ボーカル野田洋次郎の持つ音楽家としての類稀なる才能と、楽器隊の抜群の演奏力が融合し、日本のロックシーンに刻まれる名曲を次々と発信し続けているRADWIMPS。
随所に表れた独特な言い回しや毒のあるフレーズ、哲学的な要素を歌った楽曲の数々から、初期の頃は“コアなファンから熱狂的に支持されるバンド”、というイメージが強かった4ピースロックバンドです。
近年では自らが主題歌を担当した、新海誠監督によるアニメーション映画『君の名は』『天気の子』の立て続けの大ヒットなどもあり、名実ともに“国民的ロックバンド”と呼ぶにふさわしい、確固たる地位を築き上げました。
今回は、そんな国民的ロックバンドRADWIMPSが放つ名曲『愛にできることはまだあるかい』に焦点を当て、その魅力の紹介、歌詞の徹底考察をしていきます。
『愛にできることはまだあるかい』は、日本中を「今から晴れるよ」フィーバーに巻き込んだ映画『天気の子』の主題歌で、”愛”という曖昧な無形物をテーマに、生きる意味について野田洋次郎の自然体な歌声で歌い上げた楽曲です。
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目次
『愛にできることはまだあるかい』とは
RADWIMPSの恋愛ソングといえば、鳥の唐揚げが大好物な”俺”目線の歌詞ですっかりお馴染みの人気曲『いいんですか?』のように、等身大の言葉が胸に刺さるものもあれば、歪んだ愛やグロテスクな復讐心を歌った『五月の蝿』など、表現する”愛”の形は曲によってさまざま。
“愛”(あい)とはたった漢字1文字で簡単に表せても、それは“哀”(あい)の裏返しだったりする場合も。
実にさまざまな”愛”の捉え方を魅せる中、今回スポットを当てる曲『愛にできることはまだあるかい』は、”愛”そのものを純粋に捉え、優しく、そして力強く歌い上げたバラードです。
MVの終盤では、建物の屋上で野田洋次郎がピアノで独唱しており、“野田洋次郎×ピアノ×空”が映し出された動画のサムネイルを見るだけで、歪みのない”愛”を純粋に歌った曲であることが容易に想像できます。
新海誠監督の映画『天気の子』主題歌
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「#天気の子 」4D版☔️💨🌪❄️💦
本日より上映スタート⚡️
\新海監督の世界を、視覚聴覚だけではなく、カラダ全体で浴びまくることが出来ます☔️☔️☔️
劇場だからこその体感を是非に✨ pic.twitter.com/iDds6b3LiN
— 映画『天気の子』 (@tenkinoko_movie) September 27, 2019
アニメーション映画『天気の子』は、2016年に社会現象化した『君の名は。』を生み出した新海誠監督の作品で、2019年8月に公開されると、破竹の勢いで観客動員数を伸ばし、同年12月には興行収入140億円を突破。
第43回日本アカデミー賞にて最優秀アニメーション作品賞を受賞するなど、日本の映画史に残る一作となりました。
そんなメガヒット映画『天気の子』の主題歌として幅広い世代に知られる名曲こそが、RADWIMPSの手掛けた『愛にできることはまだあるかい』です。
『天気の子』をざっくり紹介すると、異常気象が常態化した奇妙な時代に、主人公・森嶋帆高(もりしまほだか)と”100%晴れ女”という特殊な力をもつ少女・天野陽菜(あまのひな)が出会い、運命に翻弄されながらも、それぞれ決断を繰り返し、道を選択していく物語。
主題歌『愛にできることはまだあるかい』は、ふたりが時代の波に翻弄されながらも次第に定義付けしていく生きる意味について、曖昧な無形物である”愛”を主題として、優しさと力強さを併せ持ったメロディーに乗せて歌っています。
ピアノが主軸で展開されるメロディー
『愛にできることはまだあるかい』の序盤はほとんどピアノ伴奏+野田洋次郎の歌声で構成されており、優しいバラードといった印象が強く刻まれます。
サビに向かっていく途中でピアノやボーカルのボリュームが徐々に増していくのが、この曲を聴く際のポイント。
サビに入った途端、これまで登場しなかったドラムやギターの音が加勢し、優しい印象だけでなく力強さも持ち合わせたメロディーへと変わっていきます。
サビが終わり間奏に突入すると、ついにストリングスも加わり、シンフォニックで神秘的なサウンドが楽しめるのもポイント。
さらに曲が後半へ向かうにつれて、ピアノ、ストリングス、バンド隊が幾重にも重なった、厚みのある壮大なメロディーが響き渡る曲へと変貌を遂げていく過程は、聴きごたえ抜群です。
