今回は、「関ジャム 完全燃SHOW」の名物コーナー「売れっ子音楽プロデューサーシリーズ」への出演や、米津玄師さんをはじめ、エレファントカシマシやOfficial髭男dismといった多くの人気アーティストの、プロデュースや楽曲提供などを行っている、蔦谷好位置(つたやこういち)さん特集です。
その気さくで飾らない人柄もあってアーティスト達からの信頼も厚く、中でもエレファントカシマシの宮本浩次さんからは、ライブ中のMCで『大好き』とまで言われるほど。
トークにも定評があり、「関ジャム 完全燃SHOW」の他にも、出身地である北海道のUHBで毎週日曜深夜に放送されている音楽番組「MUSIC FUN! IVY」ではMCも務めています。
また昨年は、母校の札幌市立発寒小学校の100周年を祝う楽曲「雨のち晴れる」を制作。
今年3月1日に開催される、NHK札幌拠点放送局と札幌交響楽団によるオーケストラコンサート「ミュージック・イン・ザ・ベストポジション」のプロデュースも担当します。
さらに、3月18日に公開される映画「SING/シング:ネクストステージ」で、1作目の「SING/シング」に引き続き日本語吹替版音楽プロデューサーも務めています。
目次
蔦谷好位置とは?
- 生年月日:1976年5月19日
- 出身地:北海道札幌市
- 本名:蔦谷恒一(つたや こういち)
幼少期にピアノを始めてからバンドCANNABISまで
幼少期に母親から無理やりピアノを習わされると、ファミコンを買ってもらえなかったかわりに与えられたPCで、小学校4年生からYMOやTM NETWORKの曲の打ち込みを始めました。
大学ではジャズ研究会に所属し、結成したミクスチャ―・ロックバンドCANNABISでキーボードとプログラミングを担当します。
インディーズでリリースしたミニアルバムが評判となり、亀田誠治さんのプロデュースでメジャーデビューも果たし、活動の拠点を東京に移しました。
蔦谷好位置さんによると当時はかなり尖っていた時期で、亀田誠治さんがアレンジした楽曲を、亀田誠治さんが帰った後で勝手にアレンジし直してリリースしたこともあったのだとか。
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当時は、バンドの給料は貰っていたものの家賃や生活費でほとんどが無くなってしまう状況で、パンの耳を食べて生活していたそうです。
住んでいた東京の三宿から三軒茶屋あたりまで自転車に乗ってフラフラしていると職務質問される、ということを度々繰り返していました。
結局CANNABISは、2003年に解散。
そしてソロの音楽プロデューサーとして2004年からクリエイター集団agehaspringsに加入し、現在も所属しています。
売れっ子プロデューサーへの道は着メロのアレンジから始まった
これもまた今の蔦谷好位置さんからは考えられないエピソードですが、この頃はまだプロデュースの依頼は無かったので、売れてる曲をガラケーの着メロ用にアレンジしたり、キャバクラでピアノを弾いていました。
それまで名刺をもらっていた全員に、『もう一度やりたいから、音を聴いてください』と電話し少しずつチャンスを貰っていましたが評価は芳しくなく、初めて『良い』と言われたのが、同郷の先輩で元JUDY AND MARYのYUKIさんの「JOY」でした。
コンペを勝ち抜いて選ばれたその曲を、YUKIさんは『この曲を10年待っていた』と絶賛。
当初はYUKIさんの再始動第一弾シングルであり7th シングルになる予定でしたが、クオリティに徹底的にこだわり時間をかけて作りこんだ為に、リリースされたのは9th シングルとしてでした。
このリリース順の関係もあって、蔦谷好位置さんはYUKIさんの8th シングル「ハローグッバイ」から楽曲制作等に関わるようになり、『彼と出会ってからたくさんの名曲ができた』と言われるほどに信頼されています。
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そして次々とプロデュースや楽曲提供の依頼が来るようになり、米津玄師さんやOfficial髭男dism、エレファントカシマシ、Superfly、KAT-TUN、関ジャニ∞、ゆず、back number、クリープハイプ、いきものがかり、木村カエラさん、JUJUさんなど、現在まで多くの人気アーティストを手掛けています。
