【インタビュー】アーティストの新しい在り方を提示するギタリスト|ソエジマトシキ・ロングインタビュー

【インタビュー】アーティストの新しい在り方を提示するギタリスト|ソエジマトシキ・ロングインタビュー

今やおしゃれギターや、ネオソウルギタリストの代名詞となったソエジマトシキさん。

2021年3月にはToshiki Soejimaとして本格的にアーティスト活動を開始しました。

そんな彼に、元バンドマンであり、普段からソエジマさんのYouTubeチャンネルにお世話になりまくっているインタビュアーが、沢山質問させていただきました!

音楽との出会いから今後の計画まで、初めて話すという内容も含め、詳しくお話しして下さいましたので、是非最後までお読みください。

それでは、当日の模様をお伝えしていきます!

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自己紹介・音楽との出会い

—— 本日はよろしくお願いします!カルチャ初登場ということで、簡単に自己紹介頂いてもよろしいでしょうか?

ソエジマ:ソエジマトシキと言います。
YouTubeなどでネオソウルなど、おしゃれなギタープレイのレッスンを発信することを中心として活動してます。


—— そもそもギターを始めたきっかけや、音楽との出会いはどういったものだったのでしょうか?

ソエジマ:中学校の2年生ぐらいの時に、趣味を作ろうと思って始めた節があって…。
当時オンラインゲームをすごいやってたんですけど、それを趣味と周りに言うのはちょっと恥ずかしいというか「アイデンティティーではないかな?」って思ってたんですよ。


—— eスポーツなんて言葉もなかったですしね。

ソエジマ:そうそう。「趣味持てたら良いな」とか漠然と考えている中で、家にギターがあって、ちょっとずつ興味を持ち始めました。

ちょうど時を同じくして、ゲームセンターに行ったらドラムマニアってあるじゃないですか。ドラムマニアすごいかっこいいなと思って、ドラム始めようと思ったんですけど、ドラムって始めるのめちゃくちゃ大変そうじゃないですか。
で、家にあるからギターにしたっていうのがリアルな最初ですね。


—— 家にあったということは、ご家族が弾かれてたりしたんですか?

ソエジマ:そうなんですよ。父親が趣味で弾いてて。
当時は、音楽全然興味なくて、趣味作りたい先行でした。


—— なるほど。珍しいスタートですね。

ソエジマ:ところが、そういう生徒さん結構いらっしゃって、「あるあるなんだなぁ」って。
音楽全く知らないから「大きなのっぽの古時計」から始めたっていう(笑)。


—— 最初はエリック・クラプトンをコピーしようとして挫折したとか?

ソエジマ:そうですそうです。それはまさに「大きなのっぽの古時計」を弾いている僕を見かねた父親が「こういうのを弾いた方が良いよ」って、クラプトンとか教えてくれたんです。

当時は好きな音楽なんて特になかったから、わりとスッと入って行けたっていうところもあるけど、それにしてもやっぱクラプトンのブルースとかって濃すぎて、結果的にJ-POPを聞くようになりましたね。


—— 日本だと、当時どんなアーティストを特に聴いていましたか?

ソエジマ:「クラプトンがギターナンバー1らしいけど、しっくりこないな」ってことでいろんなアーティストを聞きましたね。特に、ギターが目立つものを、そうすると辿り着いたのはB’zでした。


—— B’zの楽曲がサブスク解禁されたタイミングで、Twitterにカバー動画も上げられてましたもんね!
—— でも、B’zって初心者には難しくないですか?

ソエジマ:コード弾きだったら意外と簡単な曲が多いんですよ。
Gのローコードから始まる曲とか多くて、最初アコギだったんで、それで基礎知識を身に付けましたね。


—— 上京前にもバンド活動はされていたんですか?

ソエジマ:それがなかなか組めなくて…。高校2年3年くらいで、ようやく周りにも音楽やってる仲間がいるようになってきて、東京事変のコピーバンドができたりとかはあったけど…。
基本的にはやっぱり仲間が少ない、自分の好きな音楽を語れる人があんまり居ないというフラストレーションを抱えながらでした。


—— お話を伺っていると、現在のネオソウルなどとは少しイメージの違う音楽的ルーツな気もするのですが、当時の経験が今、役立っているなと思うところはありますか?