最終的には、序盤と同様にピアノ伴奏+野田洋次郎の歌声というシンプルな味付けに戻り、曲は静かに終わりを迎えます。
さまざまな著名人によってカバーされている曲
『天気の子』主題歌の『愛にできることはまだあるかい』は、女性シンガーソングライターの藤川千愛やバーチャルyoutuberとして有名なキズナアイなど、さまざまなアーティストによってカバーされています。
2019年7月に放送開始されたサントリー天然水のTVCM第2弾『手のひらを空に(雨)』篇では、帆高役の醍醐虎汰朗とヒロイン・天野陽菜役の森七菜が歌う『愛にできることはまだあるかい』がテーマソングに。
帆高と陽菜の声で主題歌がカバーされるなんて、『天気の子』ファンにとってはこの上ない喜びですよね。
また帆高役の醍醐虎汰朗は、2020年5月に「コロナ禍の今だからこそ何か伝えられれば…」と自身のYouTubeチャンネルにてカバー動画をアップしており、本楽曲の持つメッセージ性の強さを改めて感じ取れます。
『愛にできることはまだあるかい』歌詞の意味を徹底解説
『愛にできることはまだあるかい』は、”愛”という曖昧な無形物をテーマに、生きる意味とは何なのかを、美しいピアノやストリングスに乗せて歌われる楽曲です。
劇中の主人公・帆高とヒロイン・陽菜のふたりの感情に歌詞をリンクさせながら、じっくりとご覧ください。
僕視点での現代社会への反抗
何も持たずに 生まれ堕ちた僕
何か特別な才能を持って生まれたわけでも裕福な環境で育ったわけでもないが、現代社会に必死に抵抗しようとする度胸や覚悟だけは持っている“僕”。
諦めた者と 賢い者だけが
勝者の時代に どこで息を吸う
夢を諦め、同じ方角を見て誰もが似通った道に進むのは、時代を生き抜くという観点で捉えればある意味賢いということ。
自分の本心を偽り、ずる賢く生きることでしか、この時代において”勝者”と呼ばれる人間にはなり得ないのが厳しい現実。
そんな時代と知りながら自らが正しいと信じる術で生き抜こうとする、側から見れば哀れに見えるかもしれない、ブレることのない理想主義者の“僕”の反抗心が、この歌詞に表れています。
僕の中の正解を形作るのは君
勇気や希望や 絆とかの魔法
使い道もなく オトナは眼を背ける
“僕”の嫌う現代社会には、勇気や希望の在処を知っていながらそれをクローゼットの奥底に眠らせ、「もうオトナだから」と綺麗事を並べるだけのつまらない大人ばかり。
支配者も神も どこか他人顔
この世界を創造した神も同じ。所詮下界の人間がどう踠き生きようが、興味の範囲外。
それでもあの日の 君が今もまだ
僕の全正義の ど真ん中にいる
夢も希望も容易く語ることすら許されない面白みに欠ける現代において、突如目の前に表れた“君”。
時代に立ち向かう勇気を背中で語ってくれる”君”の存在そのものは、”僕”にとって何にも代え難い尊いもの。
<僕の全正義のど真ん中>というあまりにストレートな歌詞が、”僕”の”君”に対する共感に似た尊敬を強調しています。
愛にできることは何なのか、問いかける僕
愛にできることはまだあるかい
僕にできることはまだあるかい
この世界は、もうすでにさまざまな形の”愛”で溢れている。
“愛”で満たされているはずの、愛を感じる暇もない現代で自分らしく生きるためには、明確な生きる意味が必要。
生きる意味を与えてくれるものとは何なのか。愛?それとも大切な人?
まだその答えには辿り着けていないけれど、自問自答を繰り返すことで少しずつ正解が見えてくるのではないだろうか。
そんな不安混じりの期待を、問いかけという形で書かれたこの歌詞から感じ取れます。
勇気も愛も、すべては君のために
君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ
君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
“君”から勇気を貰ったことで、こんな時代でも周りに流されず自分らしく生きていくことを、改めて決心できた”僕”。
そんな勇気を、君のために使わず一体何に使うというのか。
“君”と出会って有意義な日々を過ごす中で、お互いに愛を分け合い、自身の意味を見出しつつある”僕”。
相互に”愛”を分け合ってきた”君”にしか、この”愛”は与えたくない。
この部分では、ワガママにも捉えられる“君”への一途な”愛”が表現されています。
運命は捉え方次第で
運命(サダメ)とはつまり サイコロの出た目?
