細野晴臣|はっぴいえんど、YMOだけじゃない!日本音楽界のレジェンド

細野晴臣|はっぴいえんど、YMOだけじゃない!日本音楽界のレジェンド

1970~80年代の日本で生まれた都会的な音楽「シティポップ」
現在では、一つの音楽ジャンルとして、国内外の音楽ファンの間で人気となっています。

今回ご紹介する細野晴臣さんは、シティポップを代表するミュージシャンです。

長いキャリアの中で、ロック・テクノ・アンビエント・エレクトロニカ・ブギウギといった幅広いジャンルの音楽に傾倒し、数多くの素晴らしい作品を生み出してきました。

音楽サブスクリプションサービスの普及によって、細野晴臣さんの作品を手軽に聴けるようになり、近年では海外での評価も高まっています。

2019年には自身初のアメリカツアーを開催するなど、現在も精力的に活動しています。

今回は、日本音楽界のレジェンド・細野晴臣さんをご紹介します。

細野晴臣 プロフィール


1947年7月9日 生まれ
東京都港区 出身
音楽家として、作曲・プロデュース・映画音楽など多岐に渡り活動。

戦後間もない東京に生まれた細野晴臣さん。母方の祖父がピアノの調律師であったこともあり、幼少の頃から、音楽が常に身近にある家庭で育ちました。

父方の祖父・細野正文さんは、映画で有名となったタイタニック号に日本人で唯一搭乗していたことで有名です。タイタニック号の沈没事故から奇跡的に生還し、その後に生まれたのが、彼の孫にあたる細野晴臣さんです。

中学校に入ってからはロックに夢中になり、友達同士でバンドを組むなど、若い頃から音楽への関心を深めていきます。

はっぴいえんど

大学在学中の1969年、細野晴臣さんはバンドエイプリル・フールでミュージシャンとしてプロデビューを果たします。担当楽器は、中学の頃から慣れ親しんできたギターではなく、ベースでした。

エイプリル・フールは、アルバム1枚を発表したのち解散。その後、細野晴臣さんがリーダーとして結成したバンドが、はっぴいえんどです。

はっぴいえんど

  • 細野晴臣(ベース・ボーカル)
  • 大瀧詠一(ボーカル・ギター)
  • 鈴木茂(ギター・ボーカル)
  • 松本隆(ドラムス)

バンドメンバー全員が、今では日本音楽界のレジェンドと言われている豪華なメンバーです。

はっぴいえんどは、1969年当時の日本では一般的ではなかった欧米のロックサウンドに日本語の歌詞を付けて歌うことを、初めて意識的に行ったバンドです。

当時叫ばれていた「日本語ロック論争」に終止符を打ったのみならず、今では当たり前となった日本語で歌うロックバンドに多大な影響を与えました。

MEMO

「日本語ロック論争」は、音楽メディアを中心に議論された「ロックは英語で歌うべきか、それとも日本語で歌うべきか」という論争。

1971年に発表したはっぴいえんど2枚目のアルバム「風街ろまん」は、日本語ロックの金字塔と言われています。

アルバム3曲目に収録されている細野晴臣作曲の「風をあつめて」は、映画「ロスト・イン・トランスレーション」の挿入曲にもなった名曲です。

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「HOSONO HOUSE」〜「はらいそ」

はっぴいえんど解散後に発表した細野晴臣さん初のソロアルバム「HOSONO HOUSE」は、当時一般的ではなかった自宅録音で制作されたアルバムです。

ミュージシャンの星野源さんは自身のラジオ番組内で、このアルバムを20歳の頃にレコード盤で購入し、擦り切れるほど聴き込んだと語っています。

自宅録音ならではのフォーキーで温かみのある独特のサウンドは、現在の若手ミュージシャンにもフォロワーが多く、高い人気を誇るアルバムです。

その後の細野晴臣さんは、のちにトロピカル三部作と言われる「トロピカル・ダンディー」・「泰安洋行」・「はらいそ」の三枚のアルバムを発表します。

ニューオリンズ、ハワイ、沖縄、中国など、様々な地域の音楽要素を複合させた細野晴臣さんの新しい音世界を楽しむことができます。

「はらいそ」のアルバム表題曲では、曲の間奏部分にシンセサイザーを導入するなど、その後のYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)結成への布石となる電子音楽への関心を高めていきます。