ソエジマ:確かに上京を機に結構分かれるんですけど、紀元前紀元後みたいな(笑)。
本当に基本的な、指が動くとか、簡単なペントトニックでアドリブをとるとか、そういうのの原体験は佐賀でやってたんですよ。

そういうところは活きてるかもしれない。父親に教えてもらった一番良いことはマイナーペンタトニックだと今でも思ってます。


—— 音楽関係だけでなく?

ソエジマ:そう。全教えの中で一番(笑)。


—— なるほど、弾く楽しみを覚えたから「セッションに行ってみよう」とか、「更に上の次元で音楽をやってみたい」っていうモチベーションに繋がったのかもしれないですね。

ソエジマ:かもしれないですね。あとは、佐賀にいた時に仲間が少ないっていう状態だったから、自分から動いたのがすごいあって。
年末にライブを企画したりとか、ライブハウスに自分の企画で出てみたりとか…。卒業ライブも企画したりしたんですけど、よく考えると今の自分が、企画して何かやるのはその頃から全く変わってないなって。


上京後・音楽で食えな過ぎた時代

—— ソエジマさんのYouTubeの概要欄に「音楽で食えな過ぎて2016年スクール立ち上げ」という文章がありましたが、当時は、どういった音楽活動をされていたんでしょうか。

ソエジマ:大学に入ってからはプロになりたいから、とにかくバンド組まなきゃということで、大学の仲間たちとバンド活動を始めました。

で、まあそのバンド活動ってのが、色んなライブハウスのブッキングに出て、他のバンドのお客さんに自分たちの演奏を届けて、そしたら自分たちのお客さんになってくれるかもよとか、よくある古典的な手法だったんですね。


—— いわゆるバンド活動ですね。

ソエジマ:佐賀にずっといた自分にとっては、高円寺とか渋谷のライブハウスに月何回か出て、活動するっていう感じだけですごい新鮮だったんですけど、やっぱりバンド活動自体はジリ貧だし、今思えばお客さんも大学のサークル仲間が観に来てたっていうところで。ありがたいんだけど、決して広がっていくような形ではなかったりして、バンドでは当然食えない。

まあそもそも、18歳とか19歳でしかやってなかったんで、人気も出ないし鳴かず飛ばずという感じで、バンドが解散になって…。


—— 10代にして早くも転機が訪れたんですね。

ソエジマ:じゃあ一人でやっていかなきゃいけないっていう時に、幸い高校時代から培ったギターの基礎スキルみたいなところで、リットーミュージックのコンテストで完コピ部門の賞をとることができて…。

当時まだ難しいコード進行でアドリブがとれなかったから、完コピで賞を取れて自信をちょっと付けたんですよね。それで、自分はサポートミュージシャンとかいわゆるスタジオミュージシャンの方なんじゃないかと思ったんです。


—— もしかして賞をとったのも10代ですか?

ソエジマ:僕が賞を頂いたのが19歳の時。18歳で大学1年生、19歳の時にバンドを辞めたって時でした。


—— 全てが早い…。

ソエジマ:「よし!」っていうことで、じゃあスタジオミュージシャンってどうやったらなれるんだろうって時に、何やらセッションという場があるらしいってとこからセッションに行くようになりました。

そこで色んな音楽に触れて、しばらくスタジオミュージシャンになろうとする時代が続くんですよね。これが長いんだけど(笑)。
19歳からセッションの場に行って、まずはそのセッションのホストになりたいってなって一生懸命練習して、自分のホストのセッションを持たせていただけるようになったり。
その頃からライブバーとかに出て、いわゆる古典的なライブハウスのシーンであるノルマ制度ではなくて、チャージバック制度だから、初めてのギャラをもらえたりとか。


—— 初めて、音楽でお金をもらう経験をしたんですね。

ソエジマ:そういう小さな成功体験というか、小さなご飯を食える時はあったんですけど、それでも当然暮らしていくだけのお金は稼げなくて…。

セッションに行き色んな方と繋がって、色んなライブをやって…っていう活動をやってるんだけど、肝心な最初の生活費をペイするレベルまでは自分が月々稼げる金額が全然足りない。だからバイトをしてるっていう状態がもう19歳から24歳くらいまで続く。

その間やっていることはほぼ一緒で、セッションに行く、繋がる、ライブする。そしてまたセッションに行く。この活動をずっとやってました。
19歳から24歳の時までって、年齢的には若いんだけど、期間は長いじゃないですか結構。だから音楽って食えないなっていう印象がすごいある。それで「音楽で食えな過ぎた」って言ってるんですよね。「何やっても食えないんじゃないか」みたいな。


—— 19歳から24歳っていう間の中には大学卒業のタイミングなどもあって、周りの環境が変わりつつもやっぱり食えないという事実はついてきてという状況だったんですね。

ソエジマ:やっぱりそこはね…。22歳のみんなが新卒になる時代以降はより強烈に、勝手に自分でドツボにハマっていっただけなんですけど。


—— その当時(19歳から24歳までの間)は、自分のオリジナル曲を作ったりはされていたんでしょうか?

