリスナーを散々弄んだ結果、放送枠移動後行った“本当の”総集編では、はがきが集まらなかったそうです。
長嶋茂雄歓迎事件
オールナイトニッポンの放送後、仕事のため新千歳空港経由で札幌に行くことになった2人。
この時、リスナーに対し「新千歳空港でピエール瀧を長嶋茂雄として迎えてほしい」というジョーク交じりのプチイベントを企画しました。
放送を聞いたリスナーが「ようこそ長嶋監督」というプラカードを用意する、巨人のユニフォームを着るなど巨人ファンに扮して空港で待機。しかし、放送を聞いていない人が、「本当に長嶋監督が来る!」と勘違いしてしまい大騒動に!
巨人軍のユニフォームを着て颯爽と現れた2人。リスナーと勘違いした一般客にもみくちゃにされながら空港を後にしました。