また、プロデューサーとしてヒット曲を連発しながらも、同時に自身もバンドやユニットにも所属していました。
西野カナさんのプロデューサーも務めていたヒップホップMCのGIORGIO 13 CANCEMIとのユニットDUMMEEZ、ハードコアやフリージャズを基調としたインストゥルメンタル・バンドNATSUMEN、元BLANKEY JET CITYの中村達也さんとのバンドEORなどでも活動していました。
2018年からはソロプロジェクトKERENMIもスタートしています。
玉置浩二とエレカシ宮本浩次とのエピソード
蔦谷好位置さんはYUKIさんだけでなく、同じ北海道出身のアーティスト達の音楽から多大な影響を受けていることを公言しています。
ピチカート・ファイブの小西康陽さんからは、コード進行の影響を受けるほどリスペクトしており、生で歌声を聴いた時の衝撃が一番凄かったのが玉置浩二さんだったそうです。
そんな憧れの存在の玉置浩二さんが夢に出てきたことがあり、現実には存在していない「二人のシンフォニー」という曲を歌っていたとテレビで言うと、その話を聞いた玉置浩二さんが『二人のシンフォニー演ろうよ』と連絡がきて、実際に作ることになりました。
夢の中で聞いた「二人のシンフォニー」を起床後に録音していた蔦谷好位置さんは、玉置浩二さんにメロディを伝えずにコードだけを弾くと、『わかった!』とアドリブで歌い始めたものは、夢の中の「二人のシンフォニー」よりも良いメロディの素晴らしい曲だったそうです。
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また同郷ではありませんが、エレファントカシマシの宮本浩次さんには特に気に入られています。
2人の出会いは、蔦谷好位置さんのことは、YUIさんなどの曲を手掛けた新進気鋭のコンポーザーとして名前だけ知っていた宮本浩次さんが、すでに作っていた「笑顔の未来へ」という曲をあえて歌とギターだけにしたものを、顔も知らない蔦谷好位置さんに依頼したことでした。
アレンジされて返ってきた「笑顔の未来へ」を聴いて、宮本浩次さんは『俺の歌が届いている感じがした』と涙してしまいました。
「笑顔の未来へ」は、元々はタイトルが「涙のテロリスト」という荒々しいサウンドの曲でした。
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蔦谷好位置さんの結婚パーティーの際には、Superflyが「愛を込めて花束を」を、ゆずが「虹」を歌った後に、宮本浩次さんが「悲しみの果て」と「笑顔の未来へ」を蔦谷好位置さんの演奏と共に披露しています。
あるライブのアンコールでは、蔦谷好位置さんがステージに上がると、『「孤独な旅人」って曲知ってますか?知ってますよね。ワン、ツー、スリー、フォー』と知らなかったエレファントカシマシの曲を急に始めてしまい、その場でベーシストの指の動きでコードを推測して演奏した、という信頼関係があるからこその無茶ぶりをされたこともあります。
プロデュースや楽曲提供、編曲したオススメ曲6選
新しい曲や流行っている曲は以前から好きでしたが、どんな時代であってもヒット曲を作り続けることが一番重要だと、蔦谷好位置さんは語っています。
ヒット曲を「誰もが知っている曲」と定義し、CDが売れなくなりストリーミングが主流になるなど、その時代によってフォーマットは変わってもヒット曲を作り続けたいそうです。
日本の音楽がガラパゴス化してしまう状況に合わせるのではなく、アメリカなど海外チャートでも勝負できるようなものを志向しています。
米津玄師「LOSER」
J-POP、邦ロックが世界でも認められるようになるとしたら、それを成し遂げるのは米津玄師さんだろうと語るほど、蔦谷好位置さんは米津玄師さんの才能に惚れ込んでいます。
メジャー5th シングル「LOSER / ナンバーナイン」では、ナンバーナインをmabanuaさんが米津玄師さんと共同プロデュースし、LOSERを蔦谷好位置さんが米津玄師さんと共同プロデュースしました。
