Hi-STANDARD:復活した90年代を代表する青春バンド!その魅力とオススメ曲とは…?

Hi-STANDARD:復活した90年代を代表する青春バンド!その魅力とオススメ曲とは…?

Hi-STANDARD(ハイスタンダード/通称:ハイスタ)は1991年に結成された3人組のパンク・ロックバンドです。

1990年代を代表するバンドとして、プロやアマチュアを問わず、現在でも多くの支持を集めているバンドとして知られています。

しかし、2000年に突如として活動休止となり、ファンに衝撃を与えました。

今回は、そんな彼らがなぜ活動休止になってしまったのか。そして、活動再開に至った経緯について解説しつつ、メンバーのプロフィール、おすすめの曲を紹介していきます。

Hi-STANDARD(ハイスタ)とは


Hi-STANDARD(ハイスタンダード/通称:ハイスタ)は、1991年に結成されたパンク・ロックバンドです。

メンバーは3人で構成されており、1990年代を代表するだけでなく、現在に至るまで多くのパンクバンドに影響を与えました。

元々はヴォーカルを加えた4人での活動でしたが、1992年に脱退したことにより現在の形になっています。

デビューミニアルバム『LAST OF SUNNY DAY』のリリースに伴い、ハイスタのギターとコーラスを担当する横山健さんが、1994年にトイズファクトリーのレーベル内レーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」を立ち上げました。

その後、1999年に発売したアルバム『MAKING THE ROAD』の発売と同時に完全なるインディーズレーベルとして独立し、自分たちだけでなく、同じ志をもったバンドたちの後押しとなりました。

ハイスタは「速い・煩い・短い」という、パンク・ロックを演出する三つの要素が根底にあり、爆音を基本とした演奏でありながらも、時に甘く切ないメロディーのギャップが非常に魅力的です。

また、彼らの面白いところは、母国語の日本語ではなく、英語の歌詞で演奏することにこだわっていることです。セールス的な面を見れば、一般層に浸透させるにはマイナス要素となりがちですが、ハイスタはあえて英語で歌詞を作り、英語で歌うことを基本としています。

日本人だから日本語の歌詞という常識を覆し、後に誕生する多くのバンドに影響を与えるきっかけの一つとして先導し、音楽業界を演奏以外でも震わせるようになります。

その姿にはただ一言“カッコいい”。ハイスタの型にはまらないスタイル。もちろん彼ら以外にも似たようなバンドは存在します。

しかし、そんな中でも一際輝き、異彩を放っていたのは、ハイスタ以外にはありません。音楽で音楽を切り裂いていくからこそ、多くの支持と人気を集めたのです。

バンド名の由来

Hi-STANDARDのバンド名の由来は、イギリスのロックバンドであるThe WHO(ザ・フー)が由来になっています。

このThe WHOの旧バンド名がThe High Numbers(ザ・ハイ・ナンバーズ)というバンド名だったのですが、ハイスタのメンバーが共通して好きなバンドがThe WHOであり、“High”からバンド名を考えようという話になりました。

そしていくつかの候補を挙げ、その中から選ばれたのが今のHi-STANDARDになります。直訳すると“高い水準、高レベル”という意味になるバンド名ですが、現在の活躍を見るに、名は体を表していますね。

カラオケじゃなくバンドをしてくれ!

ちなみにハイスタの曲に関してですが、カラオケで歌えないことはご存知でしょうか。初期の頃は配信すらしておらず、現在でも一部の機材にのみにしか対応していないのです。

それはどういうわけかというと、これはハイスタ自身が望んだことでもあります。カラオケで曲を歌えば、幾らかの金銭がアーティストに還元されるようになっているにもかかわらずです。

というのも、ハイスタは自分たちでレーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」を立ち上げました。彼らは現在の音楽業界に関して思うところがあるようで、このレーベルの立ち上げはその考えの結果によるものでした。

バンドがバンドらしく活躍できる場所。ハイスタの行動によって後押しされたバンドも少なくありません。

そんなハイスタがカラオケでの配信を望まないのは、ひとえに“バンドって楽しいんだぜ”という思いからでもあります。

カラオケで歌うくらいなら楽器を弾いて、バンドを組もう。ハイスタはバンドの在り方を守るだけでなく、バンドの楽しさを“広めたい”という思いから、カラオケでの曲を配信しないようにしたのです。

