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忌野清志郎・おすすめ曲
ここからは、実際に忌野清志郎が残した名曲をご紹介していきます。
最初に聞くべき6選ということで、どれも超有名曲ばかりですが、この記事をきっかけに他の楽曲も聴いて頂けると嬉しいです。
『ぼくの好きな先生』(1972年2月5日リリース)
RCサクセションのデビューから3枚目に発売されたシングル曲。
この時代のRCサクセションはフォークスタイルで、当時の忌野清志郎は素朴なフォーク青年といった風貌でした。
『ぼくの好きな先生』は、清志郎が高校生時代に慕っていた美術部の顧問である教師のことをそのまま歌にしたものです。
歌詞の随所から、自分のことを劣等生だと感じていた高校生時代の清志郎と、そんな自分を対等に扱ってくれる先生らしくない先生の交流する様子が目に浮かびます。
『スローバラード』(1976年1月21日リリース)
ゆったりとした美しいピアノの音色から始まるこの曲は、ファンの間でも長いこと愛され続けているRCサクセションの壮大なバラード曲です。
若い男女の恋愛シーンが目に浮かぶような歌詞に、美しいメロディ、そして忌野清志郎が切なく歌い上げるこの曲は、聴いているとほろりと涙が出てしまいそうな、心の琴線にふれる名曲です。
『スローバラード』は奥田民生やエレファントカシマシ、Superflyなどの有名なアーティストにもカバーされているので、ぜひそちらもあわせてお聴きください。
『雨あがりの夜空に』(1980年1月21日発売)
生前の忌野清志郎を知らない人でも一度は耳にしたことがある曲ではないでしょうか。
この頃のRCサクセションはフォークバンドではなくロックバンドに転身しており、『雨あがりの夜空に』はRCサクセションのロックナンバーの中でも特に有名な曲です。
軽快なギターから始まるこの曲は、アップテンポで明るいメロディーで、思わず口ずさみたくなるご機嫌なロックンロール。
「こんな夜におまえに乗れないなんて こんな夜に発車できないなんて」という歌詞はあまりにも有名ですが、曲を通して忌野清志郎の詩人っぷりがうかがえる歌詞にぜひ注目して聴いてみてください。
『トランジスタ・ラジオ』(1980年10月28日リリース)
Woo 授業をさぼって
陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ屋上で
という歌詞から始まるこの曲もRCサクセションの代表曲であり、名曲ともいえます。
高校生の少年が屋上で授業をサボりながら、トランジスタラジオから流れる音楽に夢中になっている・・・。といった情景が目に浮かぶこの曲。
「授業中アクビしてたら 口がでっかくなっちまった いねむりばかりしてたら もう目が小さくなっちまった」といった忌野清志郎らしい歌詞もこの曲の魅力的なところです。
『い・け・な・いルージュマジック』(1982年2月14日リリース)
資生堂のキャンペーン・ソングとして生まれたこの曲は、忌野清志郎と坂本龍一のコラボレーション曲であり、忌野清志郎のソロデビューシングルでもあります。
日本におけるテクノポップミュージックの金字塔であるイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の坂本龍一が作曲・編集に加わっているため、テクノポップとロックの融合が楽しめる楽曲となっています。
歌詞では「他人の目を気にして生きるなんてくだらない事さ ぼくは道端で 泣いてる子供」などといった忌野清志郎節が全開です。
メイクを施した忌野清志郎と坂本龍一が顔を寄せ合っているレコードジャケットや、ミュージックビデオでの忌野清志郎と坂本龍一のキスシーンが、当時は話題になりました。
『デイ・ドリーム・ビリーバー』(1989年10月11日リリース)
忌野清志郎(ZERRY)が率いる謎のバンドTHE TIMERS(ザ・タイマーズ)の名曲です。
この曲はセブンイレブンのCMで使用されていた曲なので、みなさん聞き覚えがあるのではないでしょうか。
実はこの曲、1967年に発売されたアメリカのロックバンド「モンキーズ」の曲なのです。
THE TIMERSはモンキーズの『デイドリーム・ビリーバー』に日本語の歌詞をつけてカバーしました。
明るめでゆったりした曲調ですが、清志郎が作詞した歌詞は原曲と異なり、とても悲しい物語でもあります。
「もう今は 彼女はどこにもいない 朝はやく 目覚ましがなっても」
「そういつも 彼女と くらしてきたよ ケンカしたり仲直りしたり」
「でもそれは 遠い遠い思い出」
「今は彼女 写真の中で やさしい目で僕に微笑む」
清志郎は、幼くして実母をなくし、母の姉夫婦に育てられました。
ファンの間では、曲中に何度も登場する「彼女」は、忌野清志郎の実の母親のことだと語られていますが、その真相は公表されておらず、彼と共に眠る秘密となっています。