元々は不条理なことにすぐに腹を立てて普段から不機嫌だった米津玄師さんの怒りを、イアン・カーティスやカート・コバーンといった破滅的なロックスターのような表現ではなく、できるだけ朗らかにバンドサウンドにした楽曲です。
Official髭男dism「イエスタデイ」
2022年1月に放送された「関ジャム 完全燃SHOW」の「売れっ子音楽プロデューサーが選ぶ年間マイベスト10曲」で「アポトーシス」を選出するほど、蔦谷好位置さんはOfficial髭男dismの音楽性を高く評価しています。
これまで、2019年の「熱闘甲子園」のテーマソングにもなった「宿命」と、映画「HELLO WORLD」の主題「イエスタデイ」の編曲を担当。
「Pretender」で一躍注目を集めたOfficial髭男dismの、その後の音楽性の評価を決定づけました。
YUKI「JOY」
蔦谷好位置さんが世に認められるきっかけになった曲であり、ソロのYUKIさんの代表曲です。
主にJUDY AND MARYのバンドサウンドやアコースティックサウンドを志向していたYUKIさんにとって、珍しく打ち込みを中心としたダンスミュージック寄りの楽曲です。
当初は再始動第一弾シングル(ソロの7th シングル)として発表されるはずだったこともあり、2005年1月のリリース前からライブでは度々披露されていました。
「JOY」以降も、「ハローグッバイ」「長い夢」「ドラマチック」「歓びの種」「メランコリニスタ」「ふがいないや」「ビスケット」「メッセージ」と多数の楽曲を手掛けています。
エレファントカシマシ「桜の花、舞い上がる道を」
宮本浩次さんが『エレファントカシマシの一つの到達点』と語る、36th シングル「桜の花、舞い上がる道を」は、蔦谷好位置さんがプロデューサーではなく、初めて共同作曲者として名前が載った曲です。
この曲では亀田誠治さんがプロデューサーを担当し、完成までには1年を費やしています。
結成から40年を越えるエレファントカシマシの数多くの楽曲の中で、古参ファンも『一番好き』『大名曲』と称賛する代表曲の一つです。
Superfly「愛をこめて花束を」
Superflyの代表曲「愛をこめて花束を」をはじめ、「My Best Of My Life」「恋する瞳は美しい」「タマシイレボリューション」などのヒット曲のほとんどに、蔦谷好位置さんが関わっています。
最初にタッグを組んだのは、2008年2月にリリースされた「愛をこめて花束を」でした。
デビュー当時はブルースやロックを基調とした曲を歌っていたSuperflyでしたが、バラードの「愛をこめて花束を」を発表すると一躍注目を集めます。
初めてSuperflyのプロデュースをした蔦谷好位置さんは、技術的なことにはこだわらずに感情をさらけ出して歌うことの大事さを重視したことで、Superflyは自分の感情をさらけ出して伸び伸びと歌うようになり、以降の数々のヒット曲に繋がりました。
ゆず「虹」
同い年のゆずの2人とは、2008年にリリースした8th アルバム「WONDERFUL WORLD」に編曲で初めて参加して以来、現在も楽曲制作に関わっています。
「シシカバブー」「逢いたい」「Yesterday and Tomorrow」「桜会」「マイライフ」「カナリア」「愛こそ」などの作曲や編曲を担当。
2009年9月にリリースされた、ゆずの代表曲のひとつ「虹」の制作過程について明かしたところによると、作詞作曲はアコースティックギター、ハーモニー、譜割り、歌詞を、北川悠仁さんと岩沢厚治さんがLINEで音源を送り合いながらデモを作っていくそうです。
そのデモを基に、蔦谷好位置さんがイメージを膨らませて、ゆずの2人と共に曲を育てていくつもりで一緒に作っていきます。
最後に
幼少期のクラシックから始まり、打ち込み、ジャズ、ロックなど様々なジャンルを経験してきたからこその多彩な引き出し、独特なストリングスアレンジ、美しく切ない泣きのメロディが蔦谷好位置さんらしさです。
今後はJ-POPや邦ロックに限らないフィールドでの活動も、ますます増えてくるはずです。
蔦谷好位置さんの音楽がどんな広がりを見せるのか楽しみですね。