チャットモンチー|平成を代表するガールズバンドの経歴やおすすめ曲を紹介!

チャットモンチー|平成を代表するガールズバンドの経歴やおすすめ曲を紹介!

「ガールズバンドの代名詞的存在」として、今なお多くの人に愛され続けるバンド・チャットモンチー

2018年に「完結」という形で惜しまれつつ解散を迎えましたが、彼女らの活動や楽曲は多くのリスナーだけでなく、現在活躍するアーティストにも大きな影響を与えました。

今回の記事では、そんなチャットモンチーの経歴やおすすめ曲について、詳しく紹介していきます。

チャットモンチーとは?

  • 2000年 Gt/Vo橋本を中心に結成
  • 2005年 デビュー
  • 2011年 Dr高橋が脱退、橋本・福岡の2人体制で活動開始
  • 2018年 チャットモンチー完結(解散)

徳島県発、3ピースロックバンドとしてデビューしたチャットモンチー

2018年に解散したものの、今でも「憧れのバンド」「バンドを始めたきっかけ」といった話題で彼女らのことを耳にする機会は多いです。

素朴な佇まい、ガールズバンドとは思えないパワフルな演奏、どこまでも突き抜けるハイトーンの歌声、詩的で共感を呼ぶ歌詞。これらの個性が合わさった魅力が、若者から大人まで多くの人の心を掴みました。

特に、ガールズバンド史上最短記録となるデビューから2年8ヶ月で武道館公演を決めたというエピソードは、そのスター性を物語っています。

メンバーが脱退し2人体制となって以降も、固定観念に捉われない「バンド」の新たな可能性を感じさせる独自の音楽性を見せてくれました。

解散から時間が経った今でも、チャットモンチーが残した名曲は今なお多くのリスナー、アーティストに大きな影響を与えています。

チャットモンチーのメンバーは?

橋本絵莉子(Gt/Vo)

ギターボーカル、作詞、ほとんどの曲の作曲を手がけたバンドの中心人物です。

小柄で癒し系のルックスながら、ギターを持つと情熱あふれる演奏を披露する、そんなギャップにやられた人も多いのではないでしょうか。

高校の同級生である福岡も、普段学校で大人しい橋本が歪んだギターをかき鳴らし、歌う姿を初めて見たときは衝撃を受けたそうです。

そんな橋本の最大の個性といえば、やはりそのハイトーンボイス。時に切なく、力強くもあるその歌声は、チャットモンチーの楽曲に欠かせない魅力となっています。

また、橋本はほとんどの楽曲を詞先行で作っており、自身やメンバーが作った詞から数々の名曲を生み出しました。彼女らの楽曲の個性は、この作曲スタイルから生まれているのかもしれません。

MEMO

2010年にtacica・猪狩と結婚し、現在は一児の母として子育てをしながらソロ活動を行っています。2021年12月にはソロ初となるフルアルバム『日記を燃やして』が発売予定です。

福岡晃子(Ba)

主にベースやコーラスを担当し、2人体制になってからはドラム、キーボードなどもマルチに演奏しました。また、作詞も担当しています。

クールな演奏スタイルももちろんですが、ライブで会場を盛り上げ、一気にその場を明るくするパフォーマンスも印象的です。

また、バンドの変化に応じてベース以外の楽器にも挑戦するなど、常にバンドを支え続けた存在でもあります。

作詞の面でも評価が高く『恋の煙』『染まるよ』『満月に吠えろ』など、人気楽曲も数々手がけました。

バンド解散後の現在は徳島を拠点に、楽曲提供やアーティストプロデュース、バンド「くもゆき」「吉本新喜劇ィズ」としての活動や、アパレルブランドの運営、地元徳島でのイベント開催など、多方面で活躍しています。

MEMO

2021年にはYouTubeチャンネルを開設し、1本目の動画でバンド解散後に結婚、2020年に出産していたことを発表しました。

高橋久美子(Dr、2011年脱退)

2011年までの3ピース体制時代にドラム、作詞を担当していました。

ドラムとしてはもちろん、作詞の面でも大きく貢献していて、デビューアルバム収録の『ハナノユメ』『サラバ青春』『シャングリラ』『風吹けば恋』といったチャットモンチーの代名詞的楽曲は彼女の詞から生まれています。

