亀田誠治|日本を代表する音楽プロデューサー&ベーシストのプロフィール・経歴・魅力とは?

亀田誠治|日本を代表する音楽プロデューサー&ベーシストのプロフィール・経歴・魅力とは?

多くのアーティストから信頼され、これまで数々の名曲を世に送り出してきた音楽プロデューサー・亀田誠治

今や日本の音楽界に欠かせない存在として、プロデュースや作詞作曲を行う傍ら、ベースプレイヤーとしても大変人気があります。

今回の記事では、そんな日本を代表する音楽プロデューサー&ベーシスト・亀田誠治のプロフィールや経歴、そしてその魅力について解説していきます。

亀田誠治のプロフィールは?

  • 1964年6月3日生まれ ニューヨーク出身
  • 音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、ベーシスト
  • 東京事変、Bank Bandでベースを担当

数々のアーティストのプロデュース、作詞作曲や編曲に関わっている亀田誠治。

誰もが知る日本の名曲に「実は亀田誠治が携わっている」ということは少なくありません。

これまで携わってきたアーティストの数は、なんと300以上!亀田誠治が音楽業界でいかに信頼の置かれている存在であるかを物語っています。

亀田誠治がプロデュースを手がけた主なアーティスト

  • ・椎名林檎
  • ・GLAY
  • ・Do As Infinity
  • ・平井堅
  • ・いきものがかり
  • ・JUJU
  • ・秦基博
  • ・大原櫻子
  • ・チャットモンチー
  • ・スピッツ
  • ・アンジェラ・アキ

プロデュースだけでなく、ベーシストとしても活動していて、椎名林檎率いるバンド・東京事変のメンバーです。

その他、櫻井和寿らが中心となって活動しているBank Bandなど、様々なプロジェクトやアーティストのサポートとしてもベースを演奏しています。

また、私生活の面では、同じく音楽家の下成佐登子さんと結婚していて、2人の息子さんがいます。

亀田誠治の経歴は?

幼少期からプロデューサーデビューまで

幼少期からピアノやギターを嗜む音楽少年だった亀田誠治。

演奏はもちろん、音楽リスナーとしての情熱も幼い時から持っていて、小学生のときはラジオ番組を真似て「オリジナルTOPチャート」を自分で構成していたそうです。

そして、彼の代名詞となるベースに目覚めたのは中学2年生の頃。ミュージシャンになりたいという夢を抱き始めたのもこの時からで、音楽への情熱を徐々に募らせていきます。

大学時代のベースの練習時間はなんと1日12時間だったそう。さらにこの時からユニットを結成し、曲を書いてデモテープを送るという「就職活動」を始めました。

なかなか自身のデビューには繋がらなかったものの、送った楽曲がきっかけでプロの現場の仕事を手伝えるようになり、25歳となった1989年、ついに転機が訪れます。

亀田の制作した曲がコンペで選出され、アイドルグループ・CoCoのシングル楽曲への採用が決定したのです。

さらにこの楽曲の編曲にも携わったことがきっかけとなり、正式に音楽会社への所属が決定。

ここから音楽プロデューサーやスタジオミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせていきました。

転機となった椎名林檎との出会い

更なる転機となったのが、椎名林檎との出会いだったと亀田は語っています。

2人が出会ったのは1997年頃。ある日、亀田は「新しい女性アーティストをデビューさせることになったが、歌詞も曲もアイディアも奇想天外で我々では手に負えない」と、会社のディレクターから相談を受けます。

この女性アーティストこそが、椎名林檎です。

「亀田ならなんとかしてくれるだろう」という期待に応えるように、亀田は椎名林檎と正面から向き合い、1年もの間デモテープを作り続けました。

亀田自身も椎名の、ジャンルに捉われない音楽に対する姿勢や「これまでにない音楽で自分を表現したい」という思いに影響され、「想像力が開花していった」と語っています。

そして満を持して発売された1stアルバム『無罪モラトリアム』、2ndアルバム『勝訴ストリップ』はどちらもダブルミリオンという歴史に残る売り上げを記録。

椎名林檎はもちろん、アレンジャーとベーシストとして参加した亀田は、一気に音楽界で名前を知られることになったのです。

MEMO

椎名林檎は亀田誠治を「師匠」と呼ぶほど信頼しており、東京事変のメンバーに選んだだけでなく、ソロ活動の際にも度々プロデュースやサポートで亀田の力を借りています。

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日本を代表するプロデューサー&ベーシストへ

椎名林檎のプロデュースとサポートを皮切りに、スピッツ平井堅といった人気アーティストからも声が掛かるようになった亀田。

その後も数々の名曲の誕生に携わり続け、2007年、2015年の日本レコード大賞で編曲賞を受賞するなど、誰もが認める名プロデューサーとなりました。

また、日本の音楽界を盛り上げるために「亀の恩返し」というライブイベントを行ったり、音楽の知識や教養を伝える「亀田大学」を企画したりと、音楽を通した画期的な活動も実施しています。

ミュージシャンとしては、椎名林檎らと2004年に東京事変を結成。ベーシストとしての実力をさらに発揮し、日本を代表するベースプレイヤーとしても親しまれるようになりました。

こうして今や亀田誠治は、音楽プロデューサーとベーシストとして、J-POP界を支えている存在となっているのです。

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亀田誠治のプロデューサーとしての魅力とは?

