世界最高のロック・バンド、ザ・ビートルズ。
ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、そしてジョージ・ハリスンという天才的な作曲家が一堂に会した奇跡的なバンドには、もう1人欠かすことのできないメンバーがいます。
その人物こそ、リンゴ・スター。
ザ・ビートルズのドラマーにして最後に加入した第4のメンバー、リンゴ・スターの魅力を、この記事では徹底的に解説していきます。
▼あわせて読みたい!
目次
リンゴ・スターって何者?
まずはリンゴ・スターの半生について。
最初に、「リンゴ・スター」という名前は実は芸名です。彼の本名はリチャード・スターキー。
リンゴは1940年7月7日に、イギリスのリヴァプールで生を受けます。
幼少期には病弱なリンゴでしたが、病院で彼が出会ったのがドラム。
以降ドラムに夢中になった彼は学校にも行かず、様々なバンドを渡り歩きながらドラムの腕を磨くようになります。
そうした活動中にザ・ビートルズの面々と出会いますが、彼はその時にメンバーになった訳ではありません。
当時ザ・ビートルズのドラマーだったピート・ベストがデビューの2ヶ月前にプロデューサーのジョージ・マーティンの判断で解雇され、その穴を埋める形でザ・ビートルズに加入したのです。
ザ・ビートルズはデビューするや否や世界的バンドになり、リンゴもトップスターの仲間入りを果たします。
こうした経緯から彼のことを「ラッキーな男」と表現することもありますが、彼がデビューの段階で優れた技術を持ったミュージシャンだったことは理解しなければなりません。
彼はザ・ビートルズで最も穏やかな性格の人格者としても知られ、彼がいなければザ・ビートルズはもっと早くに解散していたとまで言われています。
彼のユーモアのセンスはバンドの作品にも反映され、“A Hard Day’s Night”や“Eight Days A Week”、「“Tomorrow Never Knows”といった楽曲のタイトルはリンゴのジョークが由来です。
リンゴは度々文法的には正しくない独特の表現をすることがあり、それを面白がったメンバーがタイトルに起用したという経緯があります。ジョンはこの言い回しを「リンゴ語」とも表現していました。
例えば”A Hard Day’s Night”は、リンゴが「It’s a hard day(今日は忙しかった)」と言いかけたところ、既に夜だったことに気づき慌てて「……’s night !(の夜!)」と言い直したエピソードが元になっています。
ユーモラスでメンバーから愛されていたリンゴらしいエピソードです。
そんなリンゴですが、実は一度ザ・ビートルズを脱退したことがあるのです。
1968年に行われたアルバム『ザ・ビートルズ』の制作セッションにおいて、ポール・マッカートニーが彼の演奏に文句をつけ、最終的にはポールが代わりにドラムを叩いてリンゴに演奏指導をするという一幕がありました。
温厚なリンゴもこの仕打ちに激怒し、脱退を宣言。2週間スタジオに足を運ばなくなります。
当時メンバー間の仲は険悪でしたが、普段怒ることのないリンゴのこの行動に3人は動揺します。ジョンは励ましの電報を送り、ポールは前言を撤回しリンゴのドラムを褒め称え、ジョージに至ってはリンゴのドラム・キットを花で飾って彼の復帰を待ったといいます。
この騒動で一時はバンド内の険悪なムードも解消されましたが、しかしメンバー間の溝は埋まり切ることなく、1970年にザ・ビートルズは解散。
その後リンゴはソロ・アーティストとしての活動を始めますが、同時にセッション・ドラマーとして様々なアーティストの作品に積極的に参加していくように。かつてのバンドメイトであるジョン、ポール、ジョージ全員のソロ作品でも、早くからドラマーとして共演しています。
ソロ・アーティストとしては1970年代初頭にヒットを記録するものの、以降はセールスが振るわず。私生活でもアルコール依存症に陥るなど困難な時期が続きます。
しかし1980年代末にカムバックを果たし、マイペースな音楽制作や自身のバンドによるツアー活動を再開。
今年2021年にも最新EP『ズーム・イン』を発表し、80歳を超えた今なお世界的ミュージシャンとして世界中から愛されています。
これは余談ですが、リンゴの実子であるザック・スターキーも父親同様ドラマーとして活動しています。
