SUPER JUNIOR (スーパージュニア) メンバーの経歴や魅力を徹底解説

SUPER JUNIOR (スーパージュニア) メンバーの経歴や魅力を徹底解説

2019年にメンバー全員の兵役が終わり、新たなスタートを切った「SUPER JUNIOR(スーパージュニア)」。

現在のK-POP文化を牽引したグループの1つだと言っても過言ではないくらいの大スター、SUPER JUNIORについて紹介したいと思います。

SUPER JUNIORって何人いるの?どんなグループ??


SUPER JUNIORは、12人ボーイズグループとして2005年に結成されました。東方神起やBoAなどを輩出しているSMエンターテインメントに所属しています。

歌手だけではなくタレントとして俳優として、その他にもお笑いや作曲、モデルなど各分野のトップスターになることを目的として作られたグループです。

SUPER JUNIORというグループ名には「全員がマルチに活躍できる才能を持っているスペシャルな存在である」という意味が込められているそうです。

MEMO

略称は「SJ(エスジェイ)」「スジュ」、公式ファンクラブ名は「E.L.F(エルプ)」です。「EverLasting Friends(永遠に続く友達)」という意味がありますが「妖精」という意味の「エルフ」と同じ発音なので「僕らの妖精たち」と呼びかけることもあります。

結成当初はグループの目的によってメンバーを入れ替えていくという体制がとられていました。そのため「SUPER JUNIOR 05」と、活動した年がグループ名の最後に付けられていました。

各メンバーについてはこちらでご紹介!

 

韓国での活動


SUPER JUNIORは2005年11月に「Twins」でデビュー。パフォーマンスはもちろんですが、大人数で活動するグループは当時珍しかったこともあり音楽番組に登場するや否や、あっという間にファンの心を掴みました。

しかし、ファンにとっては活動ごとにメンバーの入れ替えがあるSUPER JUNIORの構成には「次の年には自分の推しがいなくなってしまうかもしれない」という不安がありました。それはメンバー本人たちにとっても同じことだったでしょう。

2006年に「SUPER JUNIOR 06」として新たな構成での活動が始まることを知ったファンは、これに猛抗議しました。ファンの抗議を受け、事務所はキュヒョンの加入を最後にメンバーは13人で固定するという発表をしました。グループ名も「SUPER JUNIOR」になっています。

当時の活動構成についてリーダーであるイトゥクは「SUPER JUNIORは、しばらくの期間活動した後解散し、それぞれ各自の道に進むプロジェクトグループの予定だった。そのため、どんな活動にも『このメンバーで一緒に活動できるのはこれが最後だ』という気持ちで臨んでいた」と語っています。

2006年6月、13人体制で発売したシングル「U」で初の音楽番組1位を獲得しました。メンバーはそれぞれに涙を浮かべ、ファンに感謝をしていました。デビュー当時から困難なことがあり、ここでやっとSUPER JUNIORとファンが1つになったような気がしたのかもしれません。

多くのファンを魅了し、これから頻繁に活動していくと誰もが思っていた2006年と2007年、2回の大きな事故がSUPER JUNIORを襲いました。

2006年8月、ドンへの父の葬儀の帰りに、ヒチョルが交通事故に遭ってしまいます。このときヒチョルは左足大腿部と両足首を骨折。この怪我は現在もヒチョルの体に影響を及ぼしています。

ヒチョルの活動はテレビ番組の出演のみとなっており、コンサートへの参加はしていません。動き続けると今後歩けなくなる可能性があるとドクターストップがかかっているようです。

さらに2007年4月には、ラジオ収録後にメンバーが乗った車が横転するという大事故が起こります。このとき車に乗っていたメンバーはイトゥク、ウニョク、シンドン、キュヒョンでした。

運転していたマネージャーとシンドン、ウニョクは軽傷でしたがイトゥクは背中に150針、頭に30針を縫う大怪我をしています。また、キュヒョンは車外に放り出されてしまい、肋骨と骨盤を折る重傷、一時は意識不明の重体だったということです。

韓国で歌手が事故に遭うというニュースはよく見ますが、2年もの間に2回の大事故に見舞われていたとは驚きましたし、それくらい多忙なスケジュールをこなしていたということも考えられますよね。当時は事故の生々しい模様までニュースで放送されるなど、ファンとしてはショッキングな映像を見なければなりませんでした。