アーティストと向き合い、可能性を引き出す力

「プロデューサーの仕事の半分はヒアリング」と語っているように、アーティストの意思をしっかりと聞くことを大切にしているという亀田。

椎名林檎のエピソードからも分かるように、こうした姿勢が他のプロデューサーが「手に負えない」と思うアーティストにも真摯に向き合えることに繋がっています。

アーティストの魅力や個性を決して見逃すことなく、その可能性を最大限にまで引き出せるのは、こうした相手に寄り添う姿勢があるからこそでしょう。

ジャンルや年代に縛られない柔軟性

2021年で御年57歳を迎えた亀田ですが、今なお若手アーティストのプロデュースにも数多く携わっています。

それは「今の音楽を聴いてつまらないと思ったことは1回もない」と語っているように、彼自身がジャンルや年代に捉われることなく、どんな音楽にも魅力や新しさを見つけていくことができるからです。

そうして誰よりも音楽を愛する亀田誠治だからこそ、どんなジャンルであろうと「アーティストが輝ける」「皆に愛される」楽曲を作ることができるのでしょう。

MEMO

若手アーティストでは、GLIM SPANKYアイナ・ジ・エンドヤバイTシャツ屋さんなどのプロデュースも手がけています。

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いつでも明るく前向きな姿勢

亀田誠治のSNSなどでの口癖は「大笑福」

いつも明るく笑顔を絶やさない彼の生き方は、多くのリスナーに元気を与えているのはもちろん、アーティストからの厚い信頼にも繋がっています。

誰よりも前向きに音楽を楽しみ、そして音楽の持つ力を信じている亀田だからこそ、たくさんの人の心に響く楽曲を届けることができるのでしょう。

亀田誠治プロデュースの名曲

これまで数えきれないほど多くの名曲を世に送り出してきた亀田誠治。

その中でも特に素晴らしい楽曲を5曲厳選して紹介します。

ギブス/椎名林檎

2000年1月、椎名林檎の2ndアルバム『勝訴ストリップ』の先行シングルとして発売された楽曲です。亀田はこの楽曲にアレンジャー、そしてベーシストとして参加しています。

この曲を17歳で書いたという椎名。そんなこれまでにない才能に、多くのプロデューサーが手を焼いたという逸話があります。

しかし、その才能を大衆化することなく最大限に生かし、かつ多くの人に響く楽曲となるようアレンジを加えて名曲に仕上げた、亀田誠治のプロデュース能力の高さを感じる楽曲です。

MEMO

亀田誠治自身もこの曲を特に気に入っていて、自身の葬式で流してほしいと公言しています。

瞳をとじて/平井堅

平井堅の20thシングル楽曲で、2004年4月にリリースされました。亀田はアレンジとプロデュースに携わっています。

大ヒット映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の主題歌として書き下ろされた、平成を代表する名曲です。

映画のタイアップ楽曲であったため、映画製作側の要望に応えなければならないという状況だったものの、それすらも前向きに捉えて楽曲制作に携わることができたと、自身のインタビューで語っています。

そんな亀田誠治のプロデューサーとしての姿勢を確立させた一曲と言っても過言ではないでしょう。

やさしさで溢れるように/JUJU

2009年2月に発売された、JUJUの9thシングル楽曲です。亀田は楽曲のプロデュース、編曲、作詞に携わっています。

JUJUが初めて亀田と共に制作した楽曲で「多くの人にJUJUを知ってもらえるきっかけとなるように」という思いを込めて制作されたそうです。

その思いの通り、今ではJUJUの代表的な楽曲として多くの人に愛され、有名アーティストからも頻繁にカバーされる名曲となりました。

2021年1月にはYouTubeの人気チャンネル「THE FIRST TAKE」でJUJUが生パフォーマンスを披露。亀田もベースで参加し歌声を彩りました。

春の歌/スピッツ

スピッツの30thシングルとして、2005年4月にリリースされました。「春に聴きたい曲といえばこれ」という方も多いのではないでしょうか。

亀田はアレンジャーとして楽曲に携わり「スピッツにしか鳴らすことができない、最新かつ最良のエバーグリーンな音楽を目指した」と語っています。

その言葉の通り、きらめきと切なさが共存した春という季節が持つ二面性を「スピッツらしさ」を最大限に生かした上で、見事に表現した楽曲です。

藤原さくらなど他のアーティストからもカバーされ、長く愛される名曲となっています。

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フロントメモリー/鈴木瑛美子×亀田誠治

神聖かまってちゃんの楽曲を、当時高校生ボーカリストとして話題を集めていた鈴木瑛美子がカバーし、2018年5月に配信限定でリリースされました。亀田は鈴木カバーのプロデューサーとして携わっています。

パワフルな歌声を武器とする鈴木。当時はテレビ番組やCMでも、ゴスペル育ちの力強い歌声を発揮していました。

しかしこの楽曲はいい意味で「脱力感」のある鈴木の歌声が発揮され「こういう歌声も素敵なんだ!」とリスナーに思わせるような新たな魅力が表現されています。亀田だからこそ、彼女の新しい一面を引き出せたのかもしれません。

SNS上でもこの楽曲を使用した動画や、弾き語りカバーをする若者が多く、幅広い世代から愛される1曲です。

亀田誠治 まとめ

プロデュースという形でアーティストをサポートすることによって、日本の音楽界を支えつつ、ベーシストとしても進化し続ける亀田誠治。

誰よりも音楽を愛し、楽しんでいる彼だからこそ、たくさんのアーティストとタッグを組み、人の心に響く楽曲を作ることができるのでしょう。

これからも彼がどんな音楽やパフォーマンスを見せてくれるのか、楽しみで仕方ありませんね。

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