桃田賢斗(ももたけんと)選手のプロフィール・経歴・学歴・魅力とは…?【復帰したバドミントン王者】

桃田賢斗(ももたけんと)選手のプロフィール・経歴・学歴・魅力とは…?【復帰したバドミントン王者】

不祥事・事故を乗り越える度に強さを増し、ますます魅力的になっていく桃田賢斗選手。世界のバドミントン界をリードする彼の経歴・学歴・魅力について徹底解説します。

バドミントンの世界ランキング1位を獲得したことで有名桃田賢斗選手

不祥事による謹慎処分中に様々な面で成長を遂げ、2020年東京オリンピックに向けてさらなる飛躍ぶりを見せ続けてます。

本記事では、そんな桃田選手の経歴や学歴、さらにファンの間で話題になっている彼の魅力についてご紹介します。

桃田賢斗選手のプロフィール

生年月日:1994年9月1日
身長/体重:175cm
血液型:A型
家族構成:両親と姉の4人家族
出身地:香川県三豊市
出身校:福島県立富岡高校
所属先:NTT東日本
MEMO


「賢斗」という名前はアメリカコミックのスーパーマンの主人公、「クラーク・ケント」に由来しており、世界一強い人間になるようにとの願いが込められているそうです。

桃田賢斗選手の経歴と学歴

バドミントンと出会った小学生時代

桃田選手がバドミントンを始めたのは小学校2年生の時

3歳年上の姉が所属していたクラブのコーチに誘われたことがきっかけだと言います。

すぐに天性の才能を見せ始め、小学校6年生の時には全日本小学校選手権シングルスで初優勝。

同年に開催された全日本ジュニアグランプリにも香川県代表チームの一員として出場し、団体優勝に輝きました。

史上最年少で全日本総合選手権に参加した中学生時代

小学校を卒業後、バドミントン強豪校として有名な福島県の富岡第一中学校に進学した桃田選手。

そこで練習を積み重ね、中学校3年生の時に出場した全国中学校バドミントン大会では見事優勝。

全日本ジュニア選手権ではベスト4入りを達成し、中学生の男子選手史上初となる全日本総合選手権の予選参加も果たしました。

世界ランキングを50位まで上げた高校生時代

高校は、公立高校ながらスポーツ教育にも熱心な福島県立富岡高校に進学。

彼が高校1年生の時に起きた東日本大震災の影響で練習出来ない期間もあったそうですが、在学中の3年間は更なる飛躍の年となりました。

2011年、高校2年生の時に出場した世界ジュニア選手権男子シングルスでは銅メダルを獲得して表彰台入りを果たし、全日本総合選手権は準々決勝まで進出。

翌年のアジアユース選手権では男子シングルス、団体とも優勝し2つの金メダルを獲得します。

さらに、8月に開催されたインターハイ男子シングルスでは初優勝を飾る快挙を達成。

その2か月後の世界ジュニア選手権でも団体では銀、シングルスでは金メダルを獲得しジュニアの世界一に輝きます。

高校卒業時には、世界ランキングが50位まで上昇したそうです。

社会人選手として活躍を見せ始めた2年間

2013年に高校を卒業した桃田選手は、NTT東日本の実業団に入社。

入社1年目から、全日本社会人バドミントン選手権で初優勝を飾る活躍ぶりを見せます。

翌年には日本代表選手の一員としてトマス杯に初出場し、日本初の優勝に大きく貢献しました。

2015年は史上初の快挙が続出

NTT東日本に入社して3年目の2015年、4月のシンガポールオープンでBWFスーパーシリーズ男子シングルスに出場した桃田選手。

日本人の男子選手史上初となる優勝に輝き、世界ランキングは7位まで上昇します。

続く6月のインドネシアオープンスーパーシリーズプレミアでも優勝、8月の世界バドミントン選手権では男子シングルスで銅メダルを獲得。

12月のスーパーシリーズファイナルズの男子シングルスで優勝する等、史上初の快挙を次々に成し遂げた一年となりました。

この年の世界ランキングは3位まで上昇したそうです。

過去最高の世界ランキングを獲得後に待っていた謹慎処分

2016年4月、インドオープンのスーパーシリーズで優勝した桃田選手の世界ランキングは過去最高の2位まで上昇。

誰もが認める優れた成績から、この年に開催されるリオデジャネイロオリンピックの代表入りは確実だろうと思われていました。

しかし、オリンピック直前に起きた違法カジノ問題によって彼のオリンピック代表の夢は絶望的なものに。