SUPER JUNIORはアイドルながら、バラエティ番組やラジオ番組での活動を多く行なってきたアイドルでもあります。他のアイドルグループより歌以外での活動が主とされてきました。そのため現在でも同じ番組に出演し続けています。

バラエティ番組では司会を始め、女装や体を張った仕事を数多くこなしてきました。そのため歌手というより「バラエティアイドル」としての認知度が高かったグループです。しかし、この活動が現在の多方面での活躍に活かされていると感じます。

2008年2月に韓国で初の単独コンサート「Super Junior The 1st Asia Tour “SUPER SHOW”」を開催。韓国の他に中国・香港・タイを訪れています。SUPER JUNIORのコンサートは「SUPER SHOW」という言葉をブランドとして位置付けたタイトルが使われ、日本では「スパショ」と呼ばれ親しまれています。

SUPER JUNIORはバラエティアイドルとして認知されていましたが、歌手としての人気を獲得し始めたのが2009年に発売された「Sorry, Sorry」です。この曲で音楽番組1位を総なめにし、この年のゴールデンディスク賞も受賞しています。歌手SUPER JUNIORとしても世間の注目を浴びた代表曲となりました。

しかし、2009年にメンバーのキボムと中国人メンバーのハンギョンがグループを脱退するというSUPER JUNIORにとって大きな出来事が起こってしまいます。キボムは俳優活動に専念するためと契約満了による脱退、ハンギョンは所属事務所のSMエンターテインメントに対して契約面での裁判を起こし母国である中国へ帰国してしまいました。

さらに、カンインが暴力事件に関与したとして活動自粛を発表します。1年にこれだけ大きな出来事が連続で起こったことにより、世間ではSUPER JUNIORはスキャンダルが多いグループだというイメージがついてしまいました。

10人体制となったSUPER JUNIORですが、その後は「美人(BONAMANA)」や「Mr.Simple」などSUPER JUNIORの代表曲となる曲を次々と発表しました。特に「Mr.Simple」は50万枚以上の売上数をたたきだし、この結果は東方神起が発売した4枚目のアルバム「MIROTIC」以来4年ぶりの快挙だということです。

MEMO

台湾ではSUPER JUNIORがCDを発売するたびに1位を獲得する為、当時110週連続1位という記録を作りました。

SUPER JUNIORは、アルバム発売後にワールドツアーを1年に渡りほぼ毎年行ってきましたが、韓国のアーティストで初めてパリ公演を行ったグループでもあります。今ではヨーロッパ各地でも公演を行うアーティストがたくさんいますが、SUPER JUNIORが先駆けとなったんですね。

2014年、アイドルグループにとっては異例な出来事が起こります。メンバーのソンミンがミュージカル女優と結婚を発表しました。おめでたいことではありましたが、そのときのファンに対するソンミンの対応が問題となり、一部のファンが脱退を要求する文書を提示しました。

その後、ソンミンはSUPER JUNIORとしての活動は行わず兵役入隊しています。また、除隊後もSUPER JUNIORとしての活動に参加しないまま現在に至っています。

2015年はSUPER JUNIORデビュー10周年を記念するアルバム「Devil」が発売されました。韓国では会見が行われ、リーダーのイトゥクをはじめメンバーそれぞれが「デビュー当時は喧嘩をたくさんしたが、お互いを認め合ってきた」と語っています。また、兵役という期間を経て「メンバーの大切さ」を再確認するメンバーもいました。

MEMO

この頃のSUPER JUNIORは兵役入隊によるメンバーの入れ替わりが激しかった時期でもありました。特に2015年〜2017年は今まで入隊していたウニョク、ドンへ、シウォンが除隊、入れ替わるようにリョウク、キュヒョンが入隊と慌ただしい年でした。

2019年、全てのメンバーの兵役が終わり完全体としてSUPER JUNIORの活動が始まる予定でしたが、以前から自身の問題行動により活動自粛をしていたカンインがインスタグラムを更新、SUPER JUNIORを脱退するという発表がされました。

それでもSUPER JUNIORは10月に発売したアルバム「Time_Slip」のタイトル曲「SUPER Clap」で音楽番組1位を獲得する人気を持っています。完全体になるまで10年の月日を費やしたメンバーは、「こんな日がまた来て幸せだ」とファンに感謝を伝えました。

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