HEY-SMITH(ヘイスミ) メンバーの年齢、名前、意外な経歴とは…?

HEY-SMITH(ヘイスミ) メンバーの年齢、名前、意外な経歴とは…?

HEY-SMITH・メンバー

2006年に大阪府豊中市で結成されたHEY-SMITHは、メンバーの脱退・加入を経て、現在は下記のメンバーで活動しています。

MEMO

結成当初は5人編成でしたが、2015年にベース/ヴォーカルのMukky、トランペットのIoriが脱退を発表。

後任のメンバーを公募した際、空席となったパートのほかに、ホーンセクションの強化を目的としてトロンボーン奏者も加入させ、現在は6人編成となっています。

猪狩 秀平 / ギター、ヴォーカル

関西外語大学に在学中の2006年にHEY-SMITHを結成。

音楽を始めた当初はドラムを演奏しており、ギターを弾くようになったのは曲を書くためだったと語っています。

最大の音楽的影響は、アメリカのパンクバンドNOFX

メインギターはMetallicaのジェイムズ・ヘットフィールドも使用していることで有名なエクスプローラーという変形モデルで、スラッシーなパートではMetallicaばりの高速刻みフレーズを聴かせてくれます。

MEMO

バンド活動が本格化する以前はたこ焼き屋で働いており、フランチャイズとして2店舗を出店するなど、バイトの域を超えた才覚を発揮したというエピソードの持ち主です。

2019年7月には自然気胸を発症し、さらに膿胸を併発したことから入院加療を余儀なくされる事態に陥ります。

大先輩10-FEET主催のフェスティバル「京都大作戦」への出演が危ぶまれましたが、SiM、coldrain、04 Limited Sazaby、dustboxら盟友バンドが猪狩の代役として立ち上がったほか、最終的には主催の10-FEET自らもヘルプとして登場し、無事に出番を終えることに成功しました。

「空いたHEY-SMITHの枠を奪い取ろう」ではなく、「みんなで協力して彼らをステージに立たせてやろう」と多くのバンドマンが協力してくれたのも、猪狩の人望のなせる技でしょう。

2度の声帯ポリープの手術(2016年初頭、2021年初頭)を乗り越え、力強く突き進む不動のフロントマンです。

Task-n / ドラム

小学校2年生からドラムを始め、パンクに出会う前はフュージョンを演奏していました。

パンクに目覚めたきっかけはHi-STANDARD。

猪狩は「これに敵うドラムがおるんなら連れて来い」と発言するほどTask-nに信頼を寄せています。

満 / テナーサックス

サックスの腕前もさることながら、上半身裸の人として非常に有名なメンバー。

HEY-SMITHが初めて地上波音楽番組に出演した際にも当然のように上半身裸だったというブレない姿勢の持ち主です。

YUJI / ベース、ヴォーカル

前メンバーの脱退を受けて2015年2月1日から開始されたHEY-SMITH新メンバー公募を経て、同年4月に正式加入。

金沢を拠点に活動していたTHE BONUSTRACK(活動休止中)では、ベースではなくギター/ヴォーカルを担当していました。

自身のバンドの活動休止を猪狩に報告した際、HEY-SMITHがベース/ヴォーカルを公募していることを知らされたことから、後任ベーシスト選出のためのスタジオセッションに参加。

ベース演奏の経験がほとんどなかったため、セッションでは満足のいく演奏はできなかったものの、猪狩の「いいやつだからコイツにしようか」という人間性重視の審査基準により、2015年4月に新ベーシストとして加入が決定しました。

かなす / トロンボーン

カラフルな髪色やガッツリと入ったタトゥーなど見た目のインパクトも抜群なHEY-SMITH紅一点メンバー

日本の重鎮スカパンクバンドKEMURIを聴いて楽器のカッコよさに目覚め、たまたまライヴハウスで出会ったKEMURIのトロンボーン担当:増井朗人に弟子入りするという行動力と度胸の持ち主です。

スカパンクバンドFEELFLIPの元メンバーで、前述のメンバー公募からサポートメンバーとしての参加を経て、2015年12月に正式メンバーとなりました。

猪狩は女性メンバーを入れるつもりはなかったのですが、サポートメンバーとして一緒にツアーを回った結果、「男と変わらんなあ」という結論に至り、正式メンバーとして迎え入れることにしたと語っています。

イイカワケン / トランペット

LONG SHOT PARTYなど数々のバンドでの演奏経験を持つ、HEY-SMITHの最年長メンバー

猪狩から管楽器奏者を紹介して欲しいと頼まれたかなすの仲介でメンバー公募に挑戦することとなり、サポートメンバーとしての参加を経て、2015年12月に正式メンバーとなりました。

バンド活動を始めたきっかけは、高校生の時聴いたHi-STANDARD

現在は上記の6人で安定した活動をおこなっているHEY-SMITHですが、メンバー2名の脱退が決まった際には、猪狩は「この5人でしかHEY-SMITHはできない」と解散を決意したと語っています。

バンド名の由来が「『SMITH』はメンバーの頭文字からとって「HEY」はなんとなくご機嫌っぽいから付けてみただけ!(公式ホームページより)」ということもあり、オリジナルメンバーで活動するということに大きな意味があったのでしょう。

2011年リリースのアルバム『Free Your Mind』がオリコンインディチャート1位、2013年のアルバム『Now Album』はオリコン総合チャート10位と着実にステップアップしていた中での出来事だっただけに、残されたメンバー達が相当に落ち込んだであろうことは容易に想像できます。

しかし、憧れの大先輩であるHi-STANDARD、Ken Bandの横山健をはじめ、SiMやcoldrainといった同世代の盟友バンドからも猛反対され、猪狩の胸の内にあった“解散”の二文字は消えていきました。

特にSiM、coldrainとのスリーマンで回ったツアーでは、両バンドからの解散を撤回させるための説得攻勢が凄まじく、ツアーのサブタイトルが「HEY-SMITHを解散させないツアー」だった、というエピソードもあるほどです。

“怖い人たち”というイメージを持たれがちなパンクミュージシャンですが、実は友情や人情に厚い人たちが多く、このようなエピソードは枚挙にいとまがありません。

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