サザンオールスターズ 40年以上に渡ってトップを走る国民的バンド! その魅力とは…?

サザンオールスターズ 40年以上に渡ってトップを走る国民的バンド! その魅力とは…?

デビュー以来、常に最高で唯一であり続けてきた「サザンオールスターズ」

80年代、90年代、2000年代、2010年代、各年代全てでトップを飾るという、偉業を成し遂げているロックバンドです。

「いかに悲しく辛い時期でも、音楽にはそれを乗り越える力がある」

桑田佳祐さんがそう語るように、サザンオールスターズは”音楽の力”を証明し続けています。

今回は、そんな誰もが知る神的ロックバンド・サザンオールスターズの、結成からの歴史、メンバーのプロフィール、おすすめ曲を紹介してまいります。

サザンオールスターズとは

始まりは青山学院大学の音楽サークルから

1975年、青山学院大学の音楽サークル”BetterDays”に所属していたメンバーによって、サザンオールスターズは結成されました。

この頃は歌謡曲が全盛の時代でしたが、まるでその風潮に抗うような個性的なロックを打ち出し、Vo.桑田佳祐さんを中心としたサザンオールスターズは、周囲から一目置かれる存在になっていきました。

1977年、大手楽器メーカー・ヤマハ主催によるコンテスト「EastWest」に出場し、見事入賞を果たすと同時に、桑田佳祐さんがベストボーカル賞を受賞。

ビクターのレーベルである”Invitation”から、メジャーデビューすることが決定しました。

デビューから大ヒット

1978年6月25日、シングル『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。

アサヒ「三ツ矢サイダー」のCMソングに起用された『勝手にシンドバッド』はヒットを記録し、第11回有線大賞新人賞を獲得しました。

1979年3月25日、3rdシングル『いとしのエリー』をリリースし、大ヒットを記録。

『いとしのエリー』は、1983年から放送され、社会現象を巻き起こした山田太一さん原作・脚本の大ヒットドラマ「ふぞろいの林檎たち」の主題歌にもなりました。

他のアーティストにはないサザンオールスターズならではの色気がある楽曲は、執拗にトレンドを追うことはなく、不思議なほど人々の心に残る楽曲ばかりで、その後も次々と名曲を世に送り出していきます。

1985年9月14日、8thアルバム「KAMAKURA」をリリースし、同年の日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞

日本を代表するロックグループとして確固たる地位を築きました。

活動休止

1986年、Key.原由子さんが産休に入るため、グループ活動を一時休止。

残りのメンバーはそれぞれソロ活動をし、桑田佳祐さんはDr.松田弘さんらと共に1年間限定のロックバンド「KUWATA BAND」を結成しました。

1988年6月25日、デビュー10周年の日に24thシングル『みんなのうた』をリリースし、活動を再開。

1990年、桑田佳祐さんが監督を務めた映画「稲村ジェーン」が全国公開となり、主題歌の28thシングル『真夏の果実』が大ヒット。

サウンドトラック10thアルバム「稲村ジェーン」は、ミリオンセラーを記録しました。

31thシングル『涙のキッス』のヒットなど、活動再開後も相変わらずの人気を誇っていましたが、1991年にBa.関口和之さんが体調を崩して休養を発表。

1995年5月22日、35thシングル『マンピーのG★SPOT』のリリースと共に、関口和之さんは無事復帰しました。

名曲を次々と

37thシングル『愛の言霊〜Spiritual Message〜』や、41thシングル『LOVE AFFAIR〜秘密のデート』など、音楽チャートにサザンオールスターズの名前がない時はないというほど、ヒット曲を連発していきます。

そして、2000年1月26日リリースの44thシングル『TSUNAMI』CD売上枚数293万枚を記録し、自身最大の大ヒットとなりました。(2020年7月現在、国内歴代4位)

同年、第42回日本レコード大賞を受賞し、名実ともに最高峰のロックグループであることを証明しました。

伝説の茅ヶ崎ライブ

2000年8月、サザンオールスターズは、伝説の茅ヶ崎ライブを開催しました。

神奈川県茅ヶ崎市出身である桑田佳祐さんが、「茅ヶ崎で、海で、コンサートやるのが夢です」と語ったのをきっかけに、茅ヶ崎市長自らオファーを出したのです。

会場となる茅ヶ崎公園野球場は、コンサートを開催するには難しい環境であったにもかかわらず、なんとかサザンオールスターズにコンサートを開催して欲しいと願う、大勢の茅ヶ崎市民が一致団結して協力し合い、見事叶えられたのでした。

会場の外には、チケットを入手することができなかったファンが集まっては、中から漏れ聴こえる音に必死に耳を傾け、海岸では特別に設置された大型スクリーンの前で多くのファンが熱狂しました。

2日間のみの開催でしたが、茅ヶ崎市民をはじめ、多くのボランティアの尽力の末に実現された「茅ヶ崎ライブ」は、伝説のライブとして今も語り継がれています。

無期限活動休止

2008年8月、日産スタジアムで開催された”4DAYS「真夏の大感謝祭」30周年記念LIVE”を大成功させた後、無期限活動休止。

「”サザンオールスターズ”という屋号を一旦休ませ、メンバーそれぞれが自由な発想とペースで音楽活動を行っていくことで、また”サザンオールスターズ”が集結した時に、グループとしてさらにパワーアップし、なお新鮮で刺激的な活動を見せることができるのではないか」という理由によるものでした。

しかし、メンバーそれぞれが思い思いの活動を続ける中、2010年7月、桑田佳祐さんが初期の食道がんであることを公表。

治療に専念するため、しばらくの間、休養することになりました。

手術や入院の報せが届くたび、多くの心配の声が聞かれましたが、同年の大晦日、紅白歌合戦にスペシャルゲストとして出演し、無事に復帰を遂げました。

さらに、2011年3月には東日本大震災が発生。

被災地である宮城には、桑田佳祐さんが復興支援ライブを開催するなど、大きな元気を送り届けました。

待望の活動再開をサプライズ発表

デビュー35周年の節目である2013年6月25日、5年間の沈黙を破り、ついに活動を再開させました。

活動再開は、水面下で準備は進められていたものの、ファンにはギリギリまで明かさず、ビッグサプライズとして発表されました。

54thシングル『ピースとハイライト』のリリースと同時に、10年振りとなる全国野外ツアー開催を発表。

無期限活動休止期間に入る時、ファンに「また会おう」と約束した日産スタジアムを皮切りに、茅ヶ崎や宮城など、ファンもサザンオールスターズ自身も強い思い入れのある地をまわるツアーであることに、全国のファンは大きな喜びの声を上げました。

今もなお、時代をリードするロックバンドであり続ける

無期限活動休止期間を経て、サザンオールスターズは約束通り、さらに刺激的で魅力的な音楽活動をみせます。

2015年3月には、15thアルバム「葡萄」のプレミア先行視聴会を、全国47都道府県の映画館で開催。

2018年8月には、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2018に出演し、世代関係なく多くの観客を魅了。

さらに、2018年の大晦日、平成最後の紅白歌合戦に特別出演し、究極の大トリを務めました。

勢いは止まらず、2019年には約55万人を動員した全国ツアー「“キミは見てくれが悪いんだから、アホ丸出しでマイクを握ってろ!!”だと!? ふざけるな!!」を開催し、メンバー全員還暦過ぎにして、キャリア最大規模のライブツアーを成功させました。

デビュー42周年を迎えた2020年6月25日、横浜アリーナにて無観客配信ライブを開催し、約18万人が視聴

先の見えないコロナ禍の中、うつむきがちなエンターテインメント業界に、新たな道筋と希望を示しました。

サザンオールスターズ・メンバープロフィール

桑田佳祐

  • 神奈川県茅ヶ崎市出身
  • 1956年2月26日生まれ
  • ボーカル・ギター

日本を代表するボーカリスト&ヒットメーカー、桑田佳祐さん

多くの名曲を世に送り出す才能は、もはや天才の域を超えて未知の頭脳です。

ソロ活動も盛んに行ってきましたが、「ひとり紅白歌合戦」は圧巻の一言。

2008年に第一回が開催され、2013年に第二回、そして2018年に完結編となる第三回が開催されました。

昭和から平成にかけて日本の音楽史を彩った様々なアーティストの名曲の数々を、桑田佳祐さんが1人で歌いきります。

2019年6月5日には、「ひとり紅白歌合戦」三回分、全171曲が収録された映像作品がリリースされました。

肩肘張らず、ユーモアたっぷりに音楽を作り続ける桑田佳祐さんの生き様は、誰が見てもとてつもなくカッコいいものです。

関口和之

  • 新潟県出身
  • 1955年12月21日生まれ
  • ベース

ウクレレを持った姿がのほほんとしていて、優しいオーラを醸し出している関口和之さん

桑田佳祐さんからは、「サザンの要」と言わしめるキーマンです。

サザンオールスターズのベーシストとして活動する傍ら、ウクレレ奏者として普及活動も行っています。

1998年にはハワイ島で開催された「スラック・キー&ウクレレフェスティバル」に参加し、現地の人々を大いに盛り上げました。

以来、ウクレレの聖地ハワイや神奈川県逗子などでウクレレイベントを開催しています。

音楽活動のほか、文筆家としても活躍しており、多彩な才能を発揮しています。

46thシングル『この青い空、みどり BLUE IN GREEN』のカップリングとして収録されている『チャイナムーンとビーフン娘』は、関口和之さんによる作詞で、原由子さんが作曲・歌唱を担当しています。

横浜中華街を舞台に、異国の地で頑張るチャイナ娘のラブソングで、ユーモアのあるなんとも優しいストーリーの楽曲でオススメです。

松田弘

  • 宮崎県出身
  • 1956年4月4日生まれ
  • ドラム

ドラムを叩きながら、絶妙なコーラスを響かせる松田弘さん

「振り返れば弘がいることで、サザンらしさが形成されている」と、桑田佳祐さんは言います。

何十年も前の曲なのに、ドラムもコーラスも空で完璧にこなす、まさに天才肌です。

3rdアルバム「タイニイ・バブルス」に収録されている『松田の子守唄』は、桑田佳祐さん作詞作曲で、松田弘さんが歌唱しており、ファンの間では隠れた名曲として知られています。

原由子

  • 神奈川県横浜市出身
  • 1956年12月11日生まれ
  • キーボード・ボーカル

「ハラボー」の愛称で親しまれている紅一点、原由子さん

優しい歌声の原由子さんは、香取慎吾さんとの「香取慎吾&原由子」や、音楽バンド・風味堂との「ハラフウミ」などが話題を呼びました。

桑田佳祐さんの奥様であることはよく知られていますが、原由子さんの自叙伝「娘心にブルースを」には、2人の馴れ初めや青山学院大学時代のエピソードが書かれています。

ちなみに「娘心にブルースを」は、学生時代に桑田佳祐さんが作ったオリジナル曲の題名です。

「新曲できたから聴いてよ」と、原由子さんを屋上に呼び出し、失恋して間もなかった原由子さんに歌い聴かせたものでした。

面白おかしい素敵なエピソードが満載の自叙伝なので、ぜひオススメです。

野沢秀行

  • 東京都出身
  • 1954年10月19日生まれ
  • パーカッション

「毛ガニ」「ケガちゃん」の愛称と、太陽みたいに明るい性格が人気の野沢秀行さん

かつて桑田佳祐さんは、「正直、サザンオールスターズの音楽はパーカッションがいなくても作れる」と語ると同時に、「でも、彼がいないとサザンに華がなくなる」と語っています。

野沢秀行さんは、ムードメーカーであり、グループの潤滑油的な役割を果たしており、サザンオールスターズの底抜けに明るい空気感は、間違いなく野沢秀行さんの存在によるものです。

2014年10月には「追撃!毛ガニ生誕60年」が開催され、ファンからお祝いメッセージを募集し、期間限定アプリゲームまで配信されました。

メンバーからもファンからも愛される、マスコット的存在の野沢秀行さんなくしては、サザンオールスターズは完成し得ないのです。

サザンオールスターズ・おすすめ曲

サザンオールスターズには、数えきれないほどの名曲があります。

その中でも、今ぜひ聴いてほしいオススメ曲をご紹介します。

茅ヶ崎に背を向けて

デビュー40周年を迎えた2018年6月にNHKホールで開催された、サザンオールスターズ キックオフライブ「ちょっとエッチなラララのおじさん」で最初に演奏された曲です。

生まれ育った茅ヶ崎を出て、東京で出会った仲間と共に40年も音楽をやってきた、という思いを馳せながら演奏された特別な曲。

歌い出しの”ほんとうに 今までありがとう”は、ファンに向けて最高の言葉として響きました。

しかも、この曲が収録されているのは、1978年にリリースされた1stアルバム「熱い胸さわぎ」

サザンオールスターズが世に出てすぐ発表されている曲が、40年の時を経て響く、ロマン溢れる曲なのです。

SEA SIDE WOMAN BLUES

1998年にリリースされた13thアルバム「さくら」に収録されている楽曲です。

シングルカットして欲しいと願うファンの声が多く聞かれました。

40周年キックオフライブでは、桑田佳祐さんが「好きな曲だ」と、思わず口にした名曲です。

桑田佳祐さんらしい「愛の表現」を、優しくムーディーに感じることができます。

勝手にシンドバッド

1978年6月25日にリリースされたサザンオールスターズのデビュー曲です。

デビュー前、芸能事務所アミューズの創業者である大里洋吉さん(現・代表取締役会長)がこの曲を演奏するサザンオールスターズを見て、とんでもなく秘められた魅力を見抜きました。

デビューシングルからいきなり聴衆を釘付けにした、サザンオールスターズの始まりを飾った曲です。

女呼んでブギ

デビュー前、桑田佳祐さんがベストボーカル賞を受賞したヤマハのコンテスト「EastWest」で披露した曲です。

1stアルバム「熱い胸さわぎ」に収録されています。

この曲がなければ、もしかしたらサザンオールスターズは存在しなかったかもしれません。

まだ学生だった桑田佳祐さんが作詞作曲をした、サザンオールスターズが世に出る前の楽曲ですが、今聴いても新鮮に感じられるのは、本当にすごいことです。

闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて

2018年6月に配信された、サザンオールスターズ初の配信シングル曲です。

「環境や世代は違えど、今もどこかで困難に立ち向かいながら闘っている人がいる」、そんな「誰か」に向けた応援ソングです。

理不尽なこと、諦めなければいけないこと、どれほど追い求めても上手くいかないことなど、様々なもどかしさを抱えながら「ストレス社会で闘う戦士」へ向けた詩は、躊躇していた次の一歩を踏み出させてくれます。

少し疲れたなと思ったら、ぜひこの曲を聴いてみてください。

最後に…

サザンオールスターズが誕生して、40年以上もの月日が経ちました。

時代が大きく変化したこの時間の中で、サザンオールスターズはたくさんの楽曲を生み出してきました。

しかし、どれだけ時間が経とうとも、サザンオールスターズの曲は少しも色褪せることがありません。

世代によって、「懐かしい」と思う人もいれば、「新鮮だ」と感じる人もいますが、何故だか「古くさい」とは感じられないのです。

それはサザンオールスターズが、いつの時代も唯一無二であり続け、「変わっていくこと」と「変わらないでいること」を大切にしてきたからではないでしょうか。

サザンオールスターズはこれからも私たちファンを、素敵な音楽でワクワクさせてくれるに違いありません。

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