日本のロックフェスを語るAIR JAM


ハイスタが主体となって開催しているロックフェスティバル「AIR JAM(エアジャム)」とは、日本のロックフェスを語る上では外せません。

1997年にハイスタを中心としたパンク・ロック、ラウドミュージック、スケートボード、BMXなどストリートカルチャーを融合させ、出演者の多くがインディーズにて活動していたコア系のバンドという内容のものでした。

チケット料金は1980円と低価格なのも話題となり、同じ年に開催された「FUJI ROCK FESTIVAL(フジ・ロック・フェスティバル)」と合わせて多くのロックファンを熱狂させました。

初年度では都内お台場に設置されたレインボーステージに1万人以上もの観客が動員され、1ステージ制(現在は2ステージ制)の中で熱い演奏が繰り広げられました。

それ以降は「SUMMER SONIC」「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」「RISING SUN ROCK FESTIVAL」と、今やおなじみとなったフェスが開催されるようになり、AIR JAMは日本のフェス文化の先駆け的存在として、今でも多くの人に愛されています。

メンバープロフィール

Hi-STANDARDのメンバー
  • 難波章浩(Vo./Ba.)
  • 恒岡章(Dr./Cho.)
  • 横山健(Gt./Cho.)

難波章浩(Vo./Ba.)

難波章浩(なんばあきひろ)は、ハイスタのボーカルとベースを担当する人物です。

東京都中野区の出身で生年月日は1970年6月9日。

大学在学中に恒岡章と横山健に出会ったことで、バンドを組むことになり、現在のハイスタが生まれました。

ハイスタが活動休止になった際は沖縄県に移住し、DIYを得意としていたため、自らの手でスタジオを建築。その後はオフィスを建設し、所属事務所呉我音響(現:ULTRABRAIN.CO.LTD)を設立しました。

また、同時期にソロ活動を始め、「TYÜNK」「なんばあきひろ&宇宙船地球号」と2つの名義でシングルをリリースします。

その後、いくつかの名義でソロ活動を繰り返し、2011年に復活を果たしたハイスタのメンバーとして再び招集され、現在に至ります。

恒岡章(Dr./Cho.)

恒岡章(つねおかあきら)は、ハイスタのドラムとコーラスを担当します。

東京都の出身で生年月日は1971年6月1日。

ドラムを始める前はギターを弾いていた過去があるそうです。しかし、当時の友人たちとスタジオに入ってみたら、全員がギターを持参していたため、とりあえずドラムをやってみたら楽しくなってしまい、以来ドラムを続けているそうです。

本格的にドラムを始めたのは本人もあまりよく覚えていないそうですが、中学3年生ぐらいが始まりだったと語ります。

叩けば鳴る。すごく原始的でシンプルな楽器であるにもかかわらず、実際にはバンドの重要な要素を占めていることに魅力を感じているそうです。

横山健(Gt./Cho.)

横山健(よこやまけん)は、ハイスタのギターとコーラスを担当します。

高校生の頃にエレキギターを購入し、それからはギター三昧の日々を送ったそうです。友人たちとヘヴィメタルをカバーするなどして過ごし、高校の終わり頃にパンク・ロックを知り、国内外の様々なバンドを聴いたが、もっとも衝撃を受けたのがTHE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)だったとのこと。

ハイスタを結成後の1999年には、レーベル「PIZZA OF DEATH RECORDS」を設立し、同レーベルの社長を務めました。このレーベルの設立により、1990年代後半に起こったメロディック・パンク・ムーブメントの牽引に一役買いました。

ハイスタが活動休止の際には自身を中心とした男性4人組パンクバンドのBBQ CHICKENS(バーベキュー・チキンズ)を結成。

また、活動休止中の間にKen Yokoyama名義でソロデビューを果たし、自らの名前が掲げられたKEN BANDを率いてライブを行っていました。

活動休止から復活まで

1991年に結成され、その3年後にデビューを果たしたHi-STANDARDは、ファンから圧倒的な支持を受ける中で突如活動休止を発表しました。その突然過ぎる発表には、誰もが驚きを隠せなかったでしょう。

ここでは、そんなハイスタの活動休止から復活までの間に何があったのか。そして、何が彼らを復活させたかについてを紹介します。

人気絶頂の中での活動休止

ハイスタの活動休止が発表されたのは、ロックフェス「AIR JAM 2000」が開催された時でした。千葉マリンスタジアムで行われたこのライブを最後に、ハイスタとしての活動は公から姿を消しました。

