電気グルーヴ – 結成30周年を迎えたテクノユニット! メンバーの経歴や名曲を紹介

電気グルーヴ – 結成30周年を迎えたテクノユニット! メンバーの経歴や名曲を紹介

日本を代表するテクノユニットとして最前線を走り続けている電気グルーヴ。「シャングリラ(Shangri-La)は聞いたことがある」という方も多いかもしれませんし、メンバーのピエール瀧の俳優活動経由で知った人もいるでしょう。

今回は、電気グルーヴのこれまでの活動と名曲たちを振り返ります。彼らを語る上で切っても切り離せないあの事件の影響についても触れていきます。

電気グルーヴ結成~現在に至るまで

1989年。石野卓球は前身のバンドにて、当時影響をうけていたヒップホップ要素を取り入れようとしていました。

しかし、他のメンバーと方向性が合わず断念し、バンドは解散。

解散後、ピエール瀧をはじめとした知人・友人に声をかけて電気グルーヴを結成します。この時は4人構成でした。

同年8月、大阪のライブハウスで電気グルーヴとして初のライブパフォーマンスを披露。その後も4人での活動を続けますが、1990年6月のインディーズデビュー前に3人構成となります。

インディーズで活動中、とある人の目についたことによりメジャーで活動をすることになりました。その人が小室哲哉。90年代の音楽史を語るには欠かせない「TKブーム」を作った音楽プロデューサーです。

電気グルーヴの曲がラジオで流れているのを偶然耳にした小室。「音楽もキャラクターも完成された面白さがある」と絶賛しました。小室が所属するグループであり、当時大人気を博していたTM NETWORKを踏み台にしてもいいとまで言わしめたのです。

1991年2月リリースのTM NETWORK「RHYTHM RED BRAT BLACK[Version2.0]」に参加し、メジャーデビュー。同年4月にメジャーアルバム「FRASH PAPA」をリリースし、本格的にメジャー活動を始めます。

メジャーデビュー後の1991年6月に、「まりん」の愛称でおなじみのテクノミュージシャン・砂原良徳がメンバーに加入。1999年の砂原の脱退以降は石野卓球・ピエール瀧の2人構成となりました。

結成~デビュー前後は石野卓球の前身バンドの影響も残り、ユーモアやジョーク交じりの曲が多かったですが、1993年リリースのアルバム「FLASH PAPA MENTHOL」以降はテクノサウンドを多用するようになります。

同年12月リリースの「VITAMIN」は当時のオリコンチャート5位にランクイン。日本のテクノブームの火付け役となりました。

虹、Shangri-Laなどヒット曲を出し続ける中、2001年に活動休止。2004年の活動再開まではソロ活動に注力します。活動再開以降は楽曲リリース・ツアー・フェスへの出演などコンスタントに活動を続け、2019年に活動30周年を迎えました。

後述する不祥事を受けて2019年~2020年は活動を自粛。2021年のFUJI ROCK FESTIVALの大トリでのパフォーマンスで活動を再開しています。

国内に限らず、海外でも有名です。電気グルーヴとしての初パフォーマンスは1998年。ドイツ・ベルリンで開催されている「Mayday」で楽曲披露を行っています。同年9月にはヨーロッパツアーを敢行。彼らの名が欧州に知れ渡っています。

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