元々、作詞や執筆の世界に関心があった高橋。チャットモンチーとして活動中から執筆活動、個展なども並行して行っていました。

2011年のバンド脱退も「音楽に向かっていくパワーがなくなってしまった」ことが理由と語っています。

脱退後は作詞家として、大原櫻子ももいろクローバーZ原田知世など様々なアーティストへの詞提供の他、エッセイや小説などの執筆活動を行っています。

MEMO

チャットモンチー完結の際には、ラストアルバム収録楽曲への詞提供、ラストライブとして徳島で開催された「こなそんフェス」にゲスト出演も果たしました。

チャットモンチーの歴史

結成からデビューまで

チャットモンチーは、橋本が高校生だった2000年に結成されました。

当時橋本は同級生と3ピースで活動していましたが、進学を理由に橋本以外のメンバーは脱退してしまいます。

そこで橋本が声をかけたのが、同じ高校でバンド活動を行っていた福岡でした。

元々チャットモンチーのファンだった福岡は加入を承諾し、以後はドラムにサポートを加えながら活動を続けます。

大学へ進学した福岡が軽音楽部で出会った高橋も、初めはサポートとしてチャットモンチーでドラムを叩く1人でした。

「正規メンバーになってほしい」との申し出を受けながら、なかなか承諾しなかった高橋。しかし、チャットモンチーの2人がライブで披露した『橙』の演奏に心を動かされ、ドラマーとして正式加入することを決意します。

ここから3人体制のチャットモンチーが始まり、本格的な活動がスタートしました。

その後、徳島市のバンドイベントでグランプリを獲得。彼女らの知名度は、徳島から少しずつ全国のライブハウスへと広がっていくこととなります。

そしてメジャーデビューが発表されたのは、イベントでグランプリを獲得してからわずか約1年半後の2005年のことでした。

デビュー後の活躍、高橋の脱退まで

2005年11月、ミニアルバム『chatmonchy has come』でメジャーデビューを果たしたチャットモンチー。

徐々に話題となっていく中で、彼女らの知名度を一気に引き上げたのは2006年リリースの3rdシングル『シャングリラ』でした。

この曲で初のオリコンチャートトップ10入りを果たし、バンド最高位となる6位を獲得。バンド愛好家はもちろん、お茶の間にもその人気は広がっていきます。

その後も武道館公演、アルバムで2作連続オリコンチャート2位獲得、CMや映画のタイアップなど、飛ぶ鳥を落とす勢いで人気バンドの階段を駆け上がりました。

そんな日本を代表するガールズバンドに成長した彼女らが、転機を迎えることとなるのは、2011年のこと。

ドラム、作詞の面でバンドを支えた高橋が9月に脱退を表明したのです。

心配の声も多く挙がりましたが、橋本と福岡が出した結論は「2人で活動を続ける」というものでした。

2人体制での活動から解散まで


高橋脱退後は福岡がドラムを練習し、ドラムとギターの2ピース編成で活動を続けます。

2ピースとなって初のシングル『満月に吠えろ』では、その歌詞と力強いパフォーマンスに、2人の強い決意を誰もが感じたことでしょう。

その後、2013年の橋本の出産に伴う約1年の休止を経て、活動を再開した2014年以降は、サポートメンバーを加えた体制でのライブ活動が中心となります。

さらに活動10周年記念ライブを終えた2016年以降は「チャットモンチー・メカ」と称した打ち込みを取り入れ、これまでにない色の楽曲やパフォーマンスを披露しました。

こうして節目ごとに、新しい形に変身していきながら、バンドの新たな可能性を追求し続けたチャットモンチー。

デビューから活動12年目を迎えた2017年11月、「やりきった」という思いから、2018年7月をもってチャットモンチーを「完結(解散)」させることを発表しました。

発表後はリスナーや多くのアーティストから、解散を惜しむ声や感謝の言葉が数々寄せられます。

特に2018年3月にリリースされたトリビュートアルバム『CHATMONCHY Tribute ~My CHATMONCHY~』は、チャットモンチーがいかにアーティストから愛された存在であったかが分かる印象的な作品です。