父親譲りのドラムの才能で、オアシスやザ・フーといった伝説的ロック・バンドのサポートにも度々参加。リンゴやポールといった元ビートルズの面々とも何度も共演しています。
リンゴ・スターが歌った名曲
ここからは彼の音楽について見ていきましょう。
先ほども触れた通り、彼はザ・ビートルズにおいてほとんど作曲に関与することはありませんでしたが、ほとんどのアルバムに彼がヴォーカルを担当する楽曲が収録されています。
ここでは、彼のヴォーカルによる名曲を厳選して3つご紹介します。
①『イエロー・サブマリン』(1966)
まずはリンゴが歌った楽曲では最も有名なナンバーを。アルバム『リボルバー』(1966)に収録された『イエロー・サブマリン』です。
作曲はポール・マッカートニーで、潜水艦での暮らしを歌ったまるで童謡のようなチャーミングな楽曲です。
『リボルバー』は非常に実験的な作風で、インド音楽やサイケデリック・ロックのようなエキセントリックなサウンドも多く収められていますが、その中にあってこの曲の和やかなムードは異色。
そうした楽しげな楽曲に、リンゴのどこか気の抜けたような歌声が見事にマッチしています。彼のヴォーカルの特徴を知るには最適の1曲でしょう。
②『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』(1967)
続いて紹介するのは、大名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)収録の楽曲、『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』。先ほどと同じく作曲はポール・マッカートニーです。
「架空のバンドによるライブ演奏」というコンセプトに基づいたアルバム収録とあって、リンゴが演じる「ビリー・シアーズ」という人物の紹介から幕を開けます。
ポールのメロディアスなベース・ラインとキャッチーなメロディが心地よい名曲ですが、一説にはこの曲はドラッグ・ソングだというのです。
歌詞の一節、
I get high with a little help from my friends
友達の力を借りてハイになるんだ
『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』より引用(訳は筆者による)
の「友達」はドラッグのことを歌っているのではないかという指摘がしばしばなされています。
そして作者のポール自身、「時代を鑑みて、触れない訳にはいかなかった」とこの指摘を認めています。
楽しげな曲調と裏腹に、1967年というロックとドラッグが強い結びつきを見せていた時代を象徴する1曲です。
③『オクトパス・ガーデン』(1969)
最後に紹介するのは、ラスト・アルバム『アビー・ロード』(1969)に収録された『オクトパス・ガーデン』。
この楽曲の作者はリンゴ・スター本人。作曲にはジョージ・ハリスンが貢献したとも言われていますが、リンゴ単独で作曲にクレジットされているのはこの楽曲が2曲目であり最後です。
一般に作曲家としてのリンゴ・スターの最高傑作とみなされる名曲で、ここまでに紹介した2曲同様ユーモラスでとぼけた世界観とリンゴの歌声の相性が絶妙です。
しかし歌詞の随所に垣間見える切ない空気は解散寸前のバンドの当時の実情を反映させたものとされていて、単にハッピーな楽曲に止まらない深みがあります。
名曲に華を添える、リンゴ・スターの名演
次に見ていくのは、ドラマーとしてのリンゴ・スター。
彼のプレイが、後に登場するスーパー・ドラマーのプレイと比較して派手さに欠けるのは事実でしょう。
しかし彼のプレイの最大の魅力はテクニックや音数の多さではなく、控えめながら軽やかでメロディアスな表情、そして楽曲の性格に呼応した多彩なアイデアにあります。
ここからはザ・ビートルズでのプレイの中でも、彼のドラマーとしての才能をうかがい知れる名演をご紹介しましょう。
①『涙の乗車券』(1965)
シングル曲として発表され、初期の名盤『ヘルプ!』(1965)にも収録された『涙の乗車券』。
この楽曲でのリンゴのプレイで注目したいのは、「シンコペーション」と呼ばれるリズムのアクセントに変化をつけた演奏です。
普通の4拍子のポップスであればリズムのアクセントは3拍目のスネア・ドラムにあります。しかしこの『涙の乗車券』では、タムを効果的に使い3拍目の「裏」にアクセントを置いています。