「運命は変えられない」とはよく言ったもので、全くその通りであるのが事実。
選び選ばれた 脱げられぬ鎧
もしくは遥かな 揺らぐことない意志
とはいえ、その逃れられない運命をプラスに捉えるのか、はたまたマイナスに捉えるのかは本人次第。
行く末は変わらないにしても、捉え方を変えるだけで、何らかの確固たる意志を持って生きられるのではないでしょうか。
「運命は変えられなくとも、悲観する必要はない」
このようなメッセージが込められているように感じます。
そばに大切な人がいてこその人生
果たさぬ願いと 叶わぬ再会と
ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と許し合う声と 握りしめ合う手を
この星は今日も 抱えて生きてる
人生は上手くいかないことだらけで、喜びよりも憎しみばかり増えていく一方かもしれない。
ただその憎しみさえも、共有できる相手がいれば、たまらなく愛おしいものとして感じられる。
負の感情そのものが人生の不幸に直結するのではなく、どんな感情であろうと共有し、分かち合える大切な人がそばにいるか否かが人生の幸・不幸を左右する要素なのだと、この歌詞で語っています。
君がくれた勇気と、君と育てた愛
君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ
先程は<君と分け合った愛だから>と表現されていた部分が、<君と育てた愛だから>に変わっています。
どちらも”僕”と”君”の間で生まれた”愛”であることには変わりありませんが、“君と分け合った愛=二人だけでシェアする愛”、“君と育てた愛=世界へ向けた壮大な愛”と、ニュアンスの違いが明確です。
生きる意味を明確に掴みつつある”僕”と”君”
何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか
<何もない僕たちになぜ夢を見させたか>
この歌詞が目に入った時点で、”僕”は生きる意味を掴みつつあることが想像できます。
また今までだったら”僕”と書かれていそうな歌詞が、“僕たち”と表現されているのもポイント。
“僕”だけの視点で展開されていたはずのこの曲が、“僕”と”君”両者の視点で捉えられるようになっているのです。
曲の前半では、現代社会に対する皮肉ばかりつらつらと吐き捨てていた”僕”が、ここへ来てやっと「この世界で生きる意味とは一体何なのか」を、”君”をヒントに解明しようと動き出します。
問いかけから確信に変わるラスト
愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ
曲のラストでは、「君が僕にとっての愛そのものだ」と気づいた”僕”の、「愛にできることはまだあるかい」という問いかけが「愛にできることはまだあるよ」と確信に変わった様子が読み取れます。
君がいるから窮屈な現代社会でも生きていける。君という”愛”があるからこそ成立するこの世界。
「愛にできること。それは、生きる意味を与えること。」
結論に辿り着いた”僕”は、”愛”、すなわち生きる意味そのものである”君”を失うことのないように、間違いのない選択を繰り返して生きていくことでしょう。
映画『天気の子』の終盤では、帆高が陽菜の命を何よりも優先したことで、結果的に東京はほとんどが海に沈んでしまいます。
世界を滅ぼしかねない自分勝手な選択をしてでも、”愛”(陽菜)は失いたくない。
愛を失うことは、生きる意味を失うことと同義であるから。
陽菜と共に生きていく中で、自分の生きる意味が”愛”(陽菜)そのものであると気づいた帆高は、たとえ陽菜と結ばれなくとも、”愛”の在る世界で幸せな人生を歩んでいけるのではないでしょうか。
最後に
RADWIMPSの手掛けた名曲『愛にできることはまだあるかい』は、映画『天気の子』の世界観と見事に調和し、”愛”という曖昧な無形物をテーマに、生きる意味とは何なのかを優しく、そして力強く歌い上げた珠玉のバラードです。
『天気の子』本編の内容と歌詞をリンクさせることでやっと完成する曲でもあるので、本編の内容を忘れてしまった方は、ぜひこの機会にもう一度観てみることをおすすめします。
劇中歌には他にも『大丈夫』や『グランドエスケープ』など、野田洋次郎の才溢れる魅力的な曲が多数あるので、そちらも合わせてお楽しみください。
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