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水曜日のカンパネラ・メンバー
水曜日のカンパネラは個性派集団。
それぞれの魅力や実力が集まり、人々を魅了する作品が作られています。
そんな水曜日のカンパネラのメンバープロフィールや、経歴を細かく見ていきましょう。
詩羽(2代目主演・歌唱担当)
- 本名:詩羽は本名だが、苗字は明かしていない
- 誕生日:2001年8月9日
- 出身:東京都。小学生の頃には埼玉で暮らすも、中学生の頃からは東京で暮らしている
- 身長:152cm
- 学歴:高校卒業後、芸術系の大学でデザインを学んでいた
- 部活動:高校3年間で軽音楽部に所属。ギターボーカルを担当していた
- 担当:2代目主演・歌唱担当
中高時代は学生生活がうまくいかず、”規則が正しい”という風潮を窮屈に感じていた。
高校1年生の頃、「自分はこうなんだ」という意思表示として頭を刈り上げたり、口にピアスを開けたりしたことにより、本来の自分を受け入れ、好きになることができたと語ります。
自己肯定感を大切にしてきたことで、自分なりのファッションを楽しむようになり、高校卒業後はフリーランスでモデル活動を開始。
撮られることで、自己肯定感をより高めることができた彼女はさらに活動の幅を広めます。
そのきっかけとなったのが、Instagramでした。
「音楽と言葉と時間と私」をテーマに詩や写真を投稿していたところを、現事務所のインターンの目に止まりDir.Fと会うことに。
Dir.Fと会って3回目でスカウトの話になり、水曜日のカンパネラへの加入を即答で受け入れたとしています。
詩羽は自身の性格を、喜怒哀楽が人一倍ある素直な性格。
また、物事を深く考えるよりは、なんでもとりあえずやってみようというタイプだとしています。
そうした決断力とフットワークの軽さが、彼女の人生を大きく変える要因となったに違いありません。
気持ちに忠実な点や、裏表のない性格が何よりも魅力的な人です。
ケンモチヒデフミ(トラックメーカー)
#新しいプロフィール画像 pic.twitter.com/04qjAStsLx
— ケンモチヒデフミ@水曜日 (@h_kenmochi) April 25, 2023
- 本名:剱持 英郁(けんもち ひでふみ)
- 誕生日:1981年8月2日
- 出身:埼玉県。2015年より神奈川県在住
- 身長:非公開
- 学歴:音響専門学校卒業
- 経歴:専門学校卒業後、システムオペレーターとして14年間勤務。本業のかたわら作曲家として音楽制作に携わっていた
- 担当:作曲・編曲
音楽を始めたきっかけは高校の文化祭で、当時はギターとベースを弾いていました。
その後、音楽活動のために制作したデモテープをきっかけに、打ち込みの魅力に気付きます。
高校卒業後は音響系の専門学校へ進み、ミックス作業(録音された複数の音源を音量バランスや音色を調整して1つの楽曲にすること)を学びました。
学んでいく過程で、自身は一から曲作りをしたい人間であることに気づき、それができないのであれば音楽を仕事にすることをやめると決意しました。
専門学校卒業後はシステムオペレーターになり、14年間勤務。本業のかたわら音楽活動は続け、2014年にリリースされた「桃太郎」の時もまだサラリーマンを続けていました。
水曜のカンパネラのメジャーデビュー後も、作曲家として他のアーティストへ楽曲提供を精力的に行なっていました。
ケンモチヒデフミが手がけた楽曲は瞬く間に注目の的になり、YouTubeの再生回数は100万回を超える勢いです。
Mori Calliope「未来島〜Future Island〜」
Dir.F(マネージャー兼ディレクター)
- 本名:福永 泰朋(ふくなが やすとも)
- 誕生日:1982年10月13日
- 出身:大阪府
- 身長:非公開
- 学歴:京都工芸繊維大学 デザイン経営工学科 卒業
- 経歴:株式会社つばさレコーズの社員
- 担当:マネージャー兼ディレクター
大学卒業後、フリーターを経て株式会社つばさレコーズに就職。
水曜日のカンパネラの発起人としてグループのプロジェクトから携わり、メンバー集め、方向性の決定などを行ない、グループを牽引してきました。
レコードショップで見つけた、ケンモチヒデフミのCD「Falliccia」を聴いたことがきっかけで存在を認識。
その後、アート系のイベント「デザインフェスタ」へ出向いた際に、偶然ケンモチヒデフミと遭遇しました。
ケンモチヒデフミの才能に惹かれたDir.Fは、「一緒になにか面白いことをしたい」と声をかけたことが水曜日のカンパネラの始まりとなりました。
Dir.Fは「ケンモチさんのインスト曲を全部、生のバンドに差し替えてやりたい」と伝えたところ、「インストはいいんです、ポップスがやりたいです。ももクロがやりたい」とケンモチヒデフミが返答。
思い描いていた音楽活動ではなかったようですが、それでもユニットを組んで活動したいと思うほど、ケンモチヒデフミの音楽センスに惚れ込んでいたのでしょう。