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【宝塚時代 Part.2】ヤンミキが人気爆発!トップ就任後は宝塚の革命児へ
安寿ミラとのコンビで人気を獲得
真矢がトップへの階段を駆け上がったきっかけとして、安寿ミラとのバディ共演があげられます。
その代表作が、1986年にバウホールで上演された「グッバイ・ペパーミントナイト!」。
それまで宝塚といえば男役トップスターと娘役トップが織りなす恋愛ドラマがメインでしたが、本作では、宝塚史上初となる男役同士でのバディがメインの物語でした。
真矢と安寿のW主演は、ヤンミキ(安寿と真矢の愛称)と称され、かつてないほど高い人気を博しました。
2人は先輩後輩の関係でありながら、ライバルとして切磋琢磨しあい、花組の中で2、3番手にまで浮上。
その後、真矢は「ベルサイユのばら」のオスカル役を務め、さらに注目度を高めていきました。
1992年に安寿が花組のトップスターに就任すると、真矢は2番手に就任し、2人を筆頭に花組を支えていきます。
震災直後に迎えたトップ就任
1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生。
当日は、宝塚大劇場にて安寿ミラと相手役である森奈みはるのサヨナラ公演が上演される予定でしたが、当然のように延期に追い込まれてしまいました。
避難するさなか恩人の訃報が入るなど、真矢にとって精神的にもつらい日々が続きました。
震災から半年後となる1995年6月30日、「エデンの東 / ダンディズム!」で花組のトップスターに就任した真矢。
街中にはまだ瓦礫が残り、元の生活に戻るにはまだほど遠い状態でしたが、公演を続けることこそが宝塚の町に復興の灯をともすために自分たちができる最善の選択だと考えていたそうです。
しかし、現実は厳しく、新トップの就任公演であるにもかかわらず、2階席に観客の姿はありませんでした。
当時の経験が真矢を大きく突き動かし、どんな状況でも動員にこだわろうと奮い立たせたのです。
男役のイメージを変える大胆な改革
真矢ミキといえば、宝塚や男役のイメージを大きく変化させた立役者。
元々宝塚ファンでなかった自身の記憶から、宝塚のどんな部分に抵抗があったのかを箇条書きにして、一つひとつ改革していきました。
例えば、従来の青いシャドウを取り入れた派手なメイクから、茶色系で陰影をつけるメイクに変更。
口紅も真っ赤なものから肌に合ったナチュラルなものへと変更し、リアルな男性像を追求していきました。
何より真矢が演じるキャラクターは、従来のトップが演じてきた役柄と大きく異なります。
トップスターといえば好青年や王子様のような正統派二枚目の役が多かったのですが、真矢は三枚目や楽観的な青年、最終的にはコミカルな犯罪者まで多様に演じています。
真矢が演じた男役は美しいビジュアルはもちろん、その艶やかな声も大きな人気の理由でした。
彼女が表現するキャラクターは空想の中の理想の王子様ではなく、女性が本能的に魅力を感じてしまう男性そのもの。
真矢らしさを前面に押し出した役作りは大きなファンダムの獲得へと繋がりました。
どの作品をとっても独自の魅力が詰まっており、見ているだけでドキドキしてしまうファンは多かったはず。
トップ時代に務めた突飛な役柄も、166㎝と決して高くはない身長の真矢が最大限役を味方につけようとした末の選択でした。
自分の魅力が反映できる作品、役柄を真剣に見定めていたことがうかがえます。
異例の写真集発売!宝塚初の武道館ライブを敢行
1997年、篠山紀信が撮影した真矢のソロ写真集「Guy」が出版されました。
この写真集は大きな話題を獲得したものの、女性姿の写真も含まれていたため、宝塚の理事会では徹底的なチェックを施すなど、一部では物議を醸していました。
しかし、春日野八千代といった大先輩が時代の変革を背負う真矢に共感してくれたおかげで、最終的にはポジティブな魅力として広く受け入れられています。
1998年には、宝塚から退団することを公表した真矢。
それまでのトップたちが退団を発表した後には、バウホールでの公演やホテルでのディナーショーを開催するのが慣例でした。
一方、真矢は一番集客力のある時に宝塚に興味を持ってもらえればと、東京・日本武道館でのソロコンサート「MIKI in BUDOKAN」を開催します。
同公演にはつんく♂をトータルプロデューサーに迎え、宝塚ファンもそうでない人も楽しめる画期的な演出を採用。
この異例の武道館公演は2日間で3万人を動員し、大成功を収めました。
同年10月、真矢は東京・TAKARAZUKA 1000days劇場で上演された「SPEAKEASY / スナイパー」を最後に、人気絶頂で宝塚を退団しました。