電気グルーヴ – 結成30周年を迎えたテクノユニット! メンバーの経歴や名曲を紹介

電気グルーヴ – 結成30周年を迎えたテクノユニット! メンバーの経歴や名曲を紹介

電気グルーヴのメンバー紹介

ピエール瀧

  • 本名:瀧 正則(たき まさのり)
  • 1967年4月8日生まれ
  • 静岡県出身

野球少年だった瀧が音楽にのめりこむきっかけとなったのが、高校時代に石野卓球の部屋で聴いたニュー・オーダーの「BLUE MONDAY」。自身の自宅や学校と距離があったにもかかわらず石野の家に毎日通い、レコードを聴きながらサブカルチャーの本を読み、日付が変わる前に家に帰る日々を送ります。

高校卒業後、進学のために上京するも中退。PVを作る映像会社でアルバイトをしているときに石野から「バンドを組まないか」と誘われて電気グルーヴに参加します。

この時の映像会社での勤務経験から、電気グルーヴのPV撮影のディレクションは彼が担当することが多いです。

メジャーデビュー以降ポンキッキーズなど積極的にテレビに出演。電気グルーヴのメンバー以外にもタレント・俳優としての顔を持つようになりました。

特に2001年の活動休止以降は俳優としての活動も目立ち、映画「凶悪」「くじけないで」で第38回報知映画賞助演男優賞を受賞。優しいお父さん役から冷徹な軍人まで幅広い演技力をもっています。

MEMO

彼は楽器の弾けないミュージシャンを公言しています。ライブパフォーマンスでは富士山やケンタウロスの着ぐるみを着て出演することも多々。

ライブ中に綿菓子を作る、ピザやポップコーンを作る、果ては生きた鶏を会場に放して捕まえるなんてことも。

テクノ系アーティストのライブは地味になりがちですが、そこに華を添えるのが彼の役割なのです。

ちなみに楽器は弾けないものの楽曲制作にはしっかり関わっており、ターンテーブルを所持。一時期はDJ活動も行っていました。

石野卓球

  • 本名:石野 文敏(いしの ふみとし)
  • 1967年12月26日生まれ
  • 静岡県出身

子どものころから「君に、胸キュン。」で有名なYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)クラフトワーク、ニュー・オーダー、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなどの音楽に触れていた彼。

高校で仲良くなったピエール瀧はじめ友人とともに電気グルーヴの前身バンド「人生(ZIN-SÄY!)」結成の発起人となります。

自宅で録音した音源がインディーズレーベルの目に留まり、上京することに。このバンドも人気を博していたものの、音楽の方向性の違いから解散。

電気グルーヴ結成に向けて様々な声掛けを行ったのも彼です。

電気グルーヴのサウンドメーカーとしてだけでなく、ソロでも国内外問わず活動を行っています。

1995年にはドイツのベルリンのクラブで海外では初めてDJプレイを披露。1998年にはベルリンで開催されたフェス・ラブパレードのFinal Gatheringにてパフォーマンスをしています。

また篠原ともえ、スチャダラパーなどとコラボ作品も多数制作しており、レコーディング・エンジニアとしても活躍しています。エレファントカシマシ、ORANGE RANGE、サカナクション、木村カエラなどかかわってきたアーティストは多種多様。

映画や舞台の劇伴音楽、ゲームのBGM、関西電気保安協会のサウンドロゴ作成など実に様々な音楽を作っています。

タレント活動など表立った仕事が多い瀧に比べ、石野は音楽活動一筋。2018年にはソロ活動での実績をまとめた8枚組アルバム「Takkyu Ishino Works 1983~2017」をリリースしています。

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