1999年にリリースされたアルバム『MAKING THE ROAD』は、国内外を合わせてミリオンヒットを記録するほどの人気を誇っています。

当時からメディア露出を最低限に抑えていたこともあり、このミリオンヒットはあまりに異例であり、ハイスタに対する期待がどれだけのものだったのかを物語っています。

また、活動休止を発表した2000年には、シングル『Love Is A Battlefield』をリリース。これも発売するやいなや初登場でオリコン2位という売上を達成。

結成から10周年を目前に控えていたこともあり、ハイスタのこれからの活躍に期待の視線が注がれる中での活動休止。そんな人気絶頂の中での活動休止は、多くのファン、そして音楽関係者を驚かせました。

活動休止の理由は横山健の問題?

当時、活動休止の理由に関して明確な理由は発表されていませんでした。一部ではメンバー間のいざこざが原因だったとも言われています。

また、メンバーの横山健さんの精神的な疲労とされており、一時は活動休止ではなく自然消滅、解散をしてしまったのではないかと心配する声も挙がりました。

その件に関しては、活動を再開した以降に行われたインタビューで触れています。上述してあるように横山さんの体調不良によるものでした。

横山さんはバンドの活動以外にもレーベルの社長としての活動もあり、今まで若さで突っ走ってきたものが、体調に突然影響を及ぼしたと語っています。

その後は個々で活動をしながら、いつハイスタが復活してもいいように準備を進めていたそうです。

共に立ち上がろうと活動再開

活動休止から11年後の2011年。メンバーがTwitter(ツイッター)において、『9.18 ハイ・スタンダード AIR JAM。届け!!!』とほぼ同時刻につぶやき、3人が揃った写真を掲載しました。

そして、「AIR JAM 2011」を横浜スタジアムで行うことが発表。これには大勢のファンが注目し、なんとチケット3万枚に対して22万もの応募があったというのですから驚きです。11年という月日が流れていても、これだけ愛されるというバンドは、そうそういないでしょう。

しかし、ファンとしては喜ばしいことですが、ハイスタはなぜこの時に活動を再会したのでしょうか。その理由に関しては、日本だけでなく海外をも震撼させた東日本大震災の存在がありました。

多くの人が絶望を味わい、僅かな希望だけを頼りに毎日を不安に過ごしている。ハイスタはそんな人々の光景を見て、自分たちで何かできるのではないかと再集結。そこで思い立ったのがハイスタの復活でした。

自分たちも様々な苦難や挫折を味わい、活動休止の今も立ち止まっている状況。そこから這い上がる姿を見せて、一緒に這い上がっていこうという思いがあったから、今回の活動再開につながったのです。

ハイスタ好きにとって、一部では解散や休止に関しての話題はタブーとされてきました。しかし、そんな彼らが自ら奮い立つことによって、震災で苦しむ人に少しでも光を与えられればと話し合ったそうです。

復活の狼煙を上げた11年には横浜でのAIR JAM。そして、翌年には被災地である東北でのAIR JAMを開催。震災から1年半という、まだ震災の爪痕が大きく残る中で5万人を超える観客が集まりました。

全員がこのハイスタの行動によって希望を持ったとは思いません。しかし、彼らの行動は小さな一歩の足がかりとして観客に影響したと思います。

Hi-STANDARDのオススメ曲!

多くのファンを熱狂させてきたハイスタは、1990年代を代表するバンドとして知られています。年月が経った今も、復活からの反響は大きく、2017年に発売したアルバム『THE GIFT』は、復活を待ち望んだファンにとってとても喜ばれるものでした。

ここでは、これまでのハイスタがリリースしてきたシングルやアルバムの中からのおすすめ曲をピックアップします。まだ、ハイスタの曲を知らない方はぜひご覧ください。

STAY GOLD

1999年にリリースされたアルバム『MAKING THE ROAD』に収録された「STAY GOLD」です。

イントロからのワクワク感は、ぜひとも生で聴きたくなります。この曲を聴くとテンションが上がると同時に、何でもできてしまいそうな気分になってしまいます。

STARRY NIGHT

続いて紹介する曲も1999年にリリースされたアルバム『MAKING THE ROAD』に収録された「STARRY NIGHT」です。

この曲の全体の歌詞を通しての意味は“星に願いを”です。イントロが流れ出すとライブでも盛り上がる曲の一つとして有名です。

同じフレーズが何度も出てくる曲ですが、しかし、それだけこの曲に対する意味が強く表れています。流れ星のような疾走感が曲全体を盛り上げ、声が重なる部分も聴いていて気持ちのいい曲となっています。

