井上陽水 – 天才の生み出した名曲の数々|プロフィール・経歴まるごと解説!

井上陽水 – 天才の生み出した名曲の数々|プロフィール・経歴まるごと解説!

2021年で73歳を迎えた井上陽水

1972年のデビュー以来、独特な世界観をもつ歌詞に、卓越した作曲力と歌唱力で、日本を代表するシンガーソングライターの地位を不動のものにしています。

2019年に発売されたアルバム「井上陽水トリビュート」には、ヨルシカKing Gnu宇多田ヒカルほか、今をときめくアーティストたちが名を連ねました。

今回は、数多くのアーティストから尊敬される天才・井上陽水について、知っておきたいプロフィールや名曲、さらに妻や年齢は?などの気になる情報をまとめてわかりやすく解説。

これから井上陽水を聴きたい人でも、記事を読めばおさえておきたい情報が分かるようになっています。

井上陽水の年齢とプロフィール


プロフィール


本名:井上陽水(いのうえ あきみ)
旧芸名:アンドレ・カンドレ(韓国語で泥酔状態の「ぐでんぐでん」を意味することば「カンドレ・マンドレ」からとった)
生年月日:1948年8月30日
出身地:福岡県飯塚市
血液型:AB型
身長:178cm
配偶者:石川セリ(歌手)

陽水は少年時代から、年の離れた姉の影響でエルビス・プレスリーなどの洋楽を聴いていました。

ある日、ラジオで耳にしたザ・ビートルズに衝撃を受け、毎日のように曲を聴き込み、ギターでコピーする日々を送るように。
自身も、ビートルズは自らの音楽ルーツだとしばしば語っています。

あわせて読みたい!

父親は歯科医師で、陽水も後を継ぐべく歯科医を目指しますが、受験に3度も失敗したことで歌手を目指します。

そして1970年、アンドレ・カンドレとしてデビュー、3枚のシングルを発表するもヒットせず。
1972年、23歳の時に現在の芸名井上陽水(ようすい)と改名し再デビューしました。

(若い頃の井上陽水)


すると、アルバム1作目の「断絶」が当時約55万枚を売り上げ大ヒット。実力派シンガーソングライターとして注目されはじめます。

1973年に発表した3枚目のアルバム「氷の世界」は、135万枚を売り上げる日本初のミリオンセラー作品。なんと、2年3ヶ月もの期間オリコントップ10位以内に君臨しつづけました。

当時陽水はまだ25歳、若くして商業的な成功を収めたのです。

その後も秀でた作曲センスにより「リバーサイドホテル」「いっそセレナーデ」「飾りじゃないのよ涙は」「少年時代」などをはじめとするヒット曲を量産。

また、「帰れない二人」では忌野清志郎「ありがとう」奥田民生と、「夏の終りのハーモニー」では玉置浩二ともコラボレーションするなど、活動の幅を広げてきました。

プロデューサーとしても、山口百恵沢田研二中森明菜小泉今日子PUFFY一青窈など…数々の名だたるアーティストに楽曲を提供しています。

あわせて読みたい!

井上陽水の現在、妻や娘について

井上陽水は1978年に、4歳年下の歌手、石川セリと結婚。4人の子供に恵まれました。

2人の長女である依布サラサ(38歳)は、作詞家、歌手として活動しています。

妻の石川セリは本名井上セイディという、アメリカ人の父と日本人の母から生まれたハーフ。
1972年にレコードデビューし、歌手やモデルとしても活躍しました。

コケティッシュな顔立ちで、今も昔もお綺麗な方ですね。近年はごくたまに歌手として活動するかたわら、ラジオのパーソナリティーとしても活動しています。

そんな石川セリに惚れ込んだのが、井上陽水。

彼女の代表作「ダンスは上手く踊れない」は、陽水がセリにアプローチするため30分で作曲してプレゼントしたというエピソードがあります。

石川セリは、2011年の東日本大震災をきっかけに放射能を気にして、長女のサラサと共に陽水の故郷である福岡で生活をはじめました。陽水は東京に残り、一人で生活しています。

そのため夫妻の離婚の噂がささやかれましたが、不仲によるものでなく、互いの生活を尊重したうえでの別居のようです。

陽水は2000年代も全国ツアーを何度も行っていましたが、2019年の『「光陰矢の如し」~少年老い易く 学成り難し~』という50周年記念のツアーを最後に、新しい予定は発表されていません。