世界ランキングは抹消され、無期限試合出場停止処分を受けることになりました。

試合への復帰と謹慎処分による変化

桃田選手の無期限試合出場停止処分が解かれたのは、2017年5月のこと。

バドミントン日本ランキングサーキット大会が復帰戦となり、試合ではおよそ1年半のブランクを感じさせない圧倒的な強さで優勝に輝きました。

謹慎処分中に地道なトレーニングや練習を続けていたと言う彼のプレーには、さらなるスピード感がついたように感じられると話題になりました。

世界王者に駆け上がった2018年

再出発を果たした昨年の復帰試合から、抹消された世界ランキングを取り戻そうと努力してきた桃田選手。

国際大会は団体戦を含めて全82試合に出場し、74勝8敗。

シングルスで出場した16大会もそのうち優勝が7回、準優勝が3回と驚くべき好成績

8月の世界選手権男子シングルスでは、日本人の男子選手史上初となる優勝を勝ち取り世界ランキング1位に駆け上がりました。

世界王者として臨んだ9月のダイハツヨネックスジャパンオープンでは、バドミントン選手になった頃から憧れていた中国の林丹選手に勝利して見事初優勝に輝きます。

オリンピックを2連覇し世界選手権で幾度も優勝経験のある彼の上に立ったことで、自身が今後のバドミントン会を引っ張っていかなければならないと改めて認識したそうです。

東京オリンピックを見据えた連勝続きの2019年

東京オリンピックまで残り1年に迫った2019年は、国際大会で連勝続き。

全英オープンやアジア選手権、さらに世界選手権や12月のWTFワールドツアーファイナルズ等を制して史上最多となる11回の優勝を成し遂げます。

特に、4年ぶり2回目の優勝となったWTFワールドツアーファイナルズは彼にとって大きな自信になったそう。

勝率90%超えの記録的な結果を作り上げました。

2020年は怪我からのスタート

2020年1月、マレーシアマスターズ男子シングルスで優勝を飾った桃田選手。

幸先良い始まりに思われましたが、続くマレーシアマスターズに向けて現地で移動していた際に交通事故に巻き込まれて大怪我を負ってしまいます。

2月3日には一度練習に復帰しましたが、シャトルが二重に見える不調が見られたため8日に手術が行われました。
その結果、完治まで3か月程度かかることが明らかに。

13日に病院の方は退院しているようですが、本格的な練習再開は未定とのこと。

MEMO


3月に復帰戦として出場予定だった全英オープンについては、欠場することを発表しています。

桃田賢斗選手の魅力

ハードなトレーニングで鍛え上げられた筋肉


2016年の謹慎処分中、真剣に自分と向き合うために今までは苦手としていた筋トレにも積極的に取り組むようになったと言います。

約2か月間はラケットに全く触れず、肉体改造のためのトレーニングを中心としたハードな練習メニューばかりをこなしていたそう。

そのせいか、復帰後の彼の肉体は以前に比べて幾周りか大きくなり、見た目もたくましくなりました。

引き締まった美しい肉体に惹かれ、新たなファンになる方も続出しているのだとか。

試合中の好マナー


以前の桃田選手は有力選手として知られる反面、素行の悪さでも有名でした。

しかし、謹慎期間を経た彼はマナー面でも大きな変化を見せており、試合中の態度は世界から称賛されています。

日本女子バドミントン界で活躍している奥原希望選手が試合前後に見せる丁寧なお辞儀を見習い、相手側に落ちたシャトルを拾うなど試合中でも相手への気遣いと敬意を見せるようになった桃田選手。

そのような変化の背景にあるのは、彼が謹慎中に参加したバドミントン教室での人との触れ合いだと言います。

応援してくれる人達の存在の大きさを改めて実感し、一球一球に感謝を込めてプレーすることで恩返しをしたいと思ったそうです。

まとめ

今回は、バドミントンの世界王者である桃田賢斗選手の経歴や学歴、魅力についてご紹介しました。

幼い頃から順調な活躍ぶりをみせていた桃田選手ですが、バドミントンが出来ない期間があったからこそさらなる飛躍を遂げることが出来たのだと思います。

先日の事故の後遺症が心配ですが、東京オリンピックに向けても出来るだけ早く復帰できることを願うばかりです。

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