ソエジマ:実はしてて…。ありがたいことに、当時の僕をいいねって言ってくださる先輩方がいて、そういう方の力を借りて、作品を作らせてもらうきっかけもあったし、自分のセッションで自分のオリジナル曲をやるっていうことはあったんですよ。

自分の曲をどんどん出してギタリストとして有名になっていきたいっていうマインドはめちゃくちゃ持ってて、セッションに行ってた時もバンドの頃もずっとそれはありました。


—— おそらく今回アーティスト活動を開始されたお話に繋がる思います!後ほど詳しく聞かせてください。

YouTubeチャンネル「ソエジマトシキのギターチャンネル」開始

—— さて、その前に、YouTubeを始めるに至った経緯や動機もお聞きしたいです。始めた時からネオソウルやおしゃれギターに特化したチャンネルをやろうとお考えだったんですか?

ソエジマ:そうです。その前にはライフベンドミュージックスクールっていう音楽教室を経営するっていうところが時系列としてはあるんですけど、それを僕が24歳の、食えない年の最後に立ち上げたんです。


—— なるほど。ではその経緯からお聞きしてもよろしいですか?

ソエジマ:それまでって自分が有名になりたかったんで、ひたすら自分のことを発信してたんですよ。自分の曲とか、自分のプレイとか、自分のライブ情報とか。ある意味利己的というか「見てくれ!」って。

それで18歳から24歳まで1回も上手くいかなかった。1回も食えなかったっていうことは、これやり方間違ってるなって思ったんですよ。


—— 再び転機が訪れたんですね。

ソエジマ:僕は多分皆さんが思っている以上に音楽で食うことに執着してたんで、それが達成できることの方が大事だったんですね。本当正直に話すと。

だから、やり方を変えなきゃいけないということで、今までずっと自分のことを発信してたけど、なんか人の役に立つことを発信しなきゃいけないんじゃないかって。
自分の中で、そういう仮説みたいなのがあって、じゃあ自分が発信できることで、人の役に立つことって何かあるかなって考えた時に、自分は人よりも早くアドリブがとれるようになったなと思って。


—— アドリブは多くの人が苦戦することですもんね…

ソエジマ:人それぞれ色んな壁があってできない、けど自分はできた。
それは何でだろうっていう体験というか、自分なりにやってたことっていうのはノウハウとしてレッスンできるんじゃないかなと。

当時大学の後輩も何人か「ソエジマさんアドリブ教えてください」って人もいたんで、まずはアドリブを教えてみようと思いました。


—— そうして立ち上げたのがライフベントミュージックスクールだったんですね。

ソエジマ:そうです。そこから音楽で食えるようになるにはあと1年かかるんですけど、ようやく前に進めたというか。

自分がまた武器を提げて有名になるとか、ギタリストとして上のランクに上っていくという活動を始める時に、じゃあ今度は「ライフベンドミュージックスクール」っていう看板ではなくて、「ソエジマトシキ」という一人のギタリストとして、人の役に立つことを発信するという手法は変わらないんだけど、もっと上にいきたいと思ってYouTubeを始めたんですよ。

だから最初からコンセプトもはっきりしてたっていう感じです。


—— ネオソウルとの出会いはどうですか?スクールを始められる前から既にプレイされていたのでしょうか?