年齢的にも高齢にあたるので、あえて活動を緩やかにしているのかもしれませんね。

おさえておきたい井上陽水の名曲10選

ここからは、陽水の数々の名曲の中から、まずは聴いておきたい10曲をご紹介します。

少年時代


1990年発売
作詞:井上陽水 作曲:井上陽水・平井夏美

言わずと知れた、世代を超えて歌い継がれる井上陽水の代表曲。

作曲者の平井夏美とは、音楽プロデューサー川原伸司さんのペンネームです。
川原さんは、陽水と共作で約20曲の作曲に携わってきました。

陽水のヒット曲は、大半がマイナー(暗いイメージのコード進行)な曲調。
インタビューによると、川原さんはなるだけ彼のポジティブな面を引き出すべく、明るいメロディーを作るよう心がけていたのだそう。

まさに少年時代を思い起こすような哀愁あるメロディーと、叙情的な歌詞がぴったりとマッチした美しい楽曲です。

最近では、2021年6月に公開されたディズニー&ピクサー映画「あの夏のルカ」の日本版エンドソングとして、ヨルシカにカバーされています。シンプルな楽器の演奏により、楽曲の良さが際立つアレンジ。透明感のある伸びやかな声も、美しいメロディーによく合っていて素敵です。

氷の世界


1973年発売
作詞・作曲:井上陽水

ブラック・ミュージックのようなグルーヴのリズムに乗せて、陽水がアグレッシブに歌う初期のヒット曲。この曲が、フォークシンガーとしてデビューした井上陽水のイメージを一新したと言っても過言ではありません。

スガシカオスキマスイッチ筋肉少女帯にもカバーされるなど、アーティストからも人気の高い楽曲です。

窓の外ではリンゴ売り声をからしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけて リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう

という冒頭の歌詞。なぜか印象に残ってしまいます。

陽水はインタビューでこの歌詞の意味を聞かれると、「なぜと言われても分からないんです」と答えるなど肩透かしな回答しかしません。
意味というよりも、言葉遊びの感覚でひらめいた歌詞なのでしょう。

しかし、口ずさんでみると分かりますが、なぜかこの言葉がリズムにはまるとすごく心地よいです。それでいて、前後の脈絡とは関係なく差し挟まれる真理を突いた鋭い歌詞に、ドキッとさせられます。

人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな
だけどできない理由は やっぱりただ自分が恐いだけなんだな

このように、彼が意図しているいないに関わらず、思わず聴き入ってしまう歌詞が作れるのは、井上陽水が天才だといわれる所以ではないでしょうか。

MEMO

同名のアルバム「氷の世界」は当時としては珍しく、大半が海外(ロンドン)で録音されました。
アレンジャーはニック・ハリソンという、ザ・ローリング・ストーンズ「悲しみのアンジー」のストリングスアレンジをした人物。

さらに国内レコーディングには細野晴臣高中正義村上ポンタ秀一など豪華なメンバーが参加した意欲作。日本初のミリオンセラーアルバムとなりました。

あわせて読みたい!