このプレイがスリリングな質感や楽曲全体のハードさをより強調していて、作曲したジョンはこの曲を「世界初のヘヴィ・メタル」とまで表現したほど。
また、ブリッジ部分で聴くことのできるタンバリンもリンゴの演奏ですが、このタンバリンも見逃せない名演奏です。
全体としてはヘヴィな楽曲の中で軽やかなタンバリンを挿入することで、ザ・ビートルズらしいキャッチーさも抜け目なく表現しています。
②『レイン』(1966)
リンゴのベスト・テイクの1つと名高いのが、シングル『ペーパーバック・ライター』のB面に収められたジョン・レノンの名曲『レイン』。
この楽曲でのリンゴのドラムは、彼の他のプレイからは想像もつかないほどに音数が多く大きなスケールを見せています。
特にイントロのスネア・ドラムの連打は非常にシンプルながら力強く、この楽曲のイメージを予言するかのよう。
このハードなドラムがポールの歌うようなベース・ラインと絡み合うことで、唯一無二のグルーヴを生み出しています。
リンゴ本人も自身の最高の演奏と度々語っている、ドラマーとしてのリンゴ・スターを象徴するプレイの1つ。
③『トゥモロー・ネバー・ノウズ』(1966)
続いてはアルバム『リボルバー』(1966)のラストに収録された、『トゥモロー・ネバー・ノウズ』。
この楽曲はサイケデリック・ロックを大々的に導入したもので、従来のポップスではあり得ない壮大さや芸術性を表現しています。
当然、それまで通りの単純なドラムのパターンでは、この前衛的な楽曲のイメージに合致しません。
しかしリンゴは見事にこの楽曲に相応しいビートを演奏しています。
この曲も『涙の乗車券』同様シンコペーションを採用していますが、ドラムのチューニングや録音の方法に工夫を凝らすことでより抽象的で難解なビートに。
このビートを考案したのは誰あろうリンゴ自身で、彼が単に作曲者の注文通りの演奏をするのではなく、メロディに関与こそしませんが優れた表現者であることの証拠です。
④『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』(1967)
名盤『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967)のクライマックスを飾る世紀の名曲『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』。
2つの楽曲を組み合わせた1曲ですが、この曲でもやはりリンゴのプレイは冴え渡っています。
前半のジョンが作曲したパートでは、気だるげなムードに軽やかさを与えるフレーズで楽曲に貢献。まさに歌うようです。
壮大なオーケストラを挟んで始まるポールの作曲によるパートでは、一転して実にシンプルにビートを刻んでいます。
そして再度迎えるジョンのパートでは、メロディこそ前半の繰り返しですが、ドラムのタッチはより前のめりで朗らかなものに。
楽曲の性格に応じて見事に表情を変える繊細さ、そこにこそリンゴ・スターの魅力があります。そういう意味では、彼を代表する名演の1つと言えるでしょう。
⑤『カム・トゥゲザー』(1969)
アルバム『アビー・ロード』(1969)のオープニングを飾る傑作『カム・トゥゲザー』でも、リンゴのプレイが光ります。
イントロの不穏なフレーズは、ピッチの高いタムから低いタムへと移るというフレージングのセオリーの真逆をいく、低いタムから高いタムへの移動によるものです。
このアイデアが、楽曲全体の怪しげなムードをより補強する効果を生んでいます。
また歌が始まってからのプレイも、ビートの基本であるスネア・ドラムを一切使用せず、淡々とタムとバス・ドラムだけで進行していく徹底ぶり。
シンプルな8ビートではなく、楽曲に応じてこうしたユニークなビートを提供するのも、リンゴの魅力の1つです。
おわりに
今回はザ・ビートルズのドラマー、リンゴ・スターについてご紹介していきました。
作曲にこそほとんど関与していませんが、紛れもなく彼は素晴らしい音楽家の1人であり、リンゴ・スターの存在なくしてザ・ビートルズは世界最大のバンドになることはなかったでしょう。
是非ともこの記事で、リンゴ・スターの才能を理解していただけたら幸いです。
そして普段楽曲のメロディやヴォーカルに注目して聴いているという方も、今後ザ・ビートルズを聴く時にはリンゴのドラムにも耳を傾けていただきたいと思います。
▼あわせて読みたい!