1970年にRCサクセションのフロントマンとしてデビューを果たし、数多くの名曲を生みだしてきた忌野清志郎。
独特な歌声と奇抜なファッションは、一度見たら忘れられないほどの存在感を放っています。
デビューから長い間とどまることなく音楽活動を続けてきた忌野清志郎ですが、2009年5月2日に58歳の若さでこの世を去ってしまいました。
しかし、亡くなったあとも忌野清志郎の生み出した名曲たちは今もなお多くの人々を魅了し続けています。
今回は、忌野清志郎がボーカルを務めるRCサクセションの名曲を中心に紹介していきます。
目次
忌野清志郎とは
1990年代終盤から2000年代序盤にかけて自らの主催するインディーズ・レーベルSWIM RECORDSよりリリースされていた6作品の配信が、本日70歳の誕生日についにスタート!#忌野清志郎https://t.co/6CGBiGrXUK pic.twitter.com/tG5tXUuNRQ
— 忌野清志郎 Official (@I_Kiyoshiro) April 2, 2021
忌野清志郎は1970年『宝くじは買わない』でRCサクセションのボーカルとしてデビューしました。
元々はフォークバンドだったRCサクセション。
1972年にリリースされた『ぼくの好きな先生』がヒットするも、その勢いは続きませんでした。
事務所とのトラブルに巻き込まれ、バンドは音楽活動を制限されてしまい、極貧生活を送ることになった彼らは「暗黒時代」を迎えます。
しかし、この頃にカルメンマキ&OZのギタリスト春日“ハチ”博文からアドバイスを受け、また、盟友であった仲井戸“CHABO”麗市をバンドに誘い、RCサクセションの再編を目指しました。
清志郎はバンドを成功させるためにKISSやローリングストーンズなどの音楽を研究し、メンバーの入れ替わりを経てRCサクセションはフォークバンドからロックバンドに転身しました。
この頃から清志郎はデヴィット・ボウイやKISS、ローリングストーンズなどに影響を受けて、奇抜な衣装を身にまとい、派手なメイクをするようになりました。
忌野清志郎はRCサクセションの他にも、忌野清志郎&2・3’S(ニーサンズ)やラフィータフィーなど、たくさんのユニットを組んでは名曲を生み出してきました。
忌野清志郎&2・3’S
ラフィータフィー
忌野清志郎の魅力は数えきれないほどありますが、そのうちのひとつに「歌詞」が挙げられます。
清志郎の紡ぐ歌詞は、彼が日常で感じたできごとがありのままにつづられているため、その光景をリスナー側がリアルに感じ取ることができるのです。
また、普通の人ではなかなか思いつかないような表現や詩的な歌詞もたくさんあることから「忌野清志郎は詩人だ」と言われることがありました。
忌野清志郎は1983年に『エリーゼのために』という詩集を出版しています。
この詩集は忌野清志郎の歌詞に加えて未発表曲の歌詞も掲載されており、彼の歌詞は詩としても楽しむことができるということが分かります。