光GENJI メンバーのプロフィールや経歴、現在の活動を徹底解説

光GENJI メンバーのプロフィールや経歴、現在の活動を徹底解説

光GENJIのメンバープロフィール Part.2

諸星 和己(もろほし かずみ)

諸星 和己(もろほし かずみ)のプロフィール

  • 生年月日:1970年8月12日
    出身地:静岡県富士市
    身長:169㎝
    血液型:A型
    星座:しし座
    趣味:ゴルフ、乗馬、バイク、ギター、絵画、書道
    特技:スキューバダイビング
    メンバーカラー(光GENJI時代):ピンク

光GENJIにおいて不動のセンターを務めていたのが諸星和己です。

グループで活動していた当時は衣装も他のメンバーとやや差別化されており、ハチマキ姿羽根の装飾が印象的でした。

諸星の入所経緯は事務所史上最も珍しいといっても過言ではないでしょう。

彼は、当時流行していた竹の子族(東京の原宿から代々木公園あたりの歩行者天国に奇抜な格好で出没していた若者たちの総称)を見てみたいという一心から、地元の友人らと半ば家出状態で上京。

その際、ジャニー喜多川氏が預かっていた近藤真彦の飼い犬に諸星が咬まれるという事件が発生し、ジャニー氏から何かあった時のためにと連絡先を貰います。

友人たちとはぐれてしまった諸星は所持金が残り僅かだったこともあり、ジャニー氏の元を訪ねてジャニーズ(現SMILE-UP.)の合宿所に滞在するようになりました。

翌年も上京すると、男闘呼組の前々身にあたる「でたらめロックバンド」に参加。

1985年の春からはジャニーズJr.に正式に所属し、ダンスレッスンを受けるようになります。

1987年8月19日に光GENJIとしてレコードデビューを果たすと、センターを務める諸星の認知度や人気は急上昇し、当時の芸能界を席巻しました。

1990年にはTBS系ドラマ「ダンナ様は18歳」主演を飾り、92年には「GOLDEN BOY」ミュージカル初主演を務めます。

1994年には『一匹狼』でソロデビューを果たし、東京厚生年金会館で初のソロコンサートを開催しました。

光GENJI SUPER 5の解散以降は、バーニングプロダクション傘下の個人事務所「GOLD RUSH K」(現 スターズクルー)を設立。同時にファンクラブ「GOLD CLUB K」(現 Pin,K)を立ち上げています。

2000年には音楽レーベル「PINK A ROCK RECORDS」を設立しますが、活動の方向性を見失いつつあったことから、翌年にはニューヨークに渡り、マンハッタンに拠点を置きました。

歌手・タレントの仕事以外にも、様々な有名ブランドとのコラボを展開しており、メンズアクセサリーバッグなど幅広いデザインを手がけています。

2020年にはハワイに居住を移したことを公表。現在は、ハワイ50カ所の紹介記事を執筆する傍ら、日本国内の音楽ライブに出演しています。

佐藤 寛之(さとう ひろゆき)


佐藤 寛之(さとう ひろゆき)のプロフィール

  • 生年月日:1970年11月2日
    出身地:千葉県鎌ケ谷市
    身長:168㎝
    血液型:AB型
    星座:さそり座
    趣味:ぼーっとしていること、Tシャツ収集
    特技:ローラスケート
    メンバーカラー(光GENJI時代):水色

光GENJIの中間管理職ポジションでメンバーを繋いでいたのが佐藤寛之です。

1983年5月1日、佐藤は中学1年生の時にジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に入所

初仕事は東京郵便貯金会館(現 メルパルク東京)で開催された少年隊のコンサートのバックダンサーでした。

ジャニーズJr.時代には踊り子というダンスユニットに所属し、主に男闘呼組のバックダンサーを務めていました。

その後、Jr.内で結成されたGENJIに加入し、1987年8月19日には光GENJIとしてレコードデビューを果たします。

温厚そうな見た目から優等生的なキャラクターを求められることが多かった佐藤ですが、喋ると意外にも毒舌な一面が垣間見え、そのギャップに落ちていくファンも少なくありませんでした。

1994年、大沢樹生の退所の意向を知った佐藤は、同年8月31日に自身もグループの脱退及び事務所を退所。退所理由として「光GENJIは7人でなければ意味がない」という想いがあったそうです。

退所後は事務所を何度か移籍しながら、最終的に佐藤の父が2006年に設立したGENJI GURUMAへ所属しました。

1995年4月16日には初のソロアルバム『calm』をリリース。また、現時点での最新曲として、2022年には14thマキシシングル『タシカナシュンカン』をリリースしています。

2023年5月29日には、同じく光GENJIだった山本淳一と共に新デュオ「ふたつの風」を結成し、各地でイベントに出演しています。

山本 淳一(やまもと じゅんいち)


山本 淳一(やまもと じゅんいち)のプロフィール

  • 生年月日:1972年2月28日
    出身地:東京都八王子市
    身長:166㎝
    血液型:B型
    星座:うお座
    趣味:ゴルフ、釣り、熱帯魚飼育
    特技:ローラースケート、フィッシング
    メンバーカラー(光GENJI時代):赤

山本淳一は、朗らかな性格柔らかい笑顔が印象的なメンバーです。

1986年1月18日、日本テレビ別館で行われた「アイドル花組おとこ組」の出演者オーディションに合格し、ジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に入所

同年2月5日には、同番組に桜隊の候補生としてテレビ初出演を果たしています。

光GENJIとしてデビュー後の1992年12月16日には、ゲーム「ストリートファイターⅡ」のリュウ役ソロシングル『嵐になれ』をリリースしました。

1995年に光GENJI SUPER 5が解散した後も、山本はジャニーズ事務所(現SMILE-UP.)に残留して活動をしばらく活動を続けています。

同年秋には、山本とジャニーズJr.でJunichi & JJrというユニットを結成。NHK教育(現Eテレ)のアニメ『忍たま乱太郎』のエンディングテーマを担当し、『0点チャンピオン』と『こうしちゃいられない』の2曲をシングルでリリースしました。

2002年に事務所を退所後、自身のファンクラブ「JUNICHI REPUBLIC」を設立して芸能活動を継続していましたが、同クラブは2005年に解散してしまいます。

芸能活動と並行して一般企業に務めていた経験があり、インターネットのバナー広告を扱う会社の営業職として働いていました。この他にも愛媛県松山市内のバーで働くなど、芸能活動以外の経験を積んでいた時期でもありました。

子供の頃からプロレスが好きだった山本は、ジャニーズ入所当時に新日本プロレス道場へ通っており、山本小鉄に師事して本格的なトレーニングを受けていたそうです。

そのため、プロレス界隈との繋がりも深く、2015〜2016年には、シアタープロレス花鳥風月のG-TALENT主催でライブを開催。

さらに、長年のプロレストレーニングを活かし、2016年2月14日にはプロレスラーデビューを果たしています。

同年4月15日にはソロで初となるミニアルバム『Keep chasing』をリリース。

2023年5月には佐藤寛之とのデュオ「ふたつの風」を結成し、同年12月5日にはデビューシングル『君と物語』をリリースしました。

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