アルバムのレコーディングには、のちにYMOのメンバーとなる坂本龍一さん、高橋幸宏さんがレコーディングに参加しています。

YMO

1978年当時、世界の音楽シーンでは、ドイツで結成された電子音楽グループ・クラフトワークや、イタリア出身の音楽プロデューサーであるジョルジオ・モロダーなどが、ミニマルな電子音楽の作品を発表していました。

新しい音楽への探究心が強い細野晴臣さんは、前述したクラフトワークやジョルジオ・モロダーといったミュージシャンからの影響を多分に受け、電子音楽への関心を高めていました。

トロピカル三部作を制作し、エキゾチック・サウンドに傾倒していた細野晴臣さんは、コンピューターを用いたシンセサイザーやシンセベースなどで、エキゾチック・サウンドを演奏することを試みました。

MEMO

エキゾチック・サウンドは、南太平洋・ラテンアメリカ・東洋をイメージさせるムード音楽。1950〜1960年代にかけて流行しました。

細野晴臣さんが選んだ曲は、エキゾチック・サウンドの分野の代表格であったマーティン・デニー「Firecracker」。アルバム「はらいそ」のレコーディングに参加した坂本龍一さん、高橋幸宏さんと共に、コンピューターを用いたシンセサイザーやシンセベースで、「Firecracker」を演奏しました。

「Firecracker」を演奏してみたところ、その機械的なグルーヴや音像に、生楽器での演奏にはない音楽的な面白さや手応えを感じた細野晴臣さんは、坂本隆一さんと高橋幸宏さんと共にYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成します。

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)

  • 細野晴臣(シンセベース・エレキベース・コーラス)
  • 高橋幸宏(ドラムス・ボーカル)
  • 坂本龍一(キーボード・シンセサイザー・コーラス)

細野晴臣さんは自身でYMOの音楽性をマニアックなものと感じていましたが、世界に目を向ければ気に入ってくれる人もいるのではないかと考え、早々にワールドツアーを敢行します。

当時珍しかったコンピューターを駆使した圧巻のライブパフォーマンスは、世界各所で話題を呼ぶこととなります。

日本に帰国すると、ワールドツアーの評判が話題となって、YMOの国内での人気も高まっていきます。

音楽シーンのみならず、1980年代のポップカルチャーの象徴となったYMOは、1983年に活動を終了します。

1980年代以降の細野晴臣さん

YMOの活動終了後の細野晴臣さんは、自身のプライベートレーベルを設立し、ミニマル・ミュージック、アンビエントといった様々なジャンルの音楽作品を発表していきます。

1984年に発表した「花に水」は、無印良品の店内BGM用に制作された作品で、2019年にアメリカのロックバンド・ヴァンパイア・ウィークエンド「2021」という曲にサンプリングとして使用されました。

海外の人気ミュージシャンの間でも、細野晴臣さんの作品の再評価が進んでいることがわかります。

細野晴臣さんデビュー50周年となった2019年には、自身のソロファーストアルバム「HOSONO HOUSE」をセルフリメイクしたアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表し、新旧ファンを喜ばせました。

最新情報

2021年11月12日より、細野晴臣さんが2019年に行ったアメリカ公演の模様を追ったドキュメンタリー映画「SAYONARA AMERICA」が公開予定です。

まとめ

50年以上のミュージシャンとしてのキャリアの中で、たくさんの名曲を生み出してきた細野晴臣さん。

今も現役で音楽活動を続ける姿を見ることができる私たちは、とても幸せかもしれません。

皆さんも、細野晴臣さんの奥深い音楽を是非聴いてみてください。

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