ソエジマ:ネオソウルは、セッションに行った時くらいからなんとなくそのサウンドを耳では聴いていて…例えば、ネオソウルの代表的なアーティストと言われるようなD’Angelo(ディアンジェロ)の曲をセッションでもやるし。

ただそれが何なのかはよく分かってなくて、もうとにかく音楽っていうよりかは、セッションに行って食えるようになることの方が大事だったんで。ひたすらそれでやってたんですけど、何年も何年もそういう活動をやっていく中で、やっぱそういうサウンドが結構好きだなと思って、ギタープレイにもどんどん惹かれていきましたね。


—— 特にハマったアーティストはいますか?受けた影響と共に教えてください。

ソエジマ:トム・ミッシュとかマテウス・アサトのプレーは悉く自分にツボでした。
しかもツボであるだけではなくて、ちょっと偉そうな言い方だけど、自分がやっていることと被るなみたいな。

そういう人たちって歳も近いんで。住んでる場所は違えど、時を同じくして同じようなプレーをしてる。そこで、自分のプレーにめちゃくちゃ自信が持てて、ネオソウルギタリストと名乗ってみようと。当時日本でネオソウルのことをやってる人はいなかったっていうところで、もちろん戦略的な一面もあって。


—— 今や日本でネオソウルギターといえばソエジマトシキという共通認識があると思います。ご自身の教則本がAmazonで1位を獲得されたことは、それを確証付けたとも思うのですが、そんなソエジマさんが「今この人を聴け!」というアーティストがいれば教えてください。

—— できればみんなが知らなそうなアーティストだと嬉しいです(笑)

ソエジマ:マイナーなところ、そうですね…。
動画内で紹介してるようなトム・ミッシュとかマテウス・アサトさん、アイザイア・シャーキーさんとかあの辺は、今やネオソウルのギターヒーローであるとして。

ギターの人に向けたメッセージとしては、是非ネオソウルギターっていう観点じゃなくてソウル、R&Bからの文脈でネオソウルを聴いてほしいと思うんですよね。

 

ソエジマ:それとは別に、時系列的に捉えていくっていう。
そうなってきた時に、現代で言うとH.E.R.とかジャズミン・サリヴァンとか最近結構良い感じ。あとはサマー・ウォーカー、ラッキー・デイ。この方々って全然ギタリストではなくてシンガーなんですけど、やっぱりそういうところをぜひ聴いてほしいなって思うんですよね。そういう楽曲の中にカッコ良いギターが入ってたりするし。


—— 知らない名前が沢山出てきました…。聞きます!

ソエジマ:そういう人たちって何の延長線上にいるかっていうと、やっぱりディアンジェロとか…。もっと古いと、それこそダニー・ハザウェイとかマービン・ゲイとか…R&Bアーティストの現代版だと思ってます。

だから、そういう古いのも混ぜて聴くと絶対今のネオソウルギターが何で生まれてるかっていうのもより深く捉えられるというか。


—— 過去を知って現在を知ることで、違いも見えてくるし、もしかしたら今後どんなのが来そうっていうのも考えられるかもしれないですね。

ソエジマ:そういうふうに聴いてくれると最高。「これを聴け!」となるとあえてギタリスト以外で、バンバン出しちゃうかもしれない(笑)。


アーティストToshiki Soejimaとして

—— ソエジマさんは3月にEP「Life」をリリースされました。
—— アーティスト活動の始動に至った経緯や想いを教えてください。

ソエジマ:アーティスト活動を始めようと思ったきっかけっていうのは、自分のことばっかりを発信していたら上手くいかなくて、人の役に立つことを発信しようとしたら比較的上手くいって、自分なりに音楽と向き合える時間も増えてきた中で、じゃあもう1回やってみようと再チャレンジなんですよね。

18、19歳の頃から24歳までにやっていたことの再チャレンジをしたい。今だったら状況が違うので聴いてくれる人もいるかな、ということで自分のアーティスト活動をやろうと思っていて。
僕にとってライブやって、お客さんが全く来なかったあの感覚とか、自分の音源を出したものの誰にも聴いてもらえないあの感覚とかって、本当昨日のことのように覚えていて、何かって辛いじゃないですか単純に(笑)。


—— はい。分かります(笑)。

ソエジマ:「それでも全然良いよ」ってひたすら作れるようなアーティスト気質の方だったら良いかもしれないけど、僕やっぱ聴いてもらえないとモチベーションも湧かなくて、なかなか腰が重かったんですよ、ずっと。

生徒さんからはありがたいことに、何か出してくださいよって言われることもあったんだけど「いや、でも…」みたいな。みんなが必要としてるのって僕の曲じゃなくて僕のレッスンなんじゃないの?って、逆に今度頑固になっちゃって。


—— 成功も失敗も経験してるが故にですよね…

ソエジマ:そんな中で、自分の中で色々折り合いつけて、やっぱり今のままネオソウルを教える活動とか、セッションを教える活動を続けていったら、歴史で振り返ったときに自分の名前って残るのかなっていうのが疑問に思えてきて。

