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BOØWYのメンバーの現在は?
氷室京介(ひむろきょうすけ)
- 担当:ボーカル
- 生年月日:1960年10月7日
- 出身地:群馬県高崎市出身
氷室京介さんは、群馬ではかなり知られた不良少年だったそうです。
「ナイフみたいな人」「キレたら危ない」などと恐れられた存在でした。
しかし、歌がとても上手く、群馬のアマチュアバンド時代には人気も高く、高校卒業すると上京して音楽活動を開始します。
実はBOØWYの前にバンドデビューしているのです。
所属事務所はなんと長門大幸が率いていたビーイングです。
ビーイングは1990年初頭、TUBE、Bz、ZARD、大黒摩季などといったミュージシャンによって音楽業界の7%を占める450億円を売り上げ、ビーイングブームとして社会現象にもなりました。
しかし、氷室さんが所属していたバンドは、ビーイングに所属していてもなかなか芽が出ませんでした。
そもそも、自分が目指すべき音楽ではなかったバンドに半ば強引に加入されたようなものだったらしく、自分がやりたかった音楽ができないと悩み、音楽の道を諦めようとさえしていました。
夢破れて田舎へ帰ろうと思っていた時に、当時の彼女に渡されたのがRCサクセションのライブチケットだったそうです。
田舎へ帰ろうと決意していた時に見たRCサクセションに大きな刺激を受け、もう一度自分がやりたい音楽をやろうと決意します。
そして、布袋寅泰さん、松井常松さんといった旧知の知り合いと結成したのがBOØWYだったのです。
氷室京介さんがビーイングに所属していた関係で、1981年の一年間、BOØWY(当時は暴威)はビーイング所属となっています。
いまでは、孤高のロックアーティスト、ロック界のカリスマとの呼び名も高いのですが、2016年でライブ活動は無期限休止宣言を行います。
多分今後は、氷室京介さんのライブを見ることはできませんが、BOØWY同様、多くのファンから愛し続けられている存在です。
布袋寅泰(ほていともやす)
- 担当:ギター
- 生年月日:1962年2月1日
- 出身地:群馬県高崎市出身
伝説のバンドBOØWYが産まれたのは、同じ時期に群馬県高崎市に2人の天才が巡り会っていたからでしょう。
ひとりは氷室京介さん、もうひとりの天才が「クレイジーギター」布袋寅泰さんです。
アマチュア時代、群馬のコンテストで、よく氷室さんのバンドと競い合っていたそうです。
布袋さん曰く「氷室さんは群馬ではベストボーカリスト賞などをもらっているレベルだった。しかし自分はベストギタリスト賞ではなかった。」と述べています。
しかし、氷室さんが、自分がやりたい音楽をやろうと思ったときに、真っ先に声をかけたのが布袋さんなのです。
アマチュア時代、特に仲が良かったわけでもなく、年齢も布袋さんの方が年下です。
なぜ、氷室さんにとって自分のやりたい音楽をやるためのパートナーとして、布袋さんを誘ったのかを氷室さん本人は語ってはいません。
布袋さんが推測していましたが…
「自分は群馬ではベストギタリスト賞はもらえなかったが、ベストコスチューム賞や、ベストアイデア賞といったものだった。」
「しかし、群馬でもちょっと違ったことをやっていたので、それが氷室さんの琴線に触れたんじゃないかと語っています。」
日本でも有数のギタリストでもある布袋さんが、群馬時代にはベストギタリストではなかったという点はちょっとびっくりしましたが、こうやって伝説のバンド、BOØWYがスタートし始めたのです。
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松井常松(まついつねまつ)
- 担当:ベース
- 生年月日:1960年9月8日
- 出身地:群馬県高崎市
ライブのとき、踊りながらギターを弾く布袋さんとは対照的に、直立不動の無表情でリズムを奏でるのが「ミスターダウンピッキング」こと松井常松さんです。
氷室さんとは小学区からの幼馴染で、アマチュアバンド時代は一緒にバンドを組んでいました。
松井さんも氷室さんと同じくビーイングに所属していましたがバンドは実力がないとの理由で解散させられ、最初は、「織田哲郎&9th IMAGE」というバンドにベーシストとして参加していました。
しかし、氷室さんと布袋さんがバンドを結成しようとしていることを知り、松井さんも参加したのです。
ライブでは「動の布袋さんと静の松井さんのコントラスト」がBOØWYの魅力でもありました。
松井さんは解散後、氷室さんとは魚釣り、布袋さんや高橋さんのレコーディングに参加と一番メンバーの交流が深いようです。
現在はソロとして活動しています。
高橋まこと
- 担当:ドラム
- 生年月日:1954年1月6日
- 出身地:福島県福島市
BOØWYの中では少し年上で、お父さん的存在だったのが「アトミック ドラム」こと高橋まことさんです。
高橋さんはアマチュア時代も少し名が知られた存在でした。
そのためBOØWY以前もいくつかのバンドに所属していたそうです。
しかし、BOØWYのライブを見てドラムを募集していることを知りオーディションに参加して加入しています。
オーディションでは、テクニックよりもカウントの声が大きかったことから、音合わせも満足していない状態から加入が決定したと言われています。
ただ、ドラムの技術は素晴らしく、解散後もいくつものバンドに参加して存在感を示しています。
現在はソロ活動のほかにもJET SET BOYSを結成し活動。
また、福島県出身なので復興支援に力を入れて福島県の復興に一役買っています。