w.o.d. – 令和に鳴り響く骨太グランジ! メンバーや経歴、魅力を解説

w.o.d. – 令和に鳴り響く骨太グランジ! メンバーや経歴、魅力を解説

メンバー紹介

Vo.&Gt.サイトウタクヤ

  • 1994年6月23日生まれ
  • 兵庫県出身

w.o.d.のフロントマンであり、バンドの世界観を作るトラックメーカーです。

The BeatlesNirvanaSUM41Green Dayなど洋楽、特にグランジやオルタナティブサウンドが彼のルーツ。

通っていた中高一貫校が外国人や帰国子女が多く、邦楽より洋楽を耳にする機会が多かったとインタビューで振り返っています。

小学校高学年の頃に兄の影響でギターを始め、ギタリストを目指していました。

中学2年生のころ、同級生だったKenと友人2人とバンドを結成。

本格的に音楽がやりたいと思い至ったときにNirvanaのようなグランジサウンドをやりたいと持ちかけています。

最初こそグランジサウンドにこだわっていたものの、他ジャンルの音楽にも挑むようになっていきます。

高校時代に数多くのコンテストに応募したいと提案したのも彼。

入賞やファイナリスト選出を経験するものの、大きな結果は残せませんでした。

この挫折がちゃんと音楽をやりたいと思うきっかけになったそうです。

MEMO

洋楽がルーツではあるものの、BUMP OF CHICKENやsyrup16gなど日本のロックバンドからも影響を受けています。とくにBUMP OF CHICKENはインタビューの中で何度も出てきており、彼らの影響を受けた曲もあります。

Ba. Ken Mackay

  • 1994年8月11日生まれ
  • 兵庫県出身

日本とニュージーランドのハーフで、生まれはニュージーランドの首都・ウェリントン。

サイトウとは中高の同級生で、サイトウに「ベースを弾け」といわれてベースを始めています。

彼の音楽のルーツはRed Hot Chili Peppers

元々ヒップホップ寄りでしたが、中学の頃に聞いたRed Hot Chili Peppersのアルバム「Blood Sugar Sex Magik」の衝撃を受け、彼のベースの演奏スタイルにも影響を与えています。

オリジナルソングを作る際の指針にもなっただけでなく、上京前はRed Hot Chili Peppersのベース・フリーを真似て指でベースを弾いていました。

音楽を本格的にやれる環境を求めて大学へ進学。

サイトウ同様、本格的に音楽をやりたいと思いだしたのもこの頃です。

中島の加入のきっかけを作ったのは彼。

対バンライブで初めて音を聞いた際に一目ぼれし、ドラムが脱退した際にいち早く中島に声をかけています。

MEMO

Red Hot Chili Peppers以外にも影響を受けたアーティストは多数います。インタビューではQueens of the Stone Age、Rage Against the Machine等の名前を挙げています。

Dr.中島元良

  • 1985年12月23日
  • 福岡県出身

他2人の音楽のルーツは洋楽メインでしたが彼のルーツには邦楽もあります。

はじめはMr.Childrenのようなポップ感のあるバンドも聞いていたようですが、徐々にロックに傾倒。

メンバー全員がw.o.d.の音楽の方向性であるハードロック・グランジロックを通ってきています。

元々BAND Aのドラマーとして活動していましたが、2018年7月に解散。

解散前にw.o.d.と対バンで共演しています。彼らの音に魅了され、同時にw.o.d.の現メンバーも中島のパフォーマンスに惹かれていました。

この時ライブを開催していた場所が傘つきの暗い電球しかないような場所で、電球の位置よりKenのほうが大きかったんだとか。

そのせいで、中島の第一印象は「でっけえやつが顔見えないけどこっちを見てる」とインタビューで話しています。

1stアルバムリリース前後、ドラムが抜けることが決まり現メンバー2人の総意で彼にオファー。

1時間のセッションだけで判断されたので中島のほうからサポートメンバーとしての活動を提案し、当時のライブを一緒に回ることに。

その後、加入が決定。彼のみ年齢が離れているものの、違和感なく馴染めています。

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