ギタリストとして年表に名前を残せるのかな、ちょっと微妙だなと。そこに名前を連ねるには代表作が必要だし、音楽的な意味で様々な人に影響を与えるっていうのは絶対必要なんで、アーティスト活動をやらないまま人生過ごすと損だって思ったんです。ギター人生において。やっといた方が良いなって。


—— アーティストとしての名義を英語表記にされたのにも理由があるのでしょうか?。

ソエジマ:ライフワークとしてやるっていうのが大事だと思って腰を上げたので、1年2年とかで急激に結果出なくてもいいかなとは思ってて…。なるべく成功する確率が高いことをやりたいということで、インストだから英語かなと。

インストの音楽って、言語による壁がないから、世界中の誰に聴いてもらっても良いというか。Instagramを英語でやっているんですけど、海外の方からコメントとかダイレクトメッセージとか頂くこともあったから、だったら少なくとも文字は読めるような英語で出す必要性があるなと。


—— 世界も海外も視野に入れてということだったんですね。

ソエジマ:どっちかというと日本でまずは何かしら活動をしていきたいです。でもその活動しているものは海外の人も見れるようにするために英語にしました。


今後について

—— 今後アーティスト活動をやる上で、どんなことに挑戦していきたいですか?今後の計画を言える範囲で教えていただきたいです。

ソエジマ:はい。アーティストとして、やっぱりまずは次の曲出さないとってところで、今出したいなと思っているのが、妻がトランペッターなので、その妻との共作の作品を出したいっていうのと、歌モノで何か曲を出したいと、もちろん自分のインスト。

—— 奥様とのセッション動画最高でした。

 

ソエジマ:どんどんハイペースで出していきたいなと思っています。本当色々あって、映像作品として海外のアーティストとかよくやっているけど、すごいお洒落な空間でガチでセッションして、レコーディングして、それを動画に残していくっていうのとか。
そういうのはすごくやりたいし、もちろんライブもやっていきたい。ライブも良いロケーションでやれたら良いかなと思ってます。


—— 音楽だけにとどまらず映像もっていうのが、まさにYouTubeで発信されてきたソエジマさんならではの発想ですね。

ソエジマ:まさにそうですね。ギター発信者としては、この夏にお洒落なギターを総合的に学べる学習サイトをリリースしようと思っています。サブスクリプションであらゆるレッスンやセミナー、スペシャルゲストによるマスタークラスが楽しめるような感じ!

日本にはまだあんまりないサービスだと思うんですけど、そういうのをリリースしていきます。サービスをリリースするっていうことと、曲をリリースするっていうのが自分の中でめっちゃイーブンなんですよね。どっちもすごいクリエイティブで作品を出してる感じだなとか思いながら(笑)。


—— そこに優劣はないんですね?

ソエジマ:そうそう。そこは完全に同列なんですよね「次に出すアルバムは会員制の学習サイトです」みたいな感じで(笑)。

でも海外だとよくありますよね。ギタリストが監修したアプリとか、サービスが出るとか。


—— ジェイコブ・コリアーとかもやってますよね?

ソエジマ:そうそう。彼はパトロンシステムみたいな感じでやってたりとかもするし。
で、やっぱりそうやって皆さんに役に立つコンテンツを出すことによって、稼いだお金こそが、自分の次のアーティスト稼働の原資になるんで。

今までそれをパトロンでやってもらうとか補助金だとか、そういうのがアーティストの古典的なあり方だったかもしれないけど、僕が考える最近のアーティストのやり方で、僕に合うのは、自分で事業も行うことで活動資金とファンを集めながら自分の活動をやるっていう。
なんかそういうイメージがあるんですよ。まだ全然ちっちゃいけど。基本はそれだなと。


—— 目から鱗のお話の連続です。今後の活躍も期待しています!
—— 最後にカルチャの読者に向けて、メッセージを頂けますでしょうか?

ソエジマ:記事を読んでくれてありがとうございます。ネオソウルって、ギターをやっていなくても、BGMとしてどんな空間にも馴染むような音楽なので、リラックスしたい時とか集中力高めたいなって時とか、そういう時に僕のEPでも良いし、サブスクのサービスでネオソウルとか検索してプレイリストを聴いてみるだけでも「好きだな」「いいな」って思う人多いと思います。是非そこを聴いて欲しいなって思います。


—— 本日はお忙しい中ありがとうございました!また、お話聞かせてください!
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