My First Kiss

アレンジと英語歌詞で最初は気づかない人も多いですが、よく聴いてみると「おや?」と感じる人もいるでしょう。というのも、この今日はテレビアニメキテレツ大百科のオープニングテーマ曲として使用された『はじめてのチュウ』なんです。

2000年にリリースした『Love Is A Battlefield』に収録されたカバー曲です。ハイスタの曲は英語で歌うことが一般的ですが、この曲に関しては最後の部分だけ「はじめてのチュウ」と歌っています。

原曲とはまったく違った方向性のアレンジでありながら、その馴染み具合は素晴らしく、後のカバーアーティストの基本となっています。彼らの影響力がどれほどのものだったのかがわかりますね。

DEAR MY FRIEND


1999年にリリースされたアルバム『MAKING THE ROAD』に収録された「DEAR MY FRIEND」です。

ハイスタの代表曲と言ってもいいほどの人気を誇ります。シンプルなメロディーとストレートな歌詞は、当時のメロディック・ハードコアというジャンルに火を付けたといっても過言ではありません。

活動休止を発表する前の年にリリースされたこともあり、この曲に思い出を感じる人も少なくありません。中にはこの曲を聴いて涙を流す人もいるそうです。

Fighting Fists,Angry Soul

1997年にリリースされたアルバム『ANGRY FIST』に収録された「Fighting Fists,Angry Soul」です。

当時はハイスタが一つのジャンルとして異常な盛り上がりを見せており、そんな人気絶頂の中で現れたこの楽曲は、まさに“闘い”の歌と言っても過言ではありません。

拳を掲げたくなるほどの勢い溢れるフレーズ。しかし、ダークな表現は皆無。ポップらしさがにじみ出てくるような曲には、ハイスタらしい闘い方を想像させます。

MAXIMUM OVERDRIVE

ハイスタが1995年にリリースした記念すべきファースト・アルバムGROWING UPに収録されたMAXIMUM OVERDRIVEです。

この曲でハイスタを知った、ファンになったという人も多いかもしれません。まだまだ駆け出し気味な彼らの必死さが伝わる楽曲となっており、アグレッシブさが感じられます。

映像もそれを表しているかのようにメンバーが塊になって突っ走ります。これからこの勢いで走り続ける。俺らの後に続け。若いからこそのがむしゃら感が、心を刺激します。

ANOTHER STARTING LINE

活動再開から実に16年ぶりとなるシングルANOTHER STARTING LINEの収録曲ANOTHER STARTING LINEです。

発売当時は事前告知無しで店頭に並び、SNSなどを通じてようやくその事実が拡散されていきました。週間チャートでは1位を記録し、インディーズバンドのシングルがメジャーチャートでの首位獲得はMONGOL800ゴールデンボンバーに続く快挙だそうです。

まったく衰えを感じさせない曲に、改めてハイスタの凄さがわかる曲となっています。一部ファンからは昔のハイスタとは違った雰囲気を感じたそうですが、それでも多くの反響を呼び、新たに立ち上がったハイスタの代表曲として知られています。

The Gift

2017年にリリースされたアルバム『The Gift』に収録された「The Gift」です。

18年ぶりとなるアルバムリリースは、前回のANOTHER STARTING LINEと同じく、事前告知なしでリリースされました。

ちなみにこの楽曲は渋谷や梅田駅という主要場所での広告で、バンドスコア形式で発表されました。現在でこそハイスタのカラオケ配信はされていますが、当時の「カラオケに行くならバンドを組め」というハイスタの原点に回帰する取り組みが見事に演出されました。

Hi-STANDARDはまだまだこれから

様々な困難を乗り越えてきたハイスタ。

当時の子供だった世代にとってはまさに青春を代表するバンドの一つです。

今後も様々な活躍をするであろうハイスタは、1990年代に限らず、これからも音楽を好きだという人たちのために音を鳴らし続けるでしょう。

ここまでご覧いただきありがとうございます。

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