声優や歌手として多くの場で活躍している蒼井翔太。高い声や、中性的な外見が特徴的な人物です。
元々は自分の声がコンプレックスだったという彼が、どのような道を経て自分の声を武器とするようになったのか。
今回は、蒼井翔太の経歴や魅力をご紹介します。
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目次
蒼井翔太・経歴 Part.1
夜あそび水曜🙄
ありがとうございました😊
マシュマロめっちゃ美味しかったなぁ❤️フリック頑張るぜぃ💪😤 pic.twitter.com/UhLrN4BaUM
— 蒼井翔太 (@shouta0811aoi) January 25, 2023
16歳の時の度胸試しが人生を変えた
人よりも高く、特徴的な自分の声が好きではなかったという蒼井翔太。元々芸能界に入りたいとは思っていなかったのだといいます。
そんな彼に転機が訪れたのは、16歳の時。「このままじゃだめだ!」と思い立った蒼井少年は、「これに出れば、自分を好きになれるキッカケになるかもしれない」と、地元の大きな夏祭りのカラオケ大会に出場することを決意しました。
そのカラオケ大会にはオーディションがあり、彼は無事に通過。しかし、お祭り当日が豪雨となり、お祭り自体が中止になってしまいました。
雨男である彼が「自分の気合に雨雲が反応しちゃったのかな…」と落ち込んでいると、家に一本の電話が。
蒼井自身は知らなかったのだといいますが、彼が出場を予定していたカラオケ大会はヤマハの「TEENS’ MUSIC FESTIVAL」というコンテストと繋がっており、カラオケ大会の主催者側から「カラオケ大会はなくなりましたが、コンテストに出てもらうことになりました」と告げられたのだそう。
彼はスタッフに言われるままコンテストに出場し、見事東海北陸地区大会においてグランプリを受賞。渋谷公会堂で行われた全国大会へと駒を進め、そこで事務所にスカウトされました。
蒼井翔太が歌声を披露した全国大会には、のちにメジャーデビューを果たす中村中やNICO Touches the Wallsも出場していました。
高校3年生で上京
コンテストに出場し、自分の歌を評価してもらえた蒼井は、「僕はこの声がないと生きていけないな」と思うようになったそう。
親も彼の思いを尊重してくれたため、高校の先生と相談し、高校3年生で上京することを決意します。
コンテストの全国大会で声を掛けてくれた事務所に所属し、3年間ほど歌手として活動。
彼は当時を振り返って、「あのお祭りの日が豪雨じゃなかったら、今の僕はなかったかもしれない」と語っています。
姉の影響で「美少女戦士セーラームーン」をよく観ていた
10歳年上の姉がおり、その影響で女の子向けのアニメに触れていた蒼井。特に「美少女戦士セーラームーン」が好きで、「こんなアニメ、今まで観たことない」という感覚でいたのだそう。
彼はフィッシュ・アイというキャラクターが大好きで、「どんな声優さんがこんなに可愛い声を当てているんだろう」と調べ、声を担当しているのが男性声優の石田彰だという事を知ります。彼は衝撃を受け、そこから声優の仕事に興味を持つようになりました。
アニメやゲームの仕事をするために事務所を退社
蒼井翔太は、歌手として活動しながらも、アニメやゲームの仕事に関わりたい気持ちを持ち続けていました。
しかし、経験もないため、事務所からは認めてもらえなかったそう。
蒼井は夢を諦めることができず、事務所に「アニメやゲームのお仕事をお許しいただけないのであれば、辞めさせていただきたいです」と申し出て、フリーとなりました。