夢の中へ


1973年発売
作詞・作曲:井上陽水

井上陽水のヒット曲の中では、数少ない明るいメロディーの楽曲。
JR東日本やauなどのCMにもたびたび起用され、誰もが一度は耳にしたことがあると思います。

自由奔放な言葉遊びが多い陽水の楽曲の中では、ひときわ分かりやすい歌詞とシンプルでキャッチーなメロディーに惹き込まれますね。

もはや、フォークソングの定番ともいえる人気曲です。

傘がない


1972年発売
作詞・作曲:井上陽水

井上陽水としての1作目のアルバム「断絶」に収められている、初期の代表曲。

テレビでは我が国の将来の問題を
誰もが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない

と歌われたのは、学生闘争が終わり社会全体が疲れていた時代。
当時の若者は社会問題に対する関心が薄れ、シラケ世代とよばれていました。

そこに陽水の「社会の問題よりも彼女に会いに行くための傘がないことの方が重大な問題」という歌詞がフィットし、話題になります。

しかし本人はインタビューでこの歌詞について聞かれると、
「別にそんなふうに考えて作った歌ではないんですよ」と淡々と述べていました。

陽水の歌詞は直感でコードに合う言葉を選んでいるものが多く、この楽曲もコード進行に合う「傘がない」という語感が重視されたと考えられます。

リバーサイドホテル


1982年発売
作詞・作曲:井上陽水

1988年放送のドラマ「ニューヨーク恋物語」の主題歌に起用されると、発売から約6年の時を経て一気に大ヒット。オリコン最高11位を記録しました。

陽水の作る歌詞の特徴でもある、同じ意味の日本語と英語の繰り返しが、不思議と違和感なく曲に溶け込んでいます。

ホテルはリバーサイド 川沿いリバーサイド

部屋のドアは金属のメタルで シャレたテレビのプラグはぬいてあり

意味はともかく、全編を通してバブル期の都会的な情景が目に浮かぶような歌詞に、井上陽水の言葉選びのセンスの良さが感じられます。

心もよう



1973年発売
作詞・作曲:井上陽水

初期のフォークソング時代の人気曲。
遠くで暮らす恋人にあてた手紙について、切なくやるせない感情を歌っています。

さみしさだけを手紙につめて
ふるさとにすむあなたに送る
あなたにとって見飽きた文字が 
季節の中でうもれてしまう

若い頃の陽水の歌い方は、「氷の世界」と同じくアグレッシブに感情をぶつけていて、歌詞がストレートに伝わってきます。
また、サビへの展開がドラマチックな名曲です。

帰れない二人


1973年発売
作詞・作曲:井上陽水・忌野清志郎

天才・井上陽水と、伝説のロックスター・忌野清志郎という二つの才能が相乗効果を生んだ、奇跡の名曲。前述の「心もよう」のシングル盤B面に収録されました。

清志郎のラジオインタビューによると、当時、陽水と事務所が同じで仲の良かった清志郎が、もともと違う曲として作っていたコード進行を陽水に聴かせました。
すると陽水がその場で1番の歌詞をつけ、後日、清志郎が2番の歌詞をつけて出来上がったのがこの曲だということ。

清志郎とのデュエットでは、二人の強烈な個性がぶつかることなく共存し、1曲の中に存分に発揮されているのが素晴らしいです。

MEMO

半音ずつ下降していく印象的なイントロは、カナダ出身のシンガーソングライター、ニール・ヤング「Needle And The Damage Done」から影響を受けたといわれています。

 

 

あわせて読みたい!

Make-up Shaow(メイクアップシャドウ)


1993年発売
作詞:井上陽水 作曲:彩目映

ボカロPとボーカルの男女2人組ユニット、ヨルシカが、陽水のトリビュートアルバムでこの曲をカバーしたことで再び話題になりました。

ヨルシカは、前述の陽水の代表作「少年時代」もカバーしています。

陽水の艶のあるボーカルの魅力が存分に引き出されたメロディーに、スリリングな展開、ドキドキするような色気のある歌詞など、聴きどころが満載の名曲です。

いっそセレナーデ


1984年発売
作詞・作曲:井上陽水

陽水の色気あるボーカルが堪能できるバラードの名曲。本人も出演するサントリー角瓶のCMソングに起用されました。

あまい口づけ 遠い思い出
夢のあいだに 浮かべて 泣こうか

恋のうたが誘いながら 流れてくる
そっと眠りかけたラジオからの
さみしい そして悲しい
いっそやさしい セレナーデ

陽水の作詞の世界は奔放で奇抜なものばかりではなく、このように情景が浮かぶ言葉を綴った美しい歌詞もたくさんあります。

聴く人それぞれの受けとめ方ができるように、あえて全てを語らない余白のある歌詞が、彼の作詞の特徴であり、魅力でもありますね。

椿屋四重奏での活動で知られるシンガーソングライターの中田裕二が、ファンキーなアレンジで同曲をカバーしているので、あわせて聴いてみてください。
原曲のイメージを塗り替え、新たな息吹を吹き込んだ素晴らしいカバーです。

夏の終わりのハーモニー


1986年発売
作詞:井上陽水 作曲:玉置浩二

サビで陽水と玉置浩二が圧巻のハモりを聴かせる、豪華な共作。

玉置浩二のバンド安全地帯は、アマチュア時代に陽水に見いだされ、井上陽水のバックで演奏していました。
井上陽水は玉置浩二にとって師匠のような存在で、今でも陽水に会うと直立不動になってしまうほど。

ずっと陽水の背中を見て歌ってきたという玉置浩二。そういえば、二人の伸びやかで色気のある歌唱法には共通する部分がたくさんあります。
そんな二人の声がぴったりと合わさる心地よい感覚を、ぜひ味わってみてください。

MEMO

安全地帯の代表曲のうち、「ワインレッドの心」「恋の予感」の歌詞も、井上陽水が提供しています。

さいごに

日本を代表するシンガーソングライター、井上陽水についてプロフィールや名曲をまとめてお伝えしました。

独自の世界観を持つ歌詞、ヒット曲を連発する卓越したソングライティング力、確かな歌唱力、いずれにおいても天才的です。

最近の活動は活発ではありませんが、彼の生み出した楽曲は、今後も多くの後輩ミュージシャンたち
に敬愛され、歌い継がれていくことでしょう。

あわせて読みたい!

この記事をシェアをしよう!

この記事を書いた人

この記事に関連するタグ

関連記事

新着記事