MEMO

忘れらんねえよPeople In The Boxきのこ帝国川谷絵音Hump Backグループ魂など、親交の深いバンドや彼女らに影響をうけたアーティストたちが参加しています。

そして6月にラストアルバム『誕生』をリリースし、7月には武道館でラストワンマンライブを開催。

全国の映画館でのライブビューイングによる生中継という形で、チャットモンチーファンが日本中から見守る中、デビュー前から支え合ってきた2人の強い絆を実感する感動的なライブを見せました。

同じく7月、地元徳島でのライブフェス「こなそんフェス」を最後に、正式に活動を「完結」したのです。

デビュー以来、独自の音楽性とバンドの新たな可能性を見せ続けてくれたチャットモンチー。彼女らの楽曲は、これからも色褪せずに聴き継がれていくことでしょう。

チャットモンチーのおすすめ曲は?

ここからは、チャットモンチーを語る上で欠かせない名曲5選を紹介します。

ハナノユメ

デビューミニアルバム『chatmonchy has come』収録の楽曲です。

冒頭、かわいらしい歌声から始まったと思いきや、ギターの轟音が入ってくると一気にそのギャップに驚かされる方も多いかもしれません。

また、一見ポップな曲に思えますが「薄い紙で指を切って赤い赤い血が滲む」といった高橋が手がけた歌詞の世界観も、すでにチャットモンチーの唯一無二の個性を感じさせます。

デビュー曲にして、チャットモンチーの魅力や個性が詰まった名曲です。

シャングリラ

2006年11月リリースの3rdシングル楽曲です。

ワクワク感のあるイントロ、一緒に歌いたくなる人懐っこいメロディとリズム、そして耳に残る「シャングリラ」というワード。

これらがばっちりとはまった1曲で、オリコンシングルチャートではバンド史上最高位となる6位、またこの曲が収録された2ndアルバム『生命力』は、オリコンアルバムチャート2位を記録しました。

チャットモンチーを一躍人気バンドへと押し上げたきっかけの1曲と言えるでしょう。

染まるよ

2008年11月リリースの9thシングルで、初めて亀田誠治をプロデューサーに迎えた楽曲です。

「歌詞が心に刺さる」と評価の高いチャットモンチーの失恋ソングですが、この『染まるよ』は特に「聴くと昔の恋人を思い出して涙が出る」と共感の声が多いです。

そんな歌詞に乗せられた切ないメロディーと、エモーショナルなサビのアレンジ。そしてラストのサビの転調でさらに一気に感情が揺さぶられます。

過去の恋愛や思い出のBGMとして、たくさんの人の記憶に残っている1曲です。

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きらきらひかれ

2012年7月、2ピースとなってから4枚目にリリースされた楽曲です。ASIAN KUNG-FU GENERATION・後藤正文がプロデュースを手がけています。

この曲をはじめとする2ピース編成の楽曲は、福岡がドラムを叩くチャットモンチーだからこそ鳴らせる音が、バンドの新たな個性として発揮されています。

特にこの『きらきらひかれ』は「チャットモンチー最速」とも言われている曲で、福岡が刻む力強いリズムに、橋本のキレのあるギターとパワフルな歌声が乗った、疾走感あふれる楽曲です。

2021年3月からは、ライオンの口臭ケア製品「NONIO」のCMソングにも起用されており、前向きな曲調と歌詞が改めて注目されています。

majority blues

2016年11月リリースの18枚目のシングルで、首都医校、 大阪医専、名古屋医専のCMソングにも起用されました。

橋本が学生時代にアーティストを夢見て、上京するまでのエピソードが語られた等身大の歌詞は、夢を持って前に進む人にとって共感を呼ぶものとなっています。

特にラストのサビに繰り返し出てくる「あなたを守る人は私」という歌詞は、自分を信じて未来へ進む強い意志を感じさせます。

橋本の音楽に対する姿勢や情熱に勇気をもらえる、心に響く1曲です。

チャットモンチーまとめ

2018年の解散まで、リスナーやアーティストを魅了し続けたバンド・チャットモンチー

彼女らが残した数々の名曲は、これからも若者から大人まで、たくさんの人たちに愛され続けるに違いありません。

また、チャットモンチーを「完結」させ、新たな物語をスタートさせたメンバーそれぞれの今後